安倍首相が衆院解散を正当化する為に突如主張し始めた消費増税分の使途変更。従来の財政健全化にその大部分を使うという方針から、全世代向け福祉政策の充実の為に増税分の一部を充てるという方針への転換を、国会の議論すらないまま唐突に選挙の根拠として主張し始め、中でも幼児教育無償化を前面に押し出した。当然自民党は選挙公約に盛り込み、”すべて”の子どもを対象になどと公約に掲げて選挙戦を繰り広げた。その結果、野党の混乱もあり、勝利を収めた。しかし選挙が終わった途端、幼児教育無償化の具体化に関して”認可外保育園は対象外”とすることを検討していることが報じられ、公約に掲げていた”すべて”の子どもを対象にするという文言との矛盾などを指摘されていた。ネット上を中心に強い批判に晒されると、一転して”認可外保育園も対象”にすることを検討し始めたようで、自民党に限らず、国民が気付かなければ公約なんて都合次第で反故にしても構わないと思っているのが政治家だという、選挙の度に自分が感じていた印象を再確認させられる出来事だった。
この件については11/6の投稿でも触れたが、今日考えていたのは”すべて”という文言が一体何を指し示しているのかという事だ。
最近気になっていたのは、コマーシャルで用いられる”すべてが新しい(商品名)”というフレーズだ。このフレーズは以前からしばしば使われているが、直近で気になったのは、ファイナルファンタジーのスマートフォン向けゲーム、ホンダの軽ワゴン車・N-BOX、ソニーのテレビ・ブラビアの各テレビCMだ。ファイナルファンタジーは日本では根強い人気のあるゲームのシリーズで、その殆どはRPGというジャンルに分類される。関連作品にはシミュレーションやアクションなどのジャンルに分類されたり、それら各ジャンルの要素を複数取り入れているものもある。”すべてが新しいファイナルファンタジー”というコピーを使って宣伝していてもRPGゲームなのだから、新しい要素があったとしても全然”すべて”が新しくないじゃないかというのが自分の感じた印象だった。ソニーのテレビも同様で、画面がスピーカーを兼ねていたり、従来の液晶ディスプレイではなく有機ELディスプレイを使用した新型モデルであることは間違いないが、四角くて黒い板状のテレビであることは従来通りのデザインなのに、一体そのどこが”すべてが新しい”のかと思ってしまった。個人的には、四角い箱型だったブラウン管から薄型のプラズマや液晶ディスプレイへの移行以上の目新しさは感じられなかった。
人によってはファイナルファンタジーがRPGであるのは当然で、RPGじゃなかったらファイナルファンタジーらしさがかなり低くなるからそこは新しくなくても問題ないとか、薄型テレビの新モデルなんだから薄い板状なのは当然で、それは単なる揚げ足取りだと思う人もいるだろう。しかしどちらも”新しい”という表現に留め、”すべてが新しい”なんて大風呂敷さえ拡げなければ、揚げ足取りが出来ないことも事実だろう。
3つのコマーシャルの中で最も”すべてが新しい”に強い違和感を感じたのはホンダ・N-BOXのコマーシャルだ。N-BOXは大ヒットしているホンダの軽自動車で、このCMのモデルは第2世代のモデルだ。軽自動車のコマーシャルなのだから、エンジンが660ccで以前と変わらないとか、タイヤが4つなのだから”すべて”が新しくないなどと指摘すれば、単なる揚げ足取りでしかないと自分も感じる。しかし自動車のモデルチェンジでは、旧モデルが好評だったことを受け、踏襲してリファインするような場合と、旧モデルが不評だったり、当初好評でも息の長いモデルとなったことでやや時代遅れな状況だったりすると、デザインなども含めて大きく変更したり、場合によっては受け継ぐのはモデル名だけという印象に近いことも決して少なくない。
コマーシャルで”すべてが新しい”というフレーズを使っていた第2世代のN-BOXがどうだったかと言えば、大ヒットを記録した旧モデルのイメージを受け継ぎ踏襲するという前者タイプのモデルチェンジで誕生したモデルだ。デザインやシルエットなどのイメージはかなりの部分で旧型を引き継いでいるものの、大部分が新たに設計されており、共通性のある部品は決して多いとは言えず、従来モデルの改良、日本ではマイナーチェンジと表現するが、そうではなく新型モデルと表現すべきことは間違いない。しかし自動車に詳しくない人が旧型と新型をその見た目からパッと区別できるような新型モデルではないのに、宣伝コピーに”すべてが新しい”というフレーズを使われても全然説得力は感じられない。
ホンダにしてみれば、好評だった旧モデルの人気を最大限活かす為にデザインなどを踏襲したが、その多くを新たに設計したことも事実で、それをアピールする為に採用したのが”すべてが新しい”という宣伝コピーだということなのだろう。しかし自分には、自分が過敏なだけかもしれないが、新しさというポジティブなアピールをしようとしているのに、欲張りすぎた誇大表現によって企業の誠実性を自ら毀損し、商品には全く問題が無いにもかかわらず、CMがネガティブな印象を強調してしまっているようにすら見えた。
コマーシャルの誇大表現につていは11/10の投稿でも触れたが、ここで挙げた3つのコマーシャルは流石に直ちに放映を取り止めるべきなんて程に酷いケースとは思えない。しかしその一方で誇大表現と感じる人、若しくは”すべてが新しい”という表現によって実際より余計に期待値を感じる人が全然いないとも思えない。
政治家や政党の公約にせよ、企業の商品宣伝にせよ、友達同士の他愛も無い会話や世間話などとは比べてはならないような性質のもので、用いられる表現は出来る限り正確である必用がある。もし掲げた看板が実際と乖離していれば批判を受けて然るべきだと自分は思う。勿論正確であるかどうかについては人それぞれ感覚に差があり、厳密な線引きが難しいことも事実だ。だから有権者や消費者側も、政治家や企業の宣伝文句などが適切なのかどうかを個々に考える必要があることも間違いはない。しかしそれでも自民党が公約に掲げた”すべて”、ホンダがN-BOXのCMで使った”すべて”が新しいという表現は、本来”すべて”という言葉が指し示すものとは大きく乖離しているように自分には思える。