11/28、朝日新聞が「『PCは他人から借りられる』生活保護費の返還を命じる判決 東京地裁」という記事を掲載した。ネット上では、PCは他人から借りればよい物、要するに生活必需品とは言えないというニュアンスを、裁判官が示したという点だけに注目した議論が盛り上がっているように思えるし、今朝のMXテレビ・モーニングCROSSも、同様にその点だけをクローズアップして伝えていた。朝日新聞の見出しはそれ以外の「生活保護費の返還を命じる」という情報も含まれてはいるのだが、この表現は少し分かり難いし、裁判官がPCは他人から借りればよい物というような見解を示したことのインパクトがあまりにも強すぎて、その部分を考慮しない議論が盛り上がってしまっているのだとも思う。
確かに裁判官が示した見解と生活保護費の返還という話は、少し毛色の違う話かもしれない。しかし裁判官が示した見解は、生活保護費の返還に関する争いについて示されたものなのだから、それも認識した上で議論する必要性は確実にある。
朝日新聞の記事には、
生活保護法は余分に受け取った保護費の返還を求めているが、国の通知で、「自立更生の出費」は免除できると定めている。
判決は9月21日付。判決によると被告は東京都東村山市で一人暮らしをしている女性で、2011年11月に甲状腺の手術を受けた後、仕事のあてがなくなり12年2月に生活保護の受給決定を受けた。同年5月から13年5月までに、計122万円を受給した。
だが、女性が12年3月から半年あまり派遣会社で働き、収入を得たことが判明。同市は約73万円について返還を求めた。女性側はパソコンの購入費は「自立更生の出費」にあたると主張。「求職活動や収入申告に必要だった」として返還は不要と訴えた。
という記述がある。自分は見出しだけでなく、記事のこの部分を読んでも最初どんな流れの話なのかイメージ出来なかった。誰もがそう感じるわけではないかもしれないが、伝えたいことがよくわからない文章だと感じた。他にこの事案を扱った記事がないかと検索したところ、この裁判で被告の弁護を担当した弁護士のブログに、関連する投稿があった。そちらの方が確実に分かりやすく、一読しただけですぐに状況が理解できた。
担当した木村弁護士の投稿を要約すると、
女性は生活保護を受給していたが、手違いで1年間の間に生活保護費が約70万円ほど多く支払われていた。
女性は生活保護費を多く受け取っていたことに気付かず、その中から6万円のパソコンを買い、就職活動などに使用した。
その後保護費の過払いが発覚し、70万円全額の返還を求められたが、パソコンの購入費は就職し自立するのに必要な費用だったとして、返還額から免除して欲しいと主張した。
それに対して、東京地裁は「パソコンは他人に借りることもできるから、自立の為に必要だったとは言えない」などとして、免除の対象外という判断(判決)を出した。
というのが、この事案の大まかな流れだ。
自分も、朝日新聞の記事を最初に読んだ時点では、とりあえず「PCは他人から借りられる」という文言に注目した。パソコン無しで就職活動をする人など今では皆無だとまでは言えないが、パソコンは他人に借りるようなものでなく、就職活動をするにはパソコンがあった方が確実に有利、場合によってはないと試験すら受けさせてもらえない場合もあり、女性が買ったのが20万も30万もする高価なゲーミングPCなどでなければ、問題はないと感じた。朝日新聞の記事に記述はないが、木村弁護士のブログの記述からパソコンの価格は6万円だったことが分かる。しかし一方で、一時的にでも働いていたのに生活保護を受けられるものなのか?という疑問も湧いていた。
その後木村弁護士のブログを読んでしっかりと事の顛末を理解し、やはり彼女の生活保護費の受給にはある程度問題があり、それを前提にパソコン購入費用の扱いをどうするべきかという話なのだということを確認した。もし、彼女が生活保護費を意図的に多く受け取ろうとしたということなら、パソコン購入費用についても返還を求められても仕方がないだろうが、朝日新聞の記事や木村弁護士のブログを読む限りでは、そのようなことを裁判所が認めたという事実はないようだ。また、女性がもし就職が決まった後に生活保護費でパソコンを買っていたなら、自分のお給料で買いなさいと言われるかもしれないとも思えた。しかし、その点について裁判官が異論を示していないようなので、恐らく領収書か何かによって彼女が就職活動の為にパソコンを買ったことは認められているのだろうし、裁判官が「(就職活動に必要でも)PCは他人に借りられるから、免除は認められない」という見解を示したことからも、就職先決定後にパソコンを購入したわけではなさそうだと判断できる。
裁判官が、パソコンの購入費を返還される額から免除の対象になると判断しなかった背景には、この女性が必要以上に生活保護費を受け取っていたことがあるように思えてしまう。要するに、「定かではないが、意図的に不正受給していた恐れもあるのに、パソコン購入費用を免除しろなんて、ふてぇ野郎だ」的なニュアンスを感じてしまう。勿論そんな見解を露骨に示したという事実はおろか、暗に匂わせたという報道や指摘も一切ないが、そのように見えてしまう理由は、やはり「PCは他人に借りられる(から就職活動に必要なものとは言えない)」ということを、免除の対象にならない理由に挙げたことだ。
冒頭では、「前提として、余分に受け取った生活保護費の返還に関する話だということを認識しなければならない」と書いたが、そんな前提があろうが無かろうが、やはり裁判官の示したこの考えは明らかに時代錯誤としか思えない。
20年前にこのような判断が行われたのなら、まだ分かる、いや、20年前でも既に新卒就職活動ではパソコン必須と言われ始めていた頃だし、パソコンを持っていないことが就職活動に全く影響しなかったのは、Windows95登場以前、大体25年前くらいまでだろう。それでも20年前はまだまだパソコンの普及率はそこまで高くなかったし、生活必需品とまでは言えず、贅沢品という認識が強かったかもしれない。しかし今では確実に生活必需品だ。
パソコンを自動車に置き換えて考えればもっと分かりやすいかもしれない。昭和30年代、自動車が絶対的に贅沢品だった頃は、どこに住んでいようが生活保護費で自動車を買うなんて以ての外と言われて当然だっただろう。現在でも都会では生活に欠かせないものではないが、バス停まで歩いて1時間掛かるとか、1日に1本しかバスがない地域などでは、買い物、通院、行政サービスを受ける為など確実に車は必要で、無ければ生きていけない。しかも地方の公共交通機関は過疎化による廃業・廃止が進んでおり、車がないと生活が立ち行かない地域は広くなっている。
この件に関しては話の前提となる「過剰に支払われた生活保護費の返還」という話は大して重要じゃない。しかしそれでも、インパクトのある「PCは他人に借りられる」という部分にのみに注目し、前提を度外視してこの事案を語るのは絶対適切ではない、何故ならそれをするということは、何事もインパクトのある部分だけにしか注目しないということの証明だろうし、それをすると判断を誤ってしまう案件だって多くある。
しかしこの事案に限って言えば、「PCは他人に借りられる」という見解は、どのような話の流れで示されたのかに関わらず、その見解・認識自体が不適当なもので、それを裁判官が示したというのだから、司法機関への不信感を高めるような事案だったということには間違いない。裁判官が一体何歳ぐらいの人物だったのか。全然容認は出来ないが、定年間近なら話はまだ分かる。しかし、もしこの見解を示した裁判官が45歳以下なら、日本でこれから裁判を受けても、適切な判断をしてもらえないのではないかという懸念はより高まってしまう。