スキップしてメイン コンテンツに移動
 

適切な議論をする姿勢


 先週の金曜日・11/17にやっと首相の所信表明演説が行われ、今週に入って代表質問が始まり特別国会がようやく動き出した。所信表明演説が行われるまでに開会から時間がかかった理由には、その時期に元から外遊が予定されていたこともあるし、所信表明演説以前にも文科委員会が開催されてはいたが、今特別国会開催を前に与党が、これまでの慣例に反する”議席数に応じた配分への質問時間の変更”を野党側に迫り、いまだにこの件についての与野党間の対立が続いており、国会での審議が円滑に進んでいるとはお世辞にも言える状態ではない。この状況を目の当たりにしていると勘繰りすぎかもしれないが、こうやって審議が円滑に行われない状況を作ることこそが政権与党の思惑なのではないか、なんて想像をしてしまう。

 
 この質問時間配分の件については10/31にも投稿している。その投稿と重複する話だが、これまでの与党2:野党8という質問時間の配分は、民主党政権時に野党だった自民党の要求で実現したものだ。党執行部の面子は勿論現在とは異なるだろうが、自分たちの政党が求めた配分を与党側になったら覆そうというのは、それなりに自分勝手な話だ。もうこれだけで自民側の要求は筋が通っていないとしか思えず、現在与野党がその件で対立し、国会での議論が停滞していることの責任は与党側にあると自分には思える。安倍首相・自民党総裁は代表質問の中で野党側から、自民党のトップでもあるのだから事態を収拾するように努める気はないのかと問われると、そんな時は政府と与党は別組織的な認識を強調し、「それは国会が決めること」という旨の発言でお茶を濁している。
 しかし、日経新聞は10/27の記事で、安倍首相が「我々の発言内容にも国民が注目している。そういう機会はきちんと確保していく努力を党にやってほしい」と自民・萩生田幹事長代行へ指示したと報じており、代表質問での首相の答弁と矛盾する。首相が明確に「与党の質問時間を増やすように動け」という文言を発したわけではないようだが、党の幹事長代行に「我々の発言の機会を確保せよ」と指示したということであれば、彼自身が与党と政府の一体性を強く認識し、与党の質問には自分の意向を反映できると考えていることが伺える。さらに”確保”という言葉に関して、無条件に”増やせ”というニュアンスが感じられる言葉ではないものの、野党側が与党側の質問時間を削ろうとしているのであれば、これまでよりも減らないように”確保”しろ、言い換えれば「現状を維持できるように対処しろ」という指示だということかもしれないが、そんな事実はないのだから、何もしなくても現状を維持できることは明白だ。ということは、この場合の”確保”は、これまで以上に時間を確保しろ、要するに”増やせ”と言っているということになるだろう。これでは答弁の内容と矛盾すると指摘されても仕方がない。
 
 質問時間配分について与野党が折り合わず、審議が円滑に進まないような状況にすること自体が政権や与党の思惑ではないかと思えてしまうのは、前段のような話もその理由だが、臨時国会で議論を行わずに冒頭で解散したこともそう感じさせる大きな要因だ。今回の特別国会についても当初、政権側は1週間程度の会期が妥当という認識を示していたようだが、野党側の要求に応じる形で1か月程度に会期を増やした。そしてその見返り的に要求されたのが、与党の質問時間を増やす方向での質問時間配分の変更だ。


  • 臨時国会の召集要求への対応を即座におこなわず時間をかけ、
  • やっと召集を決めても議論を行わずに冒頭で解散し、
  • 選挙後の特別国会の会期を極力少なく見積もり、
  • 会期を延ばすように要求されると、質問時間配分をの変更を見返り的に要求し、
  • それについての対立が折り合わなくても、党の代表は傍観する
これでは議論を前向きに行おうとしているようには全く見えない。例えばこれのうち1つか2つしか指摘できないようなら、他の理由がありたまたまそのように見えるだけだ、とも考えられるかもしれない。しかしこれだけ続け様に議論に及び腰な姿勢に見えることが続けば、その思いはどんどん確信に近づいていく。「李下に冠を正さず」を心掛けなければならないと述べた人物が、このようなことを繰り返せいていれば、言っていることとやっていることがちぐはぐだと言われても仕方がない。
 首相は代表質問の答弁の中で野党に対して「何でもかんでも反対というようなことでなく、適切な議論が行われることを望む」というような旨の発言もしていたが、筋が通らない要求をしている自分がトップを務めている党の国対委員会ら幹部や、それに賛同している議員たちにも、適切な議論を妨げるなと指摘したほうがよいのではないだろうか。
 首相だけでなく、彼らの積極的な支持者なども、似たように「野党の無駄な質問にはうんざりだ」というようなニュアンスで主張をする者は少なくない。確かに野党にも、先日の文科委員会での維新の議員のように馬鹿げた発言で、適切な議論を妨げようとする者はいる。しかし与党側も、これまで質問される側だった義家元文科副大臣を質問に立たせたり、筋が通らない要求で国会の審議を停滞させたり、それを党総裁が見て見ぬふりだったりと、政府や与党らが野党以上に適切な議論に対して前向きかと言うと、決してそんなことはないと自分は感じている。こんな状況なのだから、適切な議論とか議論に前向きな姿勢を首相自身が、もっと率先して示す必要があると自分は思う。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。