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沖縄・米軍・落下物から考える


 12/7、沖縄・普天間飛行場のすぐそばにある保育園で、米軍機から落下したと思われる部品が屋根の上に落ちてきたという事案が発生したと、多くのメディアが報じた。自分が見たニュース番組では、複数の保育士らが、当時の状況について説明しており、落ちてきたとされる部品は米軍のヘリに用いられている部品の可能性が高いという話が伝えられていた。
 11日、米軍は「普天間飛行場に所属する軍用機から飛行中に落下したものではない」という調査結果を報告し、保育園の屋根に落ちたとされる部品は、軍用機から落下したものではないという見解を示した。毎日新聞の記事によると、米軍は保育園で見つかったものが米軍ヘリに用いられる部品であることは認めたが、普天間基地に所属している同型機の該当部品は全て保管が確認されたとして、米軍機からの落下については否定したようだ。では、保育園の屋根に落ちたとされる部品は一体どこから現れたのだろうか。

 
 そのような経緯を受けてなのか、それ以前からだったのか詳しいことはよく分からないが、当該の保育園には「嘘をつくな」「自作自演だろう」などの電話やメールが寄せられているそうだ。毎日新聞の記事では11日に米軍が否定したとあるが、保育園にそのような電話やメールが寄せられていることを伝える共同通信の記事では、「米軍がヘリから落下を否定した8日以降」という記述があるので、詳しい背景はよくわからないが、大した根拠もないのだろうによくも好き勝手言えるものだ、というのが個人的な感想だ。
 例えば、保育園に誰か一人しかいないような状態、例えば園児も他の職員も帰宅した後の時間帯に、落下物が屋根に当たったなどと職員の一人だけが主張しているなら、自作自演の恐れもそれなりにあるかもしれないとも思えるが、それでも確たる証拠もないのに、人を嘘つき呼ばわりすることは適切でないだろうし、まして、実際は園児が園庭で遊んでおり、複数の職員がいる状況下起こったことなのだから、自作自演が行われたのなら園児は除くとしても職員らが結託して狂言を行っているということになるだろう。そんなことは絶対にないとまでは言えないが、果たしてそんなことが起こったと考えることは自然だろうか。ただ個人的には、何者かが米軍機からの落下物だと思わせる為に米軍ヘリが離陸するタイミングを見計らって、その部品を保育園の屋根に向けて投げた恐れもあるかもしれないとは思えた。

 しかし、今日・13日、今朝この保育園のそばの小学校の校庭に、保育園に落下したとされる部品を使用している米軍ヘリと同型機の窓枠が落ちてきたということが複数のメディアによって伝えられている。今日の件があったのだから、保育園の件もヘリからの落下物だと断定することは出来ないが、米軍機からの落下物である恐れはより強まったと自分は感じる。今日の件に関しては、実際に窓枠が落下する様子が映った、監視カメラが撮影したと思われる映像がテレビなどで既に伝えられている。勿論実際にどうだったかに関しては厳密な調査が行われなければ真相は分からないが、と言っても不平等な日米地位協定があるので適切な調査が行われるか自体も不透明だが、それでも保育園に対して「嘘をつくな」とか「自作自演だろう」と言っていた人の現時点での考えは変わらないのだろうか。
 
 一連の出来事の中で、保育園に対しての懐疑的・批判的な主張は、直接保育園に対して向けられている。ただ、似たような論調がネット上でも一部で見受けられる。12/912/1012/11の投稿では、ネットやSNSの適切な利用方法を心得ていない人の存在は決して無視できない問題だということを指摘したが、厳密に言えば、現時点では確実に不適切であろう主張が保育園に直接向けられたことなどを考えれば、その種の人は、それぞれに差はあるのだろうが、ネットやSNS以外でも似たような言動を行う傾向にあり、決してネット特有の問題ではないということだろう。
 このブログで何度も書いているが、世の中でネットやSNSの問題とされていることの大部分は、厳密にはネットやSNSが理由で起こっている問題ではなく、ネット普及以前からあった問題だ。ネットやSNS上では匿名性が現実での人付き合い・コミュニケーションより高いことで、そのような言動が助長されているのは事実だろうが、悪質なクレームを付ける人、過剰に正義感を振りかざし、他人を必要以上に糾弾することでストレスを解消しようとする人、自分のプライドを保とうとする人、様々な少数派を理不尽に罵倒・中傷するような人などは、ネットが普及する以前から存在していた。
 自分はそのような一方的な誹謗中傷などが起こるのは、対面コミュニケーション不足も一つの理由だと感じる。同性愛者を毛嫌いする人は同性愛者の友達や親族がいない人なのだろうし、韓国や中国というだけで嫌悪する人は韓国人や中国人の友人がおらず、実際に韓国や中国に行ったことすらない人が殆どだろう。沖縄の基地問題などに関して批判的な人も、沖縄出身の友達もおらず、沖縄に行ったこともない人が殆どだろう。勿論、中には嫌悪する対象の集合に属する人に、実際に直接嫌な思いをさせられた経験がある人もいるのだろうが、そのような人が多数派だとは自分には思えない。

 「自分がされて嫌なことは他人にしない」という判断基準を、多くの人が子供の頃に教えられたと思う。しかし実際は自分が嫌な事と他人が嫌だと感じることには大きな差がある場合もある。なのでこの基準では、自分が嫌なことと他人が嫌なことはほぼ一緒、更には自分と同じように多くの人が考えるはず、という勘違いが生まれる恐れもあると思う。本質的には自分がどうかではなく「他人・相手の立場になって考える」ことが最も重要なのだと思う。勿論、だから自分の考えは極力押し殺せということでは決してない。自分と他人は違う考え方を持っている可能性があるということを常に忘れないでおく必要があるということだ。それはネット上での人付き合い・コミュニケーションだろうが、現実での人付き合い・コミュニケーションだろうが変わらない普遍的なことではないだろうか。

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