先月の衆院選が突然行われることになった主な理由は、安倍首相が急に、予定されている消費増税分の使い道変更を主張し、その是非を国民に問う為に選挙が必要だとして、憲法によって国会議員の一定数の要求があれば臨時国会を召集しなければならないという規定があるのに、条文の「召集を決定しなければならない」という文言を曲解し、召集は決定したものの一切議論をせずに解散したからだ。個人的には憲法の精神を曲解し臨時国会で議論を一切行わずに解散したことは、憲法の精神に抵触するかなり不適切な判断だとしか思えないが、別の視点で考えれば(安倍首相の意向を忖度して考えれば)、消費税の使い道変更というのは、そんなリスクを犯して断行せねばならない程、これからの国の行く末を大きく左右すること、憲法の精神の尊重と天秤にかけても釣り合う、若しくはその重要さが上回るような事という判断だったのかもしれないとも考えられる。
消費増税分の使い道をどのように変更したいと彼が訴えていたかと言えば、「これまで増税分は財政健全化の為に充てるとしていたが、一部の使途を幼児教育の無償化など福祉政策の充実の為に充てると変更したい」という旨の主張をしていた。昨年・2016年2月頃に待機児童問題が大きく取り沙汰された時点では、2016年度末(2017年3月)までに待機児童ゼロを実現するという目標を掲げたのに、その見通しの甘さから待機児童解消は実現出来ずに達成目標を延期したばかりなのに、こんな話を急に持ち出すことは、個人的には臨時国会の冒頭解散・総選挙を行う為の口実でしかないようにしか思えなかったが、流石に全くの口からでまかせとは出来ないだろうし、どんな具体策を示すのか興味深く思っていた。
昨日・11/5メディア各社が、”幼児教育の無償化について、認可外保育園の利用は対象外とすることを政府が検討している”と報じている。これを見た自分の第一印象は「流石、主婦のパート代・月25万などと言ってしまう総理と、カップ麺1つ400円と言ってしまう副総理など、庶民感覚から乖離した政府の的外れな話」というものだった。確かに続報を待たねば報道の正確さはわからないが、複数の記事を読む限り、検討が行われていることに間違いはなさそうだ。勿論検討を行うこと自体は悪いことでも何でもないが、その検討内容が的外れだという指摘はされても仕方が無いと自分は思う。
安倍総理が消費増税分を幼児教育無償化に充てると表明した時、既に「まず待機児童解消を実現することの方を優先するべきで、その為に必用なのは無償化ではなく保育士の処遇改善などによる人材不足の解消や足りていない施設の増設で、そちらに資源を投入するべきだ」という指摘が一部ではされていたが、認可外の利用は無償化対象外とすることを検討、と聞いてそのような指摘をしていた人たちは、抱いていた懸念が的中してしまったと感じたのではないだろうか。
認可外保育園は裕福な家庭がより良い保育環境を求めて利用している場合もあるだろうが、認可保育園に入れない、子供を入れられない親が高負担を泣く泣く受け入れて利用している場合も決して少なくない。認可保育所が充実し、希望者が全員が入園できる状況が実現できているなら話は別だが、このような現状で認可外保育園の利用は対象外とされたら、認可保育園に入園させられた親と、させられなかった親の間の不公平感がより一層高まると政治家や役人は考えられないのだろうか。もし考えられない、若しくはそれも止むを得ないと思っているようなら、一般的な庶民の感覚と大きく乖離していると言わざるを得ない。
安倍総理は消費増税分の使途変更先に”高等教育の無償化”も挙げている。連立を組む公明党は選挙戦で私学を含む教育無償化を訴えていたが、認可外保育園をどのように認識しているのだろうか。公立学校だけでなく私学についても教育の無償化を実現したいと訴えているならば、認可外保育園だって当然対象にするべきということになると考えられる。この件に関しては自民党内にも異論はあるようだし、彼らや公明党などがこれからどのような動きをするかは分からないが、結局この程度の具体的な話が無いような”消費増税分の使途変更”なんてものを急に持ち出して臨時国会の冒頭解散に踏み切ったことが、憲法の精神の尊重よりも大事なことだったとは到底思えない。
このような点から政策よりも政局重視で解散総選挙が行われたというイメージを再確認させられてしまう。果たしてそれは結果重視の仕事人内閣とやらがやるべきことなのだろうか。