11/24の投稿で触れた、自民党・竹下総務会長の「事実婚パートナー・同性パートナーの宮中晩餐会出席反対」発言に関する問題。これについて
(親族から)『こんな議論は起こすべきではない』と叱られまして、あっそうかなと思って反省しております。言わなきゃよかったとこう思っております。
と、竹下氏が反省の弁を述べたと、TBS NEWSが報じている。
竹下氏の元の発言は、天皇・皇后両陛下が差別主義者だと世界中から思われかねないという懸念がかなり強い内容だったこともあり、自分にとって断じて受け入れ難い内容だった。しかし、彼が公の場で示した考えなのだから、確固たる信念に基づいた主張なのだろうとも感じていた。ところが実際は、親族に叱られたぐらいで「あっそうかなと思って反省」とか「言わなきゃよかった」と方向転換する程度の思いで差別が強く懸念されるような発言をしていたということだったようだ。
TBS NEWSの記事では「事実上発言を修正」と表現されているが、明確に撤回や謝罪をしたわけでもないし、そもそも撤回したら発言をした事実が消えてなくなるわけでもない。例えば言葉足らずで誤解を招いたというような事案であれば、補足したり発言を修正することには大きな意義があるかもしれないが、「言わなきゃよかった」ということは、言わない方がよかっただけで”私の考えは変わっていません”ということの裏返しでもあるだろうから、結局彼の差別的な思考・志向は今も変わっていないということだろう。
自民党関係者による似たような話が立て続けに起こっている。今度は山本前地方創生大臣が北九州市のセミナーのあいさつで、セミナーを開いた自民・三原衆院議員のアフリカ各国との交流・支援活動に触れ、
三原氏はアフリカが好きで、何であんなに”黒いのが好き”なのか、と思っていた
と述べたと朝日新聞などが報じた。この発言に関して、山本氏は、
アフリカ大陸のことを表現した。差別的なことを意図しているわけではない。表現が誤解を招くということであれば撤回する。
という見解を示したようだ。また、事務所の関係者は取材に対して”黒いのが好きなのか”という文言は”黒いところのこと(場所)が好きなのか”という意味で、「アフリカ大陸が「黒い大陸」「暗黒大陸」と表現されたことが念頭にあっての発言で、黒人を指していったわけではない」と説明したそうだ。率直に言って、”黒いところ”なんて表現はかなり不自然だし、子供染みた言い訳にしか聞こえない。
まず、黒人を”黒いの”と表現することが差別に該当するかということを考える。個人的には黒人という表現と、”黒んぼ・黒いの”などの表現に大きな差があるとは思っていない。もし”黒いの”という表現がどんな場合も差別に当たるなら、黒人という表現だって、白人・黄色人種という表現だって肌の色を指し示す表現には変わりないから、差別になってしまうと思う。もしそうならアフリカ系とかヨーロッパ系とか、アジア系という表現を用いるべきだろうが、白人・黒人・黄色人種という表現は絶対的に差別的な表現とはされておらず、用いることも、少なくとも日本では、絶対的なタブーとはみなされない。
ただ、黒人は白人によって奴隷とされた過去があり、当時から黒人を意味する表現が、主に侮蔑として用いられていた。その風潮は今も根強く残っている。黒人を表すBlackという表現には差別的なイメージはあまりないが、同じく黒人を指すNiggerなどの表現はそれだけで差別的な意識があると認識される。黒人という日本語はBlack、”黒んぼ・黒いの”などはNiggerに近い表現と受け止めれば、差別的なニュアンスが含まれると言えるとも思う。
何がそう感じさせるのかといえば、”黒いの”の”の”だろう。確かにこの”の”は「そこのお若い”の”」とか「そこのデカい”の”」など、人を示す場合にも用いられる表現だ。だが、確実にではないが、好意的でない人を指す場合にも用いられる表現”奴(ヤツ)”などと似たニュアンスが感じられてしまう。また、例えば「大きい”の”と小さい”の”のどっちがいい?」のように、人ではなく物を指す場合にも用いられる為、人を”の”と表現すると、下に見ているように受け止められることもある。日常会話なら大して気に留めるようなことでもない些細なことかもしれないが、政治家のあいさつならばもう少し気を使った表現を用いるべきだと指摘されても仕方がないのではないか。
それでも極力山本氏側に立って考えれば、竹下氏の件とは違い、言葉足らずで誤解を招いた事案で、実際は差別的な認識はなかったと考えられなくもない。しかし、弁解で用いた「黒いところ」のことだったという話が、嘘臭さを更に再確認させる大きな要因になっている。単に”黒いの”と言った場合に、多くの人は”黒いところ”なんてニュアンスを感じ取れないだろう。確かに「広い”の”がいい」など、”の”は”ところ”の代わりとして用いられ、場所を示す場合もある。だが、アフリカ大陸が”黒いところ”などという不自然な表現で指し示されることは殆どない。”黒いの”という表現が黒い場所という意味で用いられたなんて受け止められる人、そしてそれが、アフリカ大陸が暗黒大陸と呼ばれていたことを理由に、黒い場所だと言っているなんて察することが出来る人が一体どれだけいるだろうか。
それ以前に、未だにアフリカ大陸を暗黒大陸なんて思っていること自体が、自分はアフリカ系の人々やアフリカそのものに偏見を持っていると言っているようなものだ。そう呼ばれていた事実があるのは確かだし、場合によってはそのような表現が用いられることもあるだろうが、政治家のあいさつで用いる表現に適しているかと言われたら、そうではないと多くの人が感じるのではないだろうか。要するに、山本氏はまず”黒いの”と口を滑らせ、そしてそれは”黒いところ”だったと子供染みた言い訳をすることで、恥の上塗りをしている状態だ。
山本氏の発言については、前述のように言葉足らずで誤解を招いたというような事案と思えなくもないから、撤回や修正、勿論子供染みた言い訳などではない適切な説明があればだが、それで事態を収めることが出来るような事案かもしれない。しかし彼は、今年(2017年)の4月にも「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」という発言でも問題視されていた。要するに彼が今回たまたま言葉選びを間違えたのではなく、政治家・国会議員として重要な、言語表現能力が根本的に欠けているタイプの人間であるということなのだろう。しかも今回に関しては、女性のスカート内の盗撮容疑で捕まったある有名コメディアンが、「ミニにタコ」というネタを撮りたかったなどと言い訳したのと大差ないレベルの、どうしようもない言い訳をしている。これが大臣経験者なのかと思うと、かなり残念な気分になってしまう。
竹下氏のことを書いた投稿で
自民党も、差別発言を繰り返す長谷川氏や偏見を隠さず暴言を連発する足立氏などを、未だに抱えたままの維新と大差ないと指摘されてしまうのではないかと危惧する。
と書いたが、そのような懸念は山本氏の件でさらに高まったと言わざるを得ない。また、失言とは、Googleによると「言ってはいけない事を、うっかり言ってしまうこと。また、その言葉」だそうだが、この二人の発言は結局のところ、思っていることがうっかりそのまま口をついて出ており、撤回しようが修正しようがその思いは変わらずそのままだ、と思える要素が見え隠れする。彼らの本音が示されたという点では有意義な話かもしれないが、そんな人たちが政権を担う与党の要職を務めていたり、つい先日まで大臣をしていたのかと思うと、自民党や政府内にはそんな発言が許されるような空気が蔓延しているのかもと想像してしまう。
たった二人のことで自民党や政権全体にレッテルを貼るなという声もあるだろうが、ならば自民党や政府が彼らに適切な対応をすることで、そうではないことを示すべきだろう。彼らが日本の政権与党内部でそれなりのポジションにいる・いたこと、政治家として不適当な考えを示したこと、現時点ではそれに対する政府や自民党の対応は何もないことは事実だ。日本の中枢にいると言っても過言ではない人々がこんな調子では、日本社会に存在する差別や偏見は一向に解消しないだろうし、そんな大人を見て育つ子供たちが全員、いじめをしてはならないと心の底から感じるようになることもないだろう。不公平のない社会の実現なんて夢のまた夢だ。