「安倍首相がイバンカ氏基金に57億円拠出」と言う旨の見出しを、多少細かい差はあるが大手メディア各社が使用して、”イバンカ氏が創設に関った世界銀行が主導する基金”に日本政府が57億円を提供するということを報じ、見出しが適切ではないのでないかという指摘が相次いでいる。各社が揃ってこのような見出しを使用した理由は、共同通信による配信が大元にあるようだ。共同通信は「首相、57億円拠出を表明 女性起業家支援のイバンカ氏基金」という見出しで報じている。共同通信の見出しは内容を適切に表現していないと自分も思う。ただ、共同通信の配信を受けてそのような懸念を感じず、ほぼそのまま伝えるメディアにもある程度の問題性を感じる。情報ソースを尊重することも必要だが、その情報が適切に表現されているかの確認も必要で、この件に関して言えばそれが足りていないように思える。
この件の見出しへの指摘はいくつかあるが、自分がネット上で見かけたもので多かったのは”首相が資金を出すわけではない”というものと”イバンカ氏の基金ではない”というものだった。最も多かったのは後者で、自分もこちらは確実に正確でないと言い切れるレベルだと感じた。
前者についても首相のポケットマネーでの資金提供ではないのだから、厳密に言えば不正確かもしれない。しかし首相と政府の一体感はかなり強いとも考えられる為、首相の意向によって決まった方針で、資金提供が行われるとも考えられる。この見出しで”安倍首相がポケットマネーで資金提供”と勘違いする人が絶対いないとは言えないが、そう考えるよりも日本政府による資金提供を首相が表明したという受け止めの方が自然だろうから、問題がある表現とまでは言えないと個人的には思う。しかし後者は、イバンカ氏基金とだけ聞いてイバンカ氏が創設に関った基金という印象は想像し難い。創設に関ったことを評価され正式に、若しくは通称でもイバンカ基金と呼ばれているならば問題はないだろうが、そうでないので不正確な印象を拡げかねないと言われても仕方がない。
このような不正確な見出しはネット普及以前から、商業的な動機を背景に週刊誌やスポーツ新聞などで使われていた。例えば東スポのように”東スポの見出しはそれ自体がネタ”という認識があるのであれば特に大きな問題にはならないだろうが、購買を強く促すことを目的に、羊頭狗肉的に内容と乖離した見出しを掲げることは、線引きは難しいものの問題性はあるし、しばしば指摘されてきた。
ネットが普及してからは、そのような恣意的な誇大表現や印象操作とは別に、Yahooニュースの見出しのように少ない文字数に情報を押し込もうとした結果、不正確な見出しの表現になってしまっているケースもしばしば見かける。最近ではこのような傾向がNHKや民放のニュース番組でも見受けられる。冒頭で紹介した見出しも、恣意的な印象操作というよりも後者のケースであると思えるが、それでも不正確な見出しであることには違いない。
この件についての感想をネットで見ていると、内容を読めば正しい情報を得られるのだから大きな問題ではないという主張も目にする。確かにそのような人もいるかもしれないが、見出ししか読まない人の存在も考慮する必要があるだろうから、そのような意見に賛同する気にはなれない。
自分は以前小売店で使うPOPを作る仕事をしていたことがある。その際に強く感じたのは”客がPOPをじっくり見ることの方が稀”だということだ。殆どの客は目立つように書かれた商品名と価格ぐらいしか見ておらず、その他のことについては端書があっても、多くの場合自分に都合の良い解釈をしたり無視したりする。不動産や自動車の購入、ウェブサイト利用時の会員登録などの時に提示される契約書・確認文などでも同じようなことが言えるだろう。だから適切な説明をせずに消費者や利用者に不利な条文を契約書に潜ませるといった手法によるトラブルが後を絶たないのだと考える。
このような傾向は報道に関しても同様で、例えば新聞を隅から隅まで一文字も漏らさず全て毎日読む人はかなり少ないだろう。多くの人が興味がある記事はしっかり目を通すが、そうでない記事は太文字の見出しだけ、もしくは冒頭だけ、気になる部分だけを探して流し読みをしていると思う。ネットのニュースサイトを使う時も同様で、全ての記事を上から順にクリックして読む人なんて殆どいないだろうし、ネットニュースではクリックしなければ見出ししか見えないのだから、多くの人は見出しだけで読むか読まないかを判断しているはずだ。ということは見出しの重要性は以前にも増して高くなっているとも言えるだろう。
このように考えれば、”本文で適切に説明していれば見出しは少々乱暴でも構わない”とは全く思えない。
週刊誌、新聞、テレビ、ネットニュースサイトなど、どのメディアも資本主義社会の中では、利益を上げなければ存続することが出来ない為、その多くは利潤の追求を目的に活動しているはずだ。ネットメディアに関して言えば見出しでクリックしてもらうことが利益に直結するのだから、興味を惹く見出しをつけることは必ずしも悪いことではない。しかし興味を惹くこと、言い換えれば利潤の追求を重視しすぎて、不正確な見出しを多用するようなことがあってはならない。冒頭で紹介した見出しは不正確な見出しという程度で済むレベルかもしれないが、そのような見出しが常態化すれば、場合によってはフェイクニュースと同じような悪影響になってしまう恐れもある。
各メディアには、娯楽要素の強い記事は別にしても、政治や経済・社会情勢などに関する記事では、本文だけでなく見出しも、そのセンセーショナルさよりも正確さを重視するように心がけて欲しい。