11/15の投稿で維新・足立議員が「朝日新聞 死ね」とツイートしたことを取り上げ、子供が真似するかもしれない・暴言を吐いてよいと勘違いするかもしれないという懸念はあるものの、個人的な見解としてはツイートでの発言は彼の人間性がよく分かる面もあるだろうから、言わせておけばいいと書いた。しかし国会の審議などでその類の発言をされると、論点が不適切な発言に移ってしまい議論の停滞を招くだろうから、絶対にするべきでないとも書いた。足立氏は、案の定と言うか、15日の衆院文部科学委員会で他の党の議員を明確な根拠もなしに「犯罪者」と断言する発言をして問題視されている。一部の報道によると、維新の片山共同代表が発言を撤回するように働きかけているという話もあるが、これまでの言動から考えても、彼は議員の資質が最低レベルにも達していないとしか思えず、維新の執行部や文科委員会の責任者らには厳正な対処をして欲しいと感じている。
今特別国会では文科委員会が開催されるにあたって、これまでの慣例とされていた、自民党が野党時代に要求して実現した与党2:野党8という質問時間の配分を、自民党が与党5:野党5へ変更することを求め野党と対立し開催が延期されていた。結局与党1:野党2という配分でなんとか折り合い、やっとのことで15日の開催にこぎつけたという経緯がある。時間配分に関しては結局野党側が与党案に対して一定の配慮を示して譲歩したことになる。
この委員会での主なテーマは通常国会・閉会中審査に引き続き、加計学園に関する問題なのだが、首相は野党らが7月からこの議論の為に求めていた臨時国会の召集を引き伸ばし、9月にやっと召集すると決めたものの、議論を行わず冒頭で衆院を解散させ選挙を行うとしたのだが、その臨時国会冒頭での衆院解散を表明する会見の中で、それまで引き続き行うとしていた「丁寧な説明」は、閉会中審査で尽くしたというニュアンスを、明言はしなかったが色濃く滲ませた。間接的にでも「丁寧な説明」が済んでいないと考えていると思われかねない姿勢を示せば、説明を避ける為に臨時国会を冒頭で解散するのかと批判され、やっている事・言っている事がちぐはぐだと指摘されてしまうだろうから、そう言わざるを得なかったのだろう。
ただ、その後選挙では勝利したものの、そんな経緯もあってか”謙虚な姿勢”が必用であるというアピールはしていたし、一部メディアの世論調査で加計問題について説明が尽くされていないと感じる国民が6割程度いるという結果が出たこともあり、謙虚とか丁寧な説明をこれからも行うという姿勢も示していた。
個人的には、野党の質問時間配分を減らそうとすること自体が、既に謙虚な与党の姿勢とは思えない。もしかしたら首相は政府として謙虚な姿勢を心がけ、与党の質問だろうが野党の質問だろうが関係なく丁寧に答えるつもりがあると言うのかもしれないが、彼は首相であると同時に与党・自民党の総裁でもある。また、官房長官も会見でしばしば「政府と与党は一体」という表現も用いている。しかも党議拘束によって党員は党の方針に基本的に従うことが義務付けられている状況で、政府と一体の与党はどれだけ国会としての行政機関へのチェック機能を発揮できるだろうか。そう考えれば、首相が総裁を務める与党が野党の質問時間を削ろうとすること自体が、首相に丁寧な説明を積極的にしようという気が無いと思われても仕方がない理由になってしまうだろう。
しかも15日の与党の質問には義家前文科副大臣が立っている。義家氏は5月までは副大臣として質問を受ける側にいた人物で、簡単に言えば元政府・内閣側の人間だ。15日の質問では、義家氏は加計問題の経緯を細かく把握していることを自負し、メディア報道などを恣意的だとか、野党らの追及には根拠がないなどと批判していた。確かに前文科副大臣なのだから経緯には詳しいかもしれない。しかし彼が文科副大臣を務めていた間に、問題とされた文書が見つからなかったと発表したのに、実際には存在していると文科省の職員などに指摘され、再調査の結果当初の発表が覆るなど、当時の文科省が適切に情報公開に応じていたかどうかには疑問が残っている。そのような対応をしていた組織の準責任者の発言に、信憑性があるのか疑問を感じる人も決して少なくないだろう。そしてそんな人物に行政機関に対する厳正なチェックが出来るのかについても同様だ。それでも彼を質問にに立たせる与党に、政権へのチェック機能が本当にあると言えるだろうか。自分にはごり押しして、野党の質問時間を削ってまで増やした質問時間を、自民党が無駄にしているように見えてしまう。
加計問題に関しては追求している野党らも、安倍首相が恣意的に設置認可推進に関与したという確たる根拠を示せていないと自分も思う。しかし政府与党が「問題ない」と判断できる明確な根拠を示せていないのもまた事実だろう。国家戦略特区という仕組み上、官邸主導で話が進むのは当然だという見解を示す人は、政府与党内だけでなく有識者などの中にも割合と多いが、たとえ国家戦略特区でも、政府の思うままに何でもかんでも進めてよいなんてことは確実にないし、誰が見ても問題性が無いことが分かるように、そしてそのような疑いが生まれないように記録を適切に残し、要求があれば公開するのは当然のことだろう。
結局のところ、国家戦略特区が絡む加計問題だけでなく、それ以前に追及されていた森友学園問題や自衛隊日報問題に関しても、政府や役所が記録がないとか処分済みであるとしたことに関しては、官房長官を初めとした政府関係者は法律に沿った適切な対応だと口を揃えているが、たとえ法律に沿っていたとしても法律の抜け穴を使った行為だったとしたら決して適切な対応とは言えない。数年前に話題になった脱法ドラッグだって、当時は違法ではなかったが、適切ではなかったから違法化されたのだろう。最近改正された性犯罪に関する法律も、だいぶ昔に制定された法令が現在の状況に合わなくなり、適用範囲などが適切でなかったから改正されたのだろう。
法治国家ではまず法令を遵守することが大前提だが、法は人間が作ったものであり完全な存在ではない。だから法さえ守っていれば適切だというのは確実に法に対する過信、言い換えれば”間違った認識”だ。法さえ守っていれば一切問題はないのであれば、法改正や新法は必要ないだろうし、そうなれば立法機関である国会自体が必要ないということになるだろう。しかしそんなことは決してなく、時代に合わなくなった法や法の欠陥が発覚したり指摘されて多くの者が認めた場合や、新たな問題に対処するのに必要な新法の為に立法機関は確実に必要だ。
本当に政府や与党が”謙虚”な政権運営とか”丁寧”な説明をする気があるなら、まず法さえ守っていれば適切だという考えを捨て、国民の大多数が透明性が高いと思えるような政権運営・党の運営を目指すべきで、その為には自ら要求して実現した質問時間配分なのに、野党の質問時間を減らそうとしたり、直近まで政府側にいた人間を質問に立たせたりすることは控えた方がよいのではないだろうか。
そんなことをしているようでは結局、国民の支持を集められず、一部で揚げ足取りしかしないと言われているような野党と似たり寄ったりと言われてしまうのではないだろか。