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報道で扱う話題の優先度


 テレビの報道・情報番組は多数ある。以前知り合ったドイツ人が「日本のテレビは情報番組と刑事ドラマが多すぎ」と言っていた。その言葉を聞いた際は「そんなことない」と思ったが、夜7時から深夜帯以外、平日の朝4時頃から夜7時までの番組表を見てみると、確かにその大半はワイドショー・情報番組か、刑事物とは限らないがドラマの再放送ばかりだ。刑事もの以外のドラマの再放送もあるが、一番多いのは刑事もの・探偵ものであるようだ。
 テレビ番組の中で最も多いと言えるかもしれない情報番組は、大まかに3つに分けられると思う。NHKニュースのような、芸能・エンターテインメント情報を殆ど扱わない所謂報道番組、朝4-8時・夕方5-7頃に放送される芸能・スポーツ情報なども扱う情報番組、午前8-11時頃・、午後2-4時頃に多く放送されている、芸能関連の話題を扱う場合が多く、政治・社会関連の話題を扱う場合もあるが話題のスキャンダル性を重視する所謂ワイドショーの3つだ。前者から順にシリアス>エンターテインメントと、印象が変わるように自分は感じている。

 
 この数週間、テレビの報道・情報番組を見ていて残念なのは、民放各社の番組が軒並み、日馬富士暴行問題を今最も注目すべき話題であるかのように扱っていることだ。自分の住んでいる関東ではテレビ東京以外は全てこの傾向だ。前述の分類で言えば、本来ワイドショーの守備範囲に該当するような話題なのに、情報番組もトップニュースとして扱い、しばしば報道番組でも取り上げられている。確かに暴行事件と捉えれば、新聞の社会面で扱われるような”事件”とも言えるが、この事案は力士間の(一方的なと前置きするべきかもしれないが)喧嘩、もしくはそれに端を発した相撲協会内の内紛的な要素の方が強くなっているし、テレビ番組の多くはその点を強調するかのような伝え方をしている。ということは、やはりこの事案は本来、芸能・スキャンダルが専門のワイドショーで扱うべき話題で、報道・情報番組でトップを飾ったり、長い時間を割くべきような類の話題ではない、というのが自分が受けた印象だ。
 他に伝えるべき話題がないのなら、日馬富士暴行問題がトップニュースになっていても何もおかしくないが、ここ数日は、北朝鮮がミサイルをまた発射したり、特別国会の衆参予算委員会が開かれ、注目すべき複数の話題が議論されているような状況だ。勿論それらに関する報道が一切ないわけではないが、予算委員会に関しては議論されたいくつかの話題の内、ごく一部しか扱われなていない。それにもかかわらず日馬富士暴行問題をトップにもってきたり、長い時間を割いているのを見ていると、順序が逆なのでは?と感じてしまう。似たようなことはこれまでにもあったが、今回は他に扱うべき話題がこれまでよりも多く重なり、そちらの重要度もかなりの高さであるように思え、特にそんな印象が強かった。
 テレビ番組は放送時間、新聞は紙面のページ数に限りがあり、扱える情報量には一定の制限がある。特にテレビはそれが顕著で、あれもこれもというわけにはいかない。そんな点でも、やはり必要以上に日馬富士の問題に長い時間を割いているのは、適当ではないのではないかと思えてしまう。
 
 以前からそのような指摘はあったが、トランプ大統領が当選した大統領選の前後から特に、米国の巨大メディア、特にテレビ局は、話題の重要性ではなく視聴率を重視して扱う話題を決めている、言い換えれば、企業からもたらされる広告収入、それに直接的に作用する視聴率を重視した収益偏重になっていて、民主主義社会で果たすべき役割が果たされていないのではないか、大手テレビ局の報道は信用できないのではないかという懸念が、大手テレビ局の幹部が、そのような懸念を裏付けるような発言をしていたと報じられたことなどによってますます広がった。
 日本でも同じような傾向があると思う。自分は米国内の状況がどの程度なのかを実際に目の当たりにしたわけではないので、厳密に米国と比べてどうとは言えないが、前段までで説明した話を考えると、大して差はないようにも思えてしまう。これではテレビや新聞などの既存メディアが、ネット上に蔓延る所謂フェイクニュースや恣意的な情報発信を批判する際の説得力は確実に低くなるし、自分の意見と違うだけで偏向報道などと騒ぎ立てるような人に付け込まれる隙を、メディアが自らわざわざ与えているようでもある。
 
 日本の民放局の報道がこのように見えてしまう理由は、前述した番組の3分類の垣根が薄くなっていることにもあるのではないだろうか。新聞では一般紙とスポーツ新聞は明確な区別があるが、テレビ番組にはそれがない。ないは言い過ぎかもしれないが、区別が明確ではなくなっており、視聴者が、自分が見ているのが報道番組なのか・情報番組なのか・ワイドショーなのかが、かなり分かり難い状況だ。毎日見ているような人には分かるのだろうが、あまりテレビを見ない人が見れば、殆ど一緒にされている・なっているように見えるのではないか。例えば、民放各局とも、午前11:30頃から午後0時の30分の間に、NHKニュースのような報道を放送する。実際に番組を見ていれば前後に放送されるワイドショーや情報番組とは毛色が変わった、ということは分かるだろう。しかし、番組表ではワイドショーや情報番組が続いているように表記されている局もある。これは夕方に放送されるニュースでも同様で、報道と情報番組・ワイドショー的な番組が一緒になっており、報道の部分はそれらの番組のワンコーナーに成り下がっているように見えてしまう。
 各テレビ局がどうしてこのようなテレビ番組欄の表記・番組構成にするのかは分からないが、個人的には、広告の獲得・収益ばかり気にしている為にそのようになっているのではないかと想像してしまう。
 
 ここ数年テレビや新聞では、ネットの情報の不確実性を指摘したり、正しい情報の取捨選択が必要だという指摘をしばしば行っている。確かにネットでは誰でも手間もリスクもなく情報を発信できるので、正しくない情報も大腕を振って歩いているのは間違いではない。しかし、ここまでの話を考えると、テレビや新聞が自らその信頼性を損なうような振る舞いをしていることも、ネットで恣意的な情報発信がしやすくなっている理由の一つではないだろうか。
 個人的には、テレビや新聞への不信感が全くないわけではないものの、それでも彼らが扱う情報はそれなりの取材が行われているのだろうから、時には適切な表現が用いられていないと感じることもあるが、真っ赤な嘘・あまりにも大袈裟過ぎる報道・情報は殆どないとは思っている。しかし、日馬富士暴行問題の取り扱いのように、他の重視されるべき(と自分が感じる)情報よりも、視聴率・発行部数ばかりを重視しているように見える報道が、報道番組やスポーツ新聞ではない一般紙でも重視されるようなことが続けば、テレビや新聞を見る必要性はあまりない、と感じるようになってしまうかもしれない。あくまでも個人的な話でしかないが、先週ぐらいからテレビでニュースを見ようと思っても、冒頭で日馬富士の問題が扱われていると、「またか」とうんざりした気分になり、番組自体を見ずにチャンネルを変えたりテレビを消したりしてしまう。

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