産経新聞によると、麻生副総理が15日の記者会見で、テロ等準備罪・改正組織犯罪処罰法に関する麻生氏の発言に対して批判的な態度を示し、記事を書いた東京新聞の記者を念頭に置き、
(東京新聞は処罰法を)やたらと良くないと書いていた。しかしそれは嘘だった。
(処罰法ができ)結果としてよかった。しかし、訂正記事が出ていない。
あおった記事が結果として違ったら、それだけ世の中を騒がせたわけだ。”社会の公器”の責任は?(どうなる)
などと述べたそうだ。彼は現政権のNo.2だし、政権与党は一丸となってテロ等準備罪の成立を目指していたのだから、彼にとって同法の成立が”良かった”ことなのは当然だが、テロ等準備罪が出来てからまだ約半年しか経っていないのに、賛否両論あった同法の社会的な評価が確定出来るはずがない。にもかかわらず、勝手に”良かった”という評価があたかも社会一般で確定的な評価であるかのように語り、”良くない”という話は嘘だと断定し、そのような記事を掲載したメディアに謝罪しろというのは、まるで暴力団の因縁の付け方のようで、とても残念だ。彼のような人間が我が国の政治的No.2の立場を担っていることに、恥ずかしさと危うさを感じてしまう。トランプ大統領のことを笑っている場合じゃない。日本も大差ないような状況のようだ。
テロ等準備罪・改正組織犯罪処罰法に権力を暴走させるような欠陥があっても、当然政権や警察権力が最初から濫用しようなどの思惑で法律を作っているなんてことはないだろう。いくら何でも流石にそこまで今の日本の政権や与党が腐っているとは思えないし、思いたくもない。万が一そこまで腐っていたとしても、同法の成立までに法律の専門家や野党らから、散々そのような懸念を示されていたのだから、濫用が可能だったとしても、成立後即濫用を始めるなんてことは起きる恐れは低いと、少し考えれば多くの人が分かるだろう。そんな性急なことをすれば現政権はたちまち支持を失い、権力の座を追われることになってしまう。
要するに、テロ等準備罪の濫用が起きるとしても、それは急激に起こるのではなく、濫用が始まるまでには時間は掛かるだろうし、濫用の始まりも出来るだけ市民に気づかれないように徐々に徐々に少しずつ濫用が広がることになるだろう。ということは、成立後たかだか半年ぐらいで正当な評価など出来ないということだ。しかし何故か麻生氏は”良かった”と言いきり、彼の個人的な受け止めならば何も問題ないだろうが、それがあたかも社会一般の誰もが疑わない評価であるように語っている。確実に適当な見解でないことは明らかだ。
しかもそれを根拠に、テロ等準備罪について批判的な記事を頻繁に書いていたのに間違いだったのだから東京新聞は謝罪しろ、なんて言っているのだから、恥の上塗りとはこのことだろう。彼は「世の中を騒がせた(社会の公器としての)責任はどうなるのか」などとも述べているが、こんなことを言っている麻生氏自体も確実に副総理という立場でおかしな主張をしており、その言動によって”世間を騒がせて”いる。彼はその責任をどう考えるのだろうか。しかも彼はこれまでも幾つも不適切だとされる発言を繰り返している。謝罪や撤回をしたケースもあるにはあるが、それでも何度も”世間を騒がせた”ことには変わりない。
そして、テロ等準備罪の成立に関して政権側で主導的な立場だった金田法務大臣も、国会で、同法についての不理解を何度も露呈し、おかしな答弁を繰り返し、国民に不安を与え、何度も”世間を騒がせた”。にもかかわらず、テロ等準備罪・改正組織犯罪処罰法は成立している。この責任は一体誰がとったのだろうか。
更に記事によると、麻生氏は14日に開かれた金田前法務大臣のパーティーで、
議論しているときはぼろかすにたたき、いまごろ「やって良かった」という。そういう新聞にお金を払って読んでいる人の気が知れない
と述べているそうだ。前述した翌日の発言を考慮すると、テロ等準備罪・改正組織犯罪処罰法に批判的な東京新聞、そのほかにも朝日・毎日などを念頭にこのようなことを言っているのだろう。しかし自分はそれらの新聞が「やってよかった」なんてニュアンスの記事を掲載しているのを見た記憶が一切ない。この自分の認識が大きく事実とずれていなければ、彼は事実に反することをあたかも事実かのように話していることになる。また、「ぼろかすにたたき」という表現も不適切だ。彼は、それらの新聞が大きく事実と異なることを根拠に批判したことで、同法やその成立を主導した政権・与党を不当に貶したと思っているようだ。それとは別に、前述のように彼は事実に反する恐れが強い話によって、それらの新聞や読者を不当に貶している。彼がどのように感じるかは彼の自由の範疇だろうが、公の場でそう主張するにはそれなりの根拠が必要だろうに、産経新聞の記事を読む限り、根拠は麻生氏の主観的な”やって良かった”という見解しか示されていないように見える。自分には寧ろ”ぼろかすに(東京新聞などを)たたいて”いるのは、麻生氏の方だと思える。それとも自分だけは”ぼろかすにたたいて”も問題ないということなのだろうか。
自分にはこんな発言が出来てしまう麻生氏の気の方が知れないし、彼を政権No.2に据えている首相や自民党の気も知れない。
12/13にハフポストが「夫婦別姓「伝統を守るべき」⇒「明日からチョンマゲな」 サイボウズ・青野慶久社長の“反論への反論”が痛快すぎる」という記事を掲載している。結婚する際に割合軽い気持ちで妻の姓に名前を変えたという青野社長は、そうしたことで被る不利益が決して少なくないことを実感し、選択的夫婦別姓の必要性を主張する立場だ。記事は彼の元に寄せられた反論に対して、青野氏がユーモアを交えて返答していることを伝える内容だ。この記事のコメント欄に自分はこう書いた。
投げかけられる反論がどんなに稚拙な内容だろうが、決して感情的にならず、青野さんのように、落ち着いて、時には言い聞かせるように言葉を返すことはとても重要なことだ。
反論の内容がどんなものであったとしても、同レベルになってやり合うことは、どう考えても良い対応ではない。
ということを、主にネット上で、すぐに感情的になるあの実業家や大阪の元知事、都議選応援で「こんな人たち」と言ってしまった首相や、暴言を吐くことの多いアメリカ大統領などに知ってほしい。あなた方の言動を、多くの若者が見ていることを忘れないで欲しい。多くの若者に少なからず影響を与えるのだということを忘れないで欲しい。
麻生氏、というかテロ等準備罪に対して投げかけられた、新聞各社による反論は決して稚拙な内容ではない。しかし、もしそれが麻生氏にとっては稚拙な反論と感じられたのだとしても、真摯に、そして落ち着いて答えることが望ましいことは変わらない。麻生氏にも、是非そう感じてもらいたい。国の実質的なNo.2という責任ある立場なのだから、それはある意味では当然の事ではないだろうか。