スキップしてメイン コンテンツに移動
 

差別は盲目・妄信から起こる


 オーストラリアで同性婚の賛否を問う国民投票が行われた結果、投票率79.5%・賛成61%・反対38%という結果が出たそうだ。これについてハフポストは「国民は圧倒的Yes オーストラリアで同姓婚の賛否を問う国民投票」という見出しで記事を掲載した。61%が”圧倒的”かどうかについては、個人的には違和感を感じるが、オーストラリア国民の示した判断、同性婚の正常化について好意的な記事の内容は素晴らしいと思う。他人が誰と婚姻関係になろうが直接的な不利益を被ることはないのだし、同性婚を認めるべきか否かというのは思想や宗教的な側面の強い問題だろうから、思想の自由や信教の自由が認められている国家では本来認めるもクソもないというのが自分の考えだ。

 
 記事のコメント欄に、この件について「同性婚は気持ち悪いから認めて欲しくない」というツイートを見かけたことに触れ、気持ち悪いからという理由で認めるなと言うのであれば、そのようなコメント自体が気持ち悪いからそんなことを言う人の存在を認めて欲しくない、要するに遠まわしに国から出て行けとか、死んで欲しいと言われたら、ツイートした人はどう感じるのだろうかと書いた。同性婚を好ましいと思わないことや気持ち悪いと思うことは個人の自由の範疇だろう。しかし気持ち悪いからという理由だけで認めるなというのは、確実に一方的で個人的な思いを他人へ押し付けることになる。これは差別や偏見を正当化しようとする人の多くに見られる傾向だ。
 その後、その自分のコメントを意識したのか、同じ記事に


同性婚は自然の摂理に反するから、気持ち悪いと思うのだ。自然の摂理に反するから、消えてなくなってほしい。

というコメントが書かれた。Wikipediaによれば(自然の)摂理とは、

  • 自然発生的に生まれ、よく均衡が保たれているシステムを神の御業に例える慣用表現。例:自然の摂理
  • 科学者などが上記のキリスト教の概念を模倣して用いる言葉。万物に適用される法則のことを「providence」(摂理)"と呼ぶことがある。(例.重力の法則)
  • 摂理 (神学) - キリスト教における概念で「すべては神の配慮によって起こっている」ということ。英語の"Providence(神意)" に相当する。

とのことで、自然の摂理というのは概ねキリスト教の教えに基づいた価値観のことで、自然の摂理に反するから消えてなくなれということは、言い換えればキリスト教の考えと相容れないから受け入れないという話であり、宗教的・思想的な差別や偏見に基づき他人を排除したいと表明しているということになりそうだ。
 恐らくコメントした人にそこまで宗教的な意識はなく、単に生物的に不自然だから気持ち悪いとか、消えて欲しいと言っているだけなのだろう。確かに同性婚をする者は少数派だ。しかし不自然なことが気持ち悪いなら、人間の営みなんて殆どが不自然ではないだろうか。石油化学工業の発達とか排気ガスによる大気汚染とか、温暖化ガスをガンガン排出することによる海面上昇とか。そんな不自然な環境を受け入れて成り立っているのが現代の社会なのに、同性婚だけ急に不自然で気持ち悪いから消えてなくなれなんて随分と自分勝手な話だ。もし人間が地球を我が物顔に利用する行為も自然の一部だと認識するのであれば、同性愛や同性婚だって少数派ではあるが自然に発生した人間の一側面ではないだろうか。要するにこの場合においては自然だとか不自然だとかなんて何の根拠にもならない。そして私たちの周りに多数ある不自然なことの中には、近代兵器による戦争など他人や地球環境そのものに大きな不利益を与えるものも多い。しかし同性婚は前述したように他人に与える不利益は限りなくゼロに近い。地球環境にも不利益を与えるとは思えない。地球上の人口が加速度的に増えて地球環境を圧迫していることも、地球史的なスパンで考えれば自然とは言い難いし、そんな視点で考えれば、子供が生まれる可能性がない同性婚は地球環境に対する人間の自然な成り行きなのかもしれない。人類だけでなく地球全体規模で考えれば不利益どころか有益である可能性もあるのではないか。

 流石に後半は言い過ぎかもしれないが、それでも「同性婚は自然の摂理に反するから、気持ち悪いと思うのだ。自然の摂理に反するから、消えてなくなってほしい。」という主張の根拠となる”自然の摂理に反する”なんて発想は、一方的で自分勝手な話を押し付けようとしているだけで、合理的な点は全く無いとしか言えない。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。