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予算委員会始まる、質問時間配分について


 昨日・11/27から特別国会の予算委員会が始まった。臨時国会は議論も行わずに解散してしまったのに、今国会召集前は与党側には予算委員会を開く意向もなさそうに見えた。議論開始までに召集から時間がかかった理由は、元々予定されていた首相の外遊などのスケジュールがあったこともあるが、10/31の投稿でも触れたように、質問時間の配分について与党側が、自身が野党時代に要求して慣例化していた2:8の配分を、自分たちの時間配分が増える、議席配分を考慮した5:5に変更したいと要求し、与野党が対立し折り合わなかったことも関係している。元々今国会で与党側が議論を行おうという姿勢を見せなかったのは、「議論の場を用意しろという要望は認めてやるが、あなたたちがしゃべる時間は減らすよ」と野党側に言うためだったように自分には思える。実際にそうだたったか否かを確認する術はないが、少なくとも謙虚に丁寧な説明を政権与党側がしようとしているようには見えない。
 11/15に行われた文科委員会では野党側が譲歩して1:2の配分となり、この予算委員会でも、先に行われた文科委員会とほぼ同じ比率で、与党5時間に対して野党9時間の配分と、野党側が譲歩して委員会が開催されることとなった。昨日は質問の大半が与党側の議員に配分され、野党側の質問は立憲民主党の長妻議員の1時間だけだった。こう書くと、昨日の審議時間の内訳が、野党側1時間では与党5:野党1で野党側が全然少ないじゃないかと思う人もいるかもしれない。しかし予算委員会はこの日1日でなく、今日は野党議員が中心となって質疑が行われる。

 
 10月の選挙後の会見の中で首相は、「森友・加計問題について、国民の理解は十分に得らたと考えているか?」という旨の質問を受けて、「通常国会や閉会中審査の全ての審議を見た方は、適切に進められていたことを理解して頂けたのではないか?」という旨の返答をしていた。また、ネット上でも森友・加計問題について疑念を今でも感じるという主張に対して「国会審議に全部目を通したのか?」などと反論する人もいる。国会審議はテレビだけでなく、ネットなどでも動画配信が行われているし、公的な議事録開示には時間がかかることも多いが、メディアや有志によって即時、遅くとも翌日までには文字起こしもされるので、リアルタイムで見ることが出来ない人でも全てに目を通すことは出来る。家庭用録画機器が普及する以前・ネットが普及する以前に比べれば、確実にそれを実行しやすい環境にはなっている。
 しかし問題はそれに掛かる時間で、1日あたり6-7時間にも及ぶ審議、例えば今特別国会の衆議院予算委員会に限定しても与野党合わせて約14時間、参議院を合わせれば更に長くなる。しかも通常国会では更に会期も長くなるし、他の委員会も含めればその合計はかなり膨大になる。退職して日中テレビの前にずっといることが出来る人や、政治ウォッチがメインの趣味になっている大学生などを除けば、そんな余裕のある人がどれほどいるだろうか。特に参政権を持っている社会人などは日中殆どの人が働いているだろうし、長時間労働が社会問題化して久しく、個人の趣味にかける時間など余暇の充分な確保もままならないような社会環境の中で、国会審議の全てに目を通す時間を確保する余裕なんてほぼない。それをやれというのは確実に非現実的だ。文字起こしを読むことで審議に目を通すのに掛かる時間を圧縮することは出来るだろうし、「審議を全て見たか?」と詰め寄る人も、国会の全てを最初から最後までまんべんなくという意味ではなく、話題になっていることについての審議の一部始終という意味で言っているのだろうが、それでも全部を読んでいる時間があるなら他のことに時間を使いたいと思う人の方が多いだろうし、そこまでの時間・気力に余裕のある人は中々いない。だから多くの人は、審議の要点を掻い摘んで要約してくれる新聞・テレビなどのメディアに頼らざるを得ない。
 流石にそこまでは誰も言ってはいないかもしれないが、もし全ての審議に目を通さなければ、政治に関して意見する権利はないと言うのなら、それはもう現代的な民主主義とは言えないだろう。現在の日本の状況を、古代ギリシャ・アテネの市民による直接民主主義などと同じように考えるのは適切とは言えない。

 というのが持論だが、昨日の審議に関しては、閉会中審査以来の予算委員会での議論だし、幼児教育無償化の問題、森友学園の国有地売却に関して会計検査院が懸念を示したこと、質問時間配分の問題、与党議員による差別的な思考を色濃くにじませる発言が続いたことなど、気になる点も多かった為、目を通してみようかと思い、NHKの中継を録画して見てみることにした。しかし、いざ見始めてみると、自民・公明ら与党議員の質問は冗談が飛び交うようなムードで、質問時間配分を増やす要求を行った直後でもあるから、今までに比べれば野党的な厳しめの視点での質問も織り込まれてはいたものの、トータルでは今までと変わらず予定調和で笑いながら雑談している、という印象の方が強かった。議論は真剣にやれ、一切笑うな、冗談など交えるな、などと言うつもりはないが、言葉は悪いが、緊張感の薄い茶番劇のようなものを流石に数時間分も見る気にはなれず、質問者交代の前後や、何を話しているかを数分毎に確認する以外は殆ど早送りしてしまった。彼らの議論には全く意味がないと切り捨てることは当然出来ないが、果たして行政権へのチェック機能が本当に適切に果たされるのか強く疑問を感じた。これが与党側の質問時間を増やしてやりたかったことなのだろうか。自分には貴重な審議時間を浪費しているように思えた。
 昨日の最後に質問に立った立憲民主・長妻議員については、1.3倍速再生ながら全て目を通したが、多くの部分で質問と首相の返答がかみ合っていなかったように見えた。確かに、批判される首相側にも言いたいことはあるだろうから、質問している側が想像する以上に首相の答弁が長くなることもあるだろう。しかし、それにしてもそちらの方にばかり重点が置かれていて、弁明はするのに結局質問されたことには明確に答えずに、はぐらかすという場面がこれまで同様多かった。答弁の基本は”聞かれたことに答える、聞かれていないことを話して質問時間を削るような時間稼ぎをしない”なのだから、質問に明確に答えることは大前提だ。補足をするにしても、まず聞かれたことへの明確な返答をしてから、それについての補足をするのが分かりやすい答弁と言えるのではないだろうか。その姿勢があまり見えない安倍首相や官僚らの答弁に、一体どれほどの人が首相の言う”謙虚な姿勢”を感じられるだろう。
 一方の長妻議員も長妻議員で、切り返しが下手というか、安倍首相にはぐらかされると、相手の話のまずい部分を適切に指摘しきれていないというか、時折感情的になっているようにも見えて頼りない印象が拭えなかった。このような質問姿勢も、一部の人が「野党は下らない質問ばかりする」と批判をする一因になっているのだろうな、とも想像してしまった。

 前置きが長くなってしまったが、長妻議員は質問の中で、自民・萩生田幹事長代行が、首相から「これだけの民意を頂いた。われわれの発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう。その努力を党もやって欲しい」という指示を受けたと述べ、メディア各社がそれを”質問時間変更を首相が指示”などと報じたことと、先日行われた本会議の代表質問の中で、首相が「質問時間配分に関しては国会がお決めになること」という旨の答弁をしたことは矛盾するのではないかと追及した。
 これについて、首相は

ファクトを申し上げます。
私は指示しておりません。第三者がいないのですから、一方の当事者の私が指示していないとはっきり申し上げておきます。
萩生田氏は、先般、NHKの日曜討論で「総理から国会の運営については指示があったというのは全くの誤報です。国会のことは国会にお任せしたいと前置きした上で、私の説明に一定のご理解を受けた」と述べているわけであります。
つまり、萩生田氏が私に説明をし、私は聞いていたというわけであります。


と答弁を行った。これは蛇足かもしれないが、小池氏を真似て”ファクト”などと横文字を頑張って使おうとせず、真実とか事実という日本語表現があるのだから、日本語話者の誰にでも分かりやすいように完全に外来語化(日本語化)している横文字以外は、日本語を優先して欲しい。それは別として、要するに首相は、

懸案の発言は私(安倍首相)と萩生田氏の二人だけしかいない場面でのことだから、メディアが何と言おうが真実を知るのは私たち二人だけ。
私が積極的に指示したのではなく、萩生田氏から「質問時間配分の変更を提案しようと思いますが、どうですか」と聞かれたから、国会のことは国会にお任せしたいと前置きした上で「是非やりなさい」と言ったということが事実だ。
これは私だけでなく、もう一人の当事者・
萩生田氏もNHKの番組でそう言っている。

という認識で、”質疑時間変更を首相が指示”という一部のメディアの見解は正しくないということなのだろう。しかも正しくないどころか、萩生田氏の言葉を借りて安倍首相自身も誤報・明確な間違いだと示唆している。問題は国会のことは国会にお任せしたいと前置きした上で、「これだけの民意を頂いた。われわれの発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう。その努力を党もやって欲しい」と言ったという部分で、報道のニュアンスと実際のやり取りは異なっていたということが事実だとしても、事実を想像し難い、誤解を招く表現を萩生田氏がしたことも事実だろう。であるならば、誤報なんてのは言い過ぎではないだろうか。

 何にせよ、萩生田氏が示した首相の発言の内容に間違いはなさそうだ。もし、首相の発言が萩生田氏から提案を受けてのことだとしても、提案に対して首相が「是非やりなさい」と言ったのなら、結局は首相も”そうするべきだ”という意向を示したことには変わりなく、「国会がお決めになること」という代表質問での答弁、この発言の前にしたとされる前置きと食い違う。「国会にお任せしたい」と考え、そう釘を刺すように前置きするような人が、その直後に「是非やりなさい」というニュアンスを示したなんて説明では、実際の状況を正確に表しているとは考え難い。何故ならそれら2つは首相という立場からすれば、方向性として相反する思考だからだ。彼が与党のトップであることを考慮しても、「国会がお決めになること」という思いが強いなら、「是非やりなさい」というニュアンスの発言は出ないのではないか。
 首相だけでなく萩生田氏の視点からも考えてみよう。実際に萩生田氏がNHKの番組で後から加えて説明したような会話の一連の流れがあった可能性は全くないとは言えないが、もしそれが事実だとしても、前段と同じ理由で、首相の前置きとその後の発言のどちらかは建前だ感じるのではないか。そして萩生田氏が前者が建前だと受け止めたから、首相に「これだけの民意を頂いた。われわれの発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう。その努力を党もやって欲しい」と伝えられたと記者に対して述べたのだろう。萩生田氏がこの件でメディアの取材を受けた際に、「国会のことは国会にお任せしたいと前置きがあった」というニュアンスも同時に示していた可能性がないとも言えないが、もしそのような表現を萩生田氏が本当にしていたのなら、どこか1社くらいはそれを伝えるメディアがあるのではないだろうか。そのようなことを萩生田氏が実際に言っていたのに全てのメディアがその部分を省いて報じているなら、萩生田氏や首相には報道したメディアに対して明確な訂正を求めて欲しい。前述のように私たちは政治に関する情勢などを知るのにメディアに頼らざるを得ないのだから、不正確な報道を大手メディアが揃いも揃ってしているようなら、積極的に訂正を要求して欲しい。
 
 確かにメディアが”指示”と表現したことは厳密にいえば語弊があるのかもしれないが、彼らの後付けとも思えてしまう言い分が通用するなら、メディア側も積極的な指示ではないが、それでも消極的な指示には該当するのではないか、などと主張するだろう。要するに萩生田氏や首相の言い分はそんなレベルの低い話にしか聞こえない。例えば、萩生田氏の提案に対しての首相の発言内容から、「自分は首相という立場でもあるから、それについては関与できないので党内で決めて下さい」というようなニュアンスが少しでも読み取れるようなら、首相の言い分にも妥当性が出てくると思う。しかし、どう読んでも萩生田氏が示した首相の発言は「何とも言えない」ではなく「是非是非やってくれ」だ。
 報道された後に「口を滑らせた」と思った萩生田氏が、若しくはそう感じた首相が指示し、このニュアンスを和らげる為、苦し紛れに「国会のことは国会にお任せしたいと前置きした上で」という話を後付けしたのではないかと思えて仕方がない。結局その会話は二人だけでしたのだから、なんと説明しようが嘘だと証明されることはないと高を括っているのではないか。
 流石に前段の話は単なる想像でしかないと一蹴されるだろうが、それまで書いたように追及されれば、首相は、”国会のことは国会にお任せしたいと”という前置きは首相として、「これだけの民意を頂いた。われわれの発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう。その努力を党もやって欲しい」は自民党総裁という立場を重視して発言していたなどのニュアンスを匂わせるかもしれない。だが、そんな恣意的な立場の使い分けが果たして許されるだろうか。もしそのような立場の使い分けがされるのなら、それは政府と与党の一体性を体現することでもあり、政府と与党の一体性が強いということが強調できれば、与党では政権へのチェック機能が適切に働かないかもしれないという懸念の大きな要因にもなる。それは、与党側の提案によって野党側の質問時間配分が減らされるべきではないということに繋がるのではないか。
 
 長妻議員には、どうせ追及するならこれぐらいの質問をして欲しかった。もしかしたら議員も同じようなことを考えているのかもしれないが、自分は昨日の彼の答弁からそれを読み取ることが出来なかった。

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