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再び高まる森友問題の議論


 昨日・11/30までの4日間、衆参両院で各2日ずつ予算委員会が開かれた。今国会の予算委員会では、10月末に会計検査院が森友学園の国有地売却額の妥当性に疑義を示したことを受けて、森友学園問題に関する質問が相次いだ。このことに関して、ネット上などでは「予算委員会なんだから予算の議論をしろ」とか「そんなことより、北朝鮮問題とか、もっと議論するべきことがあるだろ」などと批判する者もいる。
 まず前者について、予算委員会とは本質的には”国家予算”の使い道について議論する委員会だが、行政は国家予算によって動いているのだから、行政が適切に運営されているかについての話も扱う話題として妥当という見解を基に、政府や行政に関する話ならどんな話でも扱うことが出来るというのが慣例だ。そして森友学園問題は、国有地売却価格の妥当性に関する問題でもあり、今国会で主に議論されているのは、会計検査院が売却価格の妥当性に疑いがあるという点で議論されているのだから、国家予算と確実に関係のある話ではないだろうか。

 
 そして後者に関してだが、森友学園問題が”そんなこと”かどうかも疑問だが、もし”そんなこと”だったとしても、それを加計学園問題と合わせて議論する為に野党側が要求した臨時国会を、議論を一切せずに解散したのは首相だし、財務省が適切に処理したと言っているのだから、これ以上調査も検証も必要ないと抜本的な問題解明に消極的な姿勢を見せ、そこまで言うなら会計検査院に調べて貰えばいいというような態度を示していたのも政府・与党・首相らだ。議論を行うことを先送りしたのだから、この時期・今国会で議論されて当然だし、会計検査院によって問題性が疑われるという調査結果が示されたのだから、すでに議論が充分尽くされていたとは確実に言えない。ならば、なぜそんなことが起こったのかを解明しようとするのはごく当然の話だろう。財務省が国有地を法外に安く特定の個人(法人?)に売却しようとした恐れがあるという話なのだから、「話なげーよ、飽きた。面白くないから別の議論しろ」などと有耶無耶にしていい話であるはずがない。
 また、森友学園問題よりも優先するべき議題として、北朝鮮問題を挙げる者がしばしばいるが、北朝鮮問題を積極的に議論する必要があるということは、政府の北朝鮮問題への対応に懐疑的であるということなのだろうか。どうもその手の主張をする人たちが政府の対応に懐疑的であるとは思えない。野党側だってなんでもかんでも政府に反対するわけではないから、北朝鮮対応策に関して「対話の為の対話では意味がない」という話には賛成できないとしても、現状のミサイル発射への対応がそれほど的外れでないと考えていれば、貴重な時間を浪費しない為に質問しないのはごく当然なことだ。
 
 しかし、一方でそんなことを言い出す人を助長させる要素は、追及している野党側にもある。それは一部の議員が、いまだに首相の妻・昭恵氏を召喚しろと詰め寄っていることだ。会計検査院が8億円減額の妥当性に疑義を示したのだから、現時点では、この件については財務省(近畿財務局)や国交省(大阪航空局)が適切な処理や判断をしていなかったことを重点的に追及するべきだろう。それを追及し、財務省などが適切な手順で処理を行っていなかったことを明確化できれば(と言っても、適切に処理したという言い分で記録を廃棄したようだから、完全な明確化は難しいかもしれない。しかしそれでも都合が悪いから記録を廃棄したのではないか、という疑いを深めることは出来るだろう)、財務省がそのような不適切な対応を行った動機はなんなのかという話になるだろう。そこで初めて学園の名誉校長だった昭恵氏の存在が影響したかもしれないと問題にするべきではないのか。
 こんな話は実際は多くの人が感じているだろうし、昭恵氏の召喚を求めている議員も、それを前提に召喚が必要だと言っているのだと思う。しかし、財務省などの対応が適切だったかどうかの議論がまだまだ充分でないのに、昭恵氏を召喚しろなどと求めると、自民党の積極的支持者らには「ただ単に難癖つけて安倍首相を引きずり下ろそうとしているだけ」に見える恐れがある。というか、そう見えているから、彼らにとっては森友学園問題が他に優先するべき問題がある”そんなこと”に見えるのだろう。森友学園問題が”そんなこと”という認識は自分には一切ないが、下らない批判を避ける為には、追及の仕方を考える必要もある。

 この問題が議論されていた今年の通常国会では、財務省の当時の担当責任者・佐川理財局長らが、一貫して取引は適切に行われたと強調していた。そしてそれについて、政府や首相はその主張を支持し、それを理由に関連する記録の開示や調査に消極的な態度をとり続けていた。
 今回の予算委員会では、複数の野党議員らが、「適切だとしてきたものが適切でなかったのは首相の責任でないのか」という旨の質問を投げかけたが、首相は「私が調べて、私が『適切』とは申し上げていない」という旨の答弁をしている。少し検索してみたが、確かに「国有地の値引きが適切だった」と首相自身が明言したという報道は一切見当たらない。ということは、首相のこの返答は明らかな嘘とは言えないだろう。しかし、
 
財務省が示した適切という認識を前提にしてこれまで政府は対応していたのだから、首相にも責任があるのでは?

と聞かれているのに、

私は適切だと明言していない

と返答しているのだから、聞かれたことに答えていないと言わざるを得ない。そして、明言はしていなくとも、それを前提に再調査は必要ないという姿勢を示し、するなら会計検査院にしてもらえばいい、としていたのだから、財務省の”適切だった”という主張を肯定していたと言える、言い換えれば、間接的には首相自身も”適切だった”と言っていたとも捉えることが出来るかもしれない。そんなこれまでの流れがあるのに、聞かれたことに明確に答えず、答えた内容も苦しい言い訳レベルなのだから、選挙後に彼が言っていた謙虚とか真摯な対応ではないと言われても仕方がないのではないだろうか。

 今回の予算委員会では、会計検査院の調査結果を受けて財務省や国交省側も一部落ち度を認め、なぜそんなことが起きたのかについても、適切な調査を行うのに十分な時間がなかったからとか、売却後に地中の産廃が更に見つかり賠償問題になる恐れを避ける為だったなんてことを言い始めている。しかし、それは誰の責任で行われたことなのかという話はないし、誰かが責任をとったという話もない。財務省の問題なら少なからず財務大臣にも責任はあるだろうし、国交省も同様だ。そして総理大臣はそれらの大臣の任命者、行政府の長なのだから、彼にも少なからず責任は確実にある。もっとも、問題の当初から積極的に対応していれば、各大臣や首相が責任を問われるような問題でもなかったかもしれない。しかし、これまで取引は適切だったという財務省などの主張を理由に、積極的な対応をしてこなかったのだから、その点では責任を問われても仕方がない。
 現時点では首相や昭恵氏の直接的な関与・影響は明らかでないから、辞職までする必要はないかもしれないが、最低でもこれまで財務省などの適切だという主張を肯定し、積極的な対応をしてこなかったことに関してははっきりと認めた上で、何らかの形で責任を果たす必要があるだろう。首相や財務大臣は「これからの対応に活かす」という旨の答弁をしている。それが果たすべき責任ということなのかもしれないし、それはそれで必要なことだろうが、これまで頑なに身内の主張だけを信じ、検証をせず、適切な事態の把握も出来ていなかった人たちが、これまでの経験を適切に活かすことが出来るか、自分には疑問だ。

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