昨日・11/22、ある女性の熊本市議が生後7か月の長男を連れて議会へ出席しようとしたが、市議会の”本会議中は議員以外が議場に立ち入ることはできない”という規則に抵触するということで問答となり、開会が40分遅れたということを複数のメディアが報じ、ネットなどを中心に賛否両論が入り混じり大きな話題になっている。この件については人によって見る視点もそれぞれだし、受け止め方もそれぞれだろう。自分は、子育て対策をもっと適切に行って欲しいという問題提起の方法として、大きな話題になり議論を加速させたことについては、素晴らしいと思う。しかしその反面、誰もが好意的に受け止める訴え方ではないことも事実だし、もう少し根回しというか準備をして手順を踏めば、この件に対しての否定的な意見をもっと封じられただろうし、そのほうがスマートだったのではないかとも思う。議論を加速させたという点では素晴らしいが、意見が真っ二つに割れるような状態を招いたという点で言えば好ましくない訴え方だったようにも思う。
議会事務局側は前述の規則に基づいて「赤ちゃん連れでの着席は規則違反にあたる」という見解を示したようだが、規則がどうかは別として、なぜ子連れでの議会への出席が適切とは言えないのかといえば、赤ちゃんは突然泣き出すこともあるだろうし、急に具合が悪くなることもあるかもしれない。そのようなことになれば議会の円滑な進行は確実に妨げられるだろうし、また、母親議員が赤ちゃんのことを気にしながら議論を適切に行うことが出来るかどうか、ということについての懸念を感じるという見解もあるだろう。確かに、世間一般では子連れで出勤しても問題ないという仕事・企業は殆どない。何故かと言えば、やはり母親もその周辺で働く者も仕事への集中が出来ないかもしれないという懸念があるからだと思う。そして仕事の内容によっては、例え集中力を阻害されなかったとしても、例えば大きな音がずっとしている工場とか、消火活動や救助活動などを危険な場所で行う職業の場合などは、子供が居るべき環境でないから子連れ勤務が認められないということもあるだろう。議員の子連れ出勤に関して言えば、後者のように子供に悪影響が及ぶような心配のある場所でも仕事内容でもないと思う。
ニュース番組で放送されていたこの件についての街頭インタビューで、あるおじいさんが「議会は神聖な場所だから(子供は連れてくるな)」と言っていた。このおじいさんは要するに”議会は子供がいるのに相応しい場所ではない”と言っているのだろう。”子供が泣き出したり、騒いだりすることもあるから、議論の効率を高める為、どこかに預けて面倒を見てもらったほうがいい”ということなら話は分かるが、効率を度外視すれば子供が居ても議論はできるし、議会は子供を連れてくると虐待になってしまうような場所でもない。そして神聖な場所だから連れてくるなという言い方だと、まるで子供は卑しい存在とか穢れた存在だから議会に入るべきではないと言っているように聞こえてしまう。恐らくおじいさんはそんなことまで意識はしていないだろうが、心のどこかで子供は邪魔な存在と思っているのだろうと想像してしまった。
この人がそこまで言うかどうかは分からないが、この類の発想を持っている人が、うるさいから保育園を近所に建てるなとか、公園では静かにしろだとか、邪魔だからベビーカーを電車に乗せるな、などと悪びれずに主張するのだろう。
日本は社会全体で子供を育てようという意識が他の先進国と比べて低く、親・特に母親に幼児期の子育ての負担が集中しているという話や、それが出生率が上がらない大きな要因になっているという話がある。このような見解に対して、日本では1980年代頃までは確実に家庭・母親主体で子育てを行っており、それは日本の伝統的な文化だから当然のことだというような主張をする人もいる。今も昔も子育てにおいて最も主体的に関わるのは両親、とりわけ母親だと自分も思う。ただ、1980年代以前の日本では確実に今より核家族家庭は少なかったし、今でも近所付き合いを大切にする人は少なくないが、当時の方が近所の繋がりの密接度は確実に高かったはずだ。そして何より専業主婦の割合も確実に当時の方が多かっただろう。要するに子育てにおいて母親が最も重要なポジションにいることは今も昔も変わらないが、子育てを含む母親の負担は以前より確実に増えている。母親が外で働くケースは確実に増えているし、労働人口減少対策として国を挙げてそれを推奨している。その一方で、核家族化が進み、子育てを手伝ってくれる祖父祖母や親戚が近所にいないケースは増えているだろうし、近所付き合いの希薄化で、昔の長屋のように近隣住民に頼ることが、出来ない環境になっている場合も多くなっているだろう。母親のするべきことは増えたのに、サポートしてくれる存在は減ったというのが現状だと思う。
何が言いたいのかと言えば、以前とは社会環境が変化しているのだから、共働き世帯・特にその母親へのサポートを高める為に、待機児童問題の解消の為の政策は確実に必要だし、政策以外にも父親ももっと子育てに関わりやすくなるように産休・育休がもっと男性にも認められるとか、子供の都合に合わせた勤務がしやすくなるように、子供が居るいないに関わらず、効率重視に偏り過ぎない意識を誰もが持つような風潮を高めることが必要だと自分は思う。
このような話に対して、母親をサポートできる仕組みは家庭外でなく家庭内に求める方が効率的で、従来の日本的な大家族や専業主婦家庭の復活を目指すべきだという見解を示す人もいる。長期的にはそれも一つの方法なのかもしれないが、それでは労働人口減少問題の改善は見込めず、自分にはあまり良い問題解決の方針とは思えない。
今回の件が、例えば、希望者のほとんどが認可保育所に子供を預けられるような環境が整備されているのに、規則に反する恐れを考慮せずにわざわざ子連れで議会に参加しようとしたということなら、「子供をパフォーマンスに利用するな」と批判されても仕方がないと思う。しかし現実はそんな状況でないし、子育てを理由に仕事を諦める母親は決して少なくない。この母親議員は子連れで議会に参加した前日に「議会中に子供を預ける場所がないので対策をしてほしい」と要望していたが、「議員を特別扱いできない」という理由で却下されたそうだ。これに関しては「それについてはまた後日、ゆっくり話しましょう」と議長に言われただけで明確に却下されたわけではないという報道もあるが、あまり前向きに考えて貰っていなかったことは間違いなさそうだ。
子連れで議会に参加しようとしたのが、母親議員でなく父親議員だったらどうだっただろうか。一般常識が無く議員の資質があるとは思えない、などの強い批判が殺到していたのではないかと想像する。しかし父子家庭の議員もいるだろうし、自分には母親と父親で判断が変わることは適切ではないように思う。これを踏まえて考えれば、手順を踏まずに子連れでの議会参加を行うというアピール方法には問題もあるかもしれないが、子育て中の母親(父親)が、それを理由に仕事上で不利益を被るケースが少なくない社会においては、子連れでの議会参加は効率の面から考えても不適切という見解は、子育て環境が充実している社会でならその通りかもしれないが、現状においては子育て世代や幼児への不寛容な態度の一つであるように思う。
どれだけ子育て環境が充実していようが、都合によって子供の面倒を見ることを仕事より優先しなければならない場合もあるだろう。確かに毎日子連れで議会に参加されると、円滑な議論が著しく妨げられるとも言えるだろうから、そうしなくても済む他のいい方法を考えたほうがベストかもしれない。しかし例えば何かしらの都合で他に頼めないなど、数日間だけどうしても子連れで議会に参加するということなら、周りも協力してサポートするべきではないのか。それならその数日間だけ休んでもらった方がいいという考えも確かにあるだろう。だが、議会全体で子連れ議員をサポートするという姿勢を示すことで、社会全体に子育てする親・特に母親には積極的に協力するべきだという風潮を生み出すきっかけを作れるかもしれない。そのような方向性の理解が進めば、子育てする親・特に母親の負担を確実に減らせるだろうし、所謂マタニティハラスメントと言われるような、妊娠や子育てをする母親に対して不寛容な態度を示す人を減らすことに繋げられるのではないだろうか。要するに子連れ議会参加(一般社会で言えば子連れ出勤)は有無を言わさず不適当というのは、適切な規則(社会規範)とは思えない。
自分はこのように考えるので、円滑な議論の妨げになるから認めるべきではないという理由であっても、この件に関して全面的に否定的に捉えている人には、子育てする親や幼児への不寛容な態度を感じてしまう。そしてそのような主張が出来てしまうことがこの国の出生率改善を妨げ、少子化問題が改善に向かわない大きな理由なのだろうと想像する。