仏教国・ミャンマー国内のイスラム系少数民族・ロヒンギャへの迫害問題。少なくとも1980年代以前からあった問題のようだが、今年に入って多くのメディアが取り上げ始め、国連や各国の政府などが問題解決に向けた動きを見せているものの、まだまだ問題が解決に向かう兆しがあるようには見えない。11/16、国連の人権に関する委員会がロヒンギャ迫害を非難する決議案を採択したが、日本は棄権したということを複数のメディアが報じた。棄権の理由は「ミャンマー政府が受け入れられる状態でさらなる事実関係の解明を行うことが必要」ということのようだが、核兵器禁止条約に署名しなかった際に示した「核保有国の理解が得られない」という理由と似ている。流石にそんなことはないだろうが、個人的には、核禁止条約に署名しなかった理由の正当性を強調する為に棄権という選択をしたんじゃないか、などと想像してしまった。
この件に関して、自分は決議案の内容を詳しく調べておらず、日本の棄権が正しい判断だったのかどうかについて厳密には判りかねるが、第一印象だけで言えば好ましい判断だったとは思えない。
それよりも自分がこの件で気になったのは、TBSがこの件を報じる際に用いた「国連委、ロヒンギャ迫害決議案を採択 日本は棄権」という見出しだ。
記事の内容には概ね問題はないが、見出しの”ロヒンギャ迫害決議案”という表現は誤解を招く恐れがかなり強いと感じる。前述したように、正確には”ロヒンギャ迫害を非難する決議案”で、見出し化するならロヒンギャ迫害”非難”決議案とするべきだ。”非難”を省略すると、国連がロヒンギャを迫害しようという決議案を採択し、日本はこれを棄権した、とも読めてしまう。勿論前提になる知識を持っている人が読めばそんな風には見えないだろうが、記事に触れる人が前提となる知識を持っているとは限らない。そして本文を読まずに見出ししか読まない人も決して少なくない。だから、たとえ本文を読めば正確な情報が得られるとしても、見出しも勘違いが生まれないようにしておくべきで、必用な文言は省略してはならない。もし文字数制限などでどうしても”非難”を省略しなければならないなら、”迫害”も同時に省略して”ロヒンギャ決議案”などとするべきだっただろう。決して分かりやすい見出しとは言えないだろうが、その分勘違いも生まれ難くなる。
このような見出しが2日経っても訂正されないということは、TBS内部には適切なチェック機能がないんじゃないかという疑問が湧いてくる。それではこの記事だけでなく他の記事の信憑性も怪しいということにもなってしまいかねない。
11/5の投稿でも報道の見出しなどについて、勘違いを生みかねない表現が大手と言われるような新聞やテレビ局などのメディアでもしばしば見られると書いた。 また11/10の投稿では誇大広告や中学生の読解力低下について触れ、10代だけでなく日本人全体の言語に関する能力が低下しているのではないかと書いた。大手の報道にもこのような見出しが用いられるということは、記者やライター・放送作家などの日本語能力も低下しており、更にそれは校閲する側も同様で、チェックも適切に機能していないということの表れだろう。しかも昨今は、書き言葉に用いられるべきでない話言葉が、テレビなどでは頻繁に番組の演出の一環で、そのような日本語能力が充分でない作家やディレクターによって、テロップとして文字化されているし、LINEなど文字コミュニケーションの発達によってその垣根が殆どなくなっているなどの状況もある。確かに言語とは時代に合わせて変化していくものだろうが、勘違いを誘発するような表現を容認することは確実に好ましくない。文筆を生業にする者は出来る限り適切な表現を心がけるべきだ。勿論ある種の効果を狙って意図的に不適切な表現を用いる場合もあるだろうが、それはまた別の話だ。
校閲というチェック機能がある大手メディアですらこのような状況ならば、もうこのような流れに抗うことは出来ないのかもしれないが、政治家・文筆家・記者・作家など言葉を商売にする人々には、社会全体に与える影響も考慮してその責任を実感し、もっと日本語を大切にするように心がけて欲しい。インターネットの普及によって誰でも気軽に情報発信が出来るようになっており、全ての表現者・情報発信者に正確な日本語表現を求めるのは現実的でないだろうが、影響力を持つ者の水準をある程度に保つことは、正確な情報伝達の為にはとても重要なことだ。
現在SNSなどで、自分の意見と異なる報道方針の新聞や記事などを「偏向」などと表現したり、マスゴミなどのネットスラングを用いて、マスコミの信頼感は総じて薄いと罵る者がいる。自分は、そんなことを主張する人の一体どれだけがマスメディアを一切介さずに情報を得ているのか疑問に感じるし、彼らの方がよっぽど偏っているとしか思えないが、その一方で、この投稿で取り上げたような表現をマスメディアが用い、その訂正もなければ、他の記事もいい加減なんじゃないかと疑いを持つ人が出てくるのも当然の成り行きのようにも思える。大手と言われるようなメディアは特に、自分の首を自ら絞めるようなことのないように注意を払うべきだ。