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年末年始の営業はライフラインではない


 長時間労働が強く問題視され、過労による自殺事件が複数報じられ、団塊世代の引退による労働人口減少・人手不足の深刻化が叫ばれ、数年前には牛丼チェーン店での深夜の所謂ワンオペ状態に不満を表明する為に、アルバイト定員のボイコットが起きたり、一応政府も”働き方改革”というスローガンを掲げていることなどを背景に、小売業界・飲食業界では、これまで巨大チェーンなどを中心に、当たり前になっていた年中無休・24時間営業を見直そうという動きが今年は複数見られた。今は年の瀬が迫る時期でもあり、年末年始の営業に関しても幾つか報道があり、三越は2018年の三賀日の休業を検討したが、結局例年通り営業すると発表したそうだ。一方、定食屋チェーンの大戸屋は、朝日新聞の記事によると、直営店のうち半分程度の約80店を2017-18年の大晦日・元日休業すると発表したらしい。2017年の元日に休業した直営店は約40店だったそうで、今年度は休業店が倍増することになる。直営店でない208店舗にも、出来るだけ休む方向での検討を促しているそうだ。同社の窪田社長は「元日などに高い時給を払って、無理して人を集めるより閉めてしまった方がいい」と述べたらしい。

 
 自分が小学生時代を過ごした80年代は、大晦日・三賀日は殆どの店が休みになっていた。12/30頃になると父親も年末年始の休みに入り、大晦日・三賀日分の食糧・酒・必要な日用品などの買い物をまとめてしておくことが恒例だった。我が家は元日と2日に人が多く集まり、それなりの規模の新年会を行うような家で、買い物が毎年膨大な量だったこともあり、三賀日は近所で買い物が思うように出来ないぐらい、殆どの店が休みになっていたことをよく覚えている。年末年始であることや、買い物の量が膨大だったこともあり、買い物についていった際に食べたい菓子や飲みたいジュースをねだると、普段より簡単に買ってもらえたのだが、そこでねだり忘れると、大晦日・三賀日の間は店が開かずどうやっても買ってもらえないので、強い絶望感に襲われたことを覚えている。今はスーパーも普通に元旦から営業しているし、コンビニなどは大晦日や元旦だろうが関係なく24時間営業している。しかしそんな状況でなかった80年代までは、年末年始に向けた買い物は、”4日間の生死を分ける”は言い過ぎかもしれないが、そう思えるくらい重要なことだった。当時自分が住んでいたのは神奈川県の東側の住宅街だったが、そこでもそんな状況だったから、地方やもっと郊外の地域など日本の多くの地域でそんな状況があったのだろうと想像する。
 80年代なら既にコンビニはあったのではないか?と思う若い人もいるだろう。既にコンビニは普及し始めていたが、当時は酒屋や雑貨店などから鞍替えした店が多く、家族経営的な風潮がまだまだ主流で、コンビニであっても定休日があったり、営業時間も、例えばセブンイレブンの名のように朝7時から夜11時ぐらいが普通で、年中無休・24時間営業の店は決して多くなかった。なので年末年始は休むという店も多かった。

 当時も横浜や川崎駅周辺などの繁華街の店は大晦日と元日だけ、若しくは元日のみの休みも多かったし、除夜の鐘や初詣で人が集まるような地域では、当然当時も儲けを上げる重要な期間だったろうから、それに合わせて営業している店が多かった。 
 大戸屋も決してすべての店舗を年末年始休みにするとはしておらず、元日営業する商業施設に入っている店舗や、年末年始に確実に人が集まる場所の店舗は営業するということのようだ。近年、特にチェーン店は猫も杓子も年中無休、24時間営業というのが当たり前になっており、当然のように殆どの店が年末年始も関係なく営業していたが、大戸屋の方針のように、特に必要性がなければ休む方針が正しいように思う。80年代はそれで社会が回っていたのだから、今でもそれで問題は起きないだろう。

 ツイッターを眺めていて見かけたのは、「大戸屋には行かないから休みでもいいけど、自分の行くチェーン店には店を開けていて欲しい。もしそれも閉まってコンビニもやってないと食べ物に困る」という旨の話だ。多分、年末年始前に店が休業することを見越して、数日分の食糧を買い込んだという経験がない世代の人なのだろう。そんな事前準備が必要だった80年代だって、日本中の全ての店が休みになるなんてことはなかったので、大きな駅まで行けば何かしら食事することは出来た。だから事前に買い物しそびれても、何とかなることは何とかなった。ただ、普段より遠くまで食事・買い物に出かけなければならず手間が掛かり、そして選択肢が少ないので場合によっては割高になるというだけだ。それが嫌なら、事前にカップラーメンでも、レトルトカレーとレンジで温めるご飯でも、数日分買い込でおけというだけのことだ。
 今の日本人はいつでも店が開いていて当然、サービスが良いのは当然という感覚に慣れすぎてしまっているのかもしれない。サービスが良いことは悪いことではないが、”安い料金で良いサービスが受けられて当たり前”になり過ぎると、有難みや感謝の気持ちも薄れるだろうし、店側や労働者が確実に疲弊する。しかも、そのようなサービスを要求しているのも同じような環境に置かれた労働者だったりすることもあり、悪循環に陥る・陥っているとも考えられる。そんな観点で考えても、年末年始ぐらい不便を味わう期間として、休める店は出来るだけ休業するという風潮を広げてもよいのではないか、と大戸屋の記事を読みながら感じた。

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