2013年に過労死していたことが今年になって明かされたNHKの記者の母親が、11/8に行われた過労死等防止対策推進シンポジウムで講演し、その全文をBuzzFeed Japanが掲載している。語られたのは、これまで他の過労死・過労自殺事件で遺族ら関係者が語った内容と殆ど変わらないような話で目新しさはないが、それはどれだけ過労死・過労自殺事件が繰り返し起ころうとも、状況が殆ど改善されていないことの裏返しでもある。過剰な経済最優先とやりがい搾取が横行しているにもかかわらず、努力・我慢を美徳するような風潮によって、それらの決して小さくない負の側面から、雇用者側だけでなく労働者側も含めて社会全体が目を背けているように自分は感じる。
記事の中で最も違和感を感じたのは、
娘は報道記者であり、事業場外みなし労働時間制が適用されていたようで、職場の上司は娘の死後、「記者は裁量労働制で、個人事業主のようなもの」と何度かおっしゃいました。
という部分だ。こんな話がまかり通るなら、いくら長時間労働を是正を念頭において残業規制をしたとしても、結局残業をさせる為に労働者を従業員として雇わずに個人事業主として契約を結ぶという方法で、規制がすり抜けられると宣言しているのと同じではないのか。
自分の経験上の話でしかないが、多くの日本人は「自分の業種・業界は特殊だから長時間労働・過酷な労働条件は仕方がない」という話をしがちだ。なぜそんなことを、場合によっては自慢のようにするのかと言えば、長い時間働く・休まず働く人=努力を怠らないすばらしい人というような感覚を多くの人が持っているからだと思う。この傾向は年長者になればなるほど強く、自分の同世代も20代の頃はこんなことを言っていなかったのに、30代40代になると上の世代に影響されたのか、所属している組織の色に染まったのか、そんな話を躊躇無く、時として自慢げにする者が決して少なくはなくなってしまった。
自分は以前小さな建設関連の会社で働いていた。施主や元受から注文を貰い、現場での作業をそれぞれの職人に発注して物件を完成させる仕事だった。現場によって昼作業の現場もあれば夜作業の現場もあったし、昼夜通しの現場もあった。夜作業の現場の時も割り増し分の給料を貰ったことは無かったし、昼夜通しの現場もほぼどの現場でも自分1人で担当していた。元受が大きな建設会社だと昼夜通し現場の場合は、一応2人以上で担当しなければならないという規則があったが、殆どの場合それは単なる建前でしかなかった。昼夜通し現場でも、自分たちの会社だけでなく殆どの下請け業者は書類上、名前だけは2名報告するものの、実質的には1人しか現場についていなかった。結局この業界でも「この業界ではこれが当たり前」という見解が蔓延していたし、他の会社は分からないが自分がいた会社では残業代・時間外手当なんてものは当然一切もらえなかった。
自分は営業職ではなかったし、予算管理をしていたわけでもないのであくまで想像でしかないが、残業代も貰えず、2人で担当しなければ寝る時間を捻出することも難しいのに1人で昼夜通し現場を担当させられる理由は、注文を取る為に施主や元受に営業職が低い見積もりを出すからだろう。それは自分達の現場に入ってもらう職人に対しての作業賃にも影響を及ぼしているという話を、職人から良く聞かされた。現場では仕様変更や現場調査の不備、その他の突発的な要因で当初の予定通り作業が進まないなんてのは日常茶飯事だった。職人には作業量に応じて作業賃を支払うが、予定通りに行かないと余計な待ち時間を作ってしまったり、余計な作業が発生したりする。場合によっては職人が別の現場に行って帰ってこられるぐらいの待ち時間が発生したり、当初の予定の倍以上の余計な作業が発生したりする。しかしその分の予算を元受や施主が一つ返事で増額してくれるなんてことは稀で、作業は増えたのに予算はそのままなんてことは良くあることだったようだ。当然職人に支払う代金に変更分が殆ど反映されず、当初の見積もり通りなんてこともザラだ。景気のいい職人には払いの悪さを理由にその後取引を断られる場合もあるが、そんなのは稀で、結局立場が弱い職人が泣き寝入りすることの方が多かったようだ。年配の職人は、バブルの頃は職人の方が立場が強く一件当たりの作業賃も全然高かったし、現場も選びたい放題だったと、多少の誇張はあるのかもしれないが、よくボヤいていた。
この仕事をしていた時に感じたのは、自分や自分の会社も施主や元受などによって、少ない予算での受注を強いられたり、その結果長時間労働を強いられるなど搾取されているが、自分の会社も下請けの職人や会社を搾取する側になっているという感覚だった。仕事の内容自体は決して嫌いではなかったし、寧ろやりがいを感じることもあったが、そんな理不尽なシステムの一部に自分が組み込まれていることはかなり大きなストレスだった。
過労死したNHK記者の母親はこうも話している。
未和が亡くなったあと、会社から娘に対して、都議選、参院選での正確、迅速な当確を打ち出したことにより、選挙報道の成果を高めたとして、報道局長特賞が届きました。
自分には殉職・戦死者に対しての二階級特進にしか思えない。命と引き換えに名誉が与えられて一体誰が得をするのだろう、そして誰が喜ぶのだろう。NHKが記者の過労死を勝手に美化して自己嫌悪感を和らげる為、要するに雇用者が自分勝手な理由で賞を送ったようにしか感じられない。
ここでこんなことを書いても結局日本の社会が大きく変わることはないだろうし、それを解決してくれるような政策を政府が主導することもないのだろう。経済最優先の犠牲になる人は努力が足りなかったのだろうか。それとも運が悪かっただけなのだろうか。決してそんなことはないと自分は考える。いつになったらこの国から奴隷制・階級制のような制度が無くなるのだろうか。