スキップしてメイン コンテンツに移動
 

デフレ脱却に関する、副首相の一方的な思いの押し付け


 ロイターの記事によると、12/26、麻生副総理が会見で「デフレという経済現象は人災による部分が大きい。政府や日銀の対応が適切ではなかったが故だ」と述べ、旧民主党による政権運営を批判したそうだ。興味深いのは、この会見については産経新聞時事通信も記事化しているのだが、ロイター以外はこの発言に触れていない点だ。どのメディアの記事でも”デフレ”というキーワードに麻生氏が触れていることは垣間見えるが、メディアによって注目の仕方が違い、12/3の投稿でも書いたように、それが”事実の幅”として感じられるという良い例だ。 
 「デフレという経済現象は人災による部分が大きい。政府や日銀の対応が適切ではなかったが故だ」という発言にロイターしか触れていないということは、ロイターだけが重箱の隅をつついているようにも思えるし、時事通信や産経新聞が麻生氏の立場に寄り添って、今年の流行語で言えば”忖度”していると受け止めることも出来るだろう。しかし、もし前者的な側面が強かったとしても、流石にロイターが全く根も葉もない発言をでっち上げているとは思えず、恐らくそのようなことを麻生氏が実際に口にしたのだと思える。
 ロイターは、麻生氏が旧民主党政権の失策でデフレが改善されず、若しくは深刻化させ、今の自分たちの政権は、そのこれまでの5年間の歩みの中でデフレ脱却に取り組み「少しずつだが確実にそういう流れが進みつつある」と評価するニュアンスを示したと伝えている。

 
 麻生氏のそのような認識は本当に適切なのだろうか。麻生氏は12/16の投稿で取り上げた共謀罪に対する認識に関する発言、10月の総選挙後に、自民党が大勝した理由について「北朝鮮のおかげ」と発言してみたり、適切とは思えない主張をしばしばする人、というか、適切ではない本音をしばしば漏らす人という認識が自分にはあるので、自分が以前から持っている不信感の影響も確実にあるだろうが、自分はこの発言や彼の認識に全く賛同することが出来ない。
 デフレ脱却に関して民主党政権が失敗し、自民党はよくやっているという見解が不適当だということは、”いつデフレが始まったのか”を考えるとよく分かると思う。現在のデフレ傾向の発端が一体いつ頃にあるのか、大元はバブル崩壊に端を発するということになるのだろうが、それでも90年代後半まではバブルの残り香もまだまだあり、物価が大きく下落しているとは言えない状況だったという感覚が自分にはある。そこで、しばしば物価の目安とされる”牛丼の価格”を見れば傾向が掴みやすいのではないか、と考え検索してみると、マイナビの「15年前は400円、10年前は280円!? 今はまた値上げ......。これまで牛丼の値段はどう推移してる?」という記事がヒットした。
 この記事によると、牛丼価格が最初に急激に下がったのは、2001年のようだ。吉野家・すき屋・松屋の三大チェーンが全て、それまで400円前後だった並盛価格を200円台にまで大幅値下げしている。その後はBSE(狂牛病)の影響などもあったが、2014年頃まではほぼ変わらず300円前後で推移していた。一方で日本の政権は、2001年は自民・小泉政権が成立した年で、その後2009年まで自民党政権が続く。2009年から2012年までは旧民主党政権だったが、2013年から今の安倍政権に変わり、それ以降現在に至る。そして2009年、00年代最後の自民政権で首相だったのが麻生氏だということも見落としてはいけない。
 
 いつデフレが始まったのか、に関しては流石に牛丼価格だけでは判断できないだろうが、それでも00年代の中盤には、既に現在も続くデフレ傾向が始まっていたと考えてよいだろう。ということは、「デフレという経済現象は人災による部分が大きい。政府や日銀の対応が適切ではなかったが故だ」と述べてしまうと、デフレ傾向が始まってから民主党政権に代わるまでの自民党政権も、デフレ傾向が始まってから約5年後の麻生政権などは特に、デフレ傾向を改善出来ないという人災をもたらした張本人の内の1人であると言えそうだ。
 確かにこの発言に関して、旧民主政権に批判的な態度を示したというのは、ロイターが書いている部分からしか読み取れず、麻生氏が本当に明確にそのような態度を示していたのかは分からない。そして恐らく彼は、問いただしても「そんなつもりはない」と説明するだろう。そして確かに牛丼並盛価格は現在、吉野家380円・すき屋350円・松屋290円と、松屋以外は最安値の頃から100円前後価格が上昇しており、それから考えれば、麻生氏が「少しずつだが確実にそういう流れが進みつつある」と言うのも、全く納得できない話ではない。ただそれでも、デフレが失策による人災だと言うのなら、麻生氏自身も過去に失策の一翼を担った一人であることには違いないだろう。
 
 そして、デフレ脱却の兆候が本物だったとしても、現政権は物価上昇率2%の目標達成時期を、最初に目標と宣言した2013年1月からこれまでに6度も延期しており、それだってもう確実に、充分”失策”と明言できるレベルだと自分は感じる。そして労働者の実質賃金は横這いどころか下がっているという統計結果も多く、そんな状況下でデフレ脱却・物価だけが上昇しても大部分の国民の生活は苦しくなる。「その後に好循環があるから、ここが我慢のしどころだ」という話もあるのだろうが、アベノミクスとやらで株価がバブル後の最高値を更新し続け、失業率は過去最低で人手不足が深刻だ、景気は確実に良くなっているなんて報道が目立つのに、非正規雇用が増えているだけで実質賃金が一向に上がらず、景気の良さを実感できない人が少なくないような状況では、「その後に好循環がある」なんて話を手放しで信用出来ないと感じる人もまた、決して少なくないのだろうと想像する。
 しかも、政府は何かとオリンピック、オリンピックとオリンピック万能論のようなニュアンスを強め、厳しく言えばオリンピックを政治利用しているように見えるが、特需が終わるオリンピック後、景気は恐らく一段落してしまうだろう。そう考えると、オリンピックまでに景気の良さを実感できない人は、その先当分の間は景気の良さなど感じられないのだろうとも想像してしまう。
 
 何が言いたいのかと言えば、まず、麻生氏は自分や、自分が属する政権にめっぽう甘い視点で物事を捉える傾向があること、2つ目は、これはこの記事からの印象でしかないかもしれないが、デフレ脱却したら全てバラ色的な話の信憑性は薄いということだ。
 麻生氏が「デフレは人災」だと言うのなら、麻生氏も現政権成立から既に5年も財務大臣・デフレ脱却担当を務めているのだから、未だにデフレから脱却できない責任を取るべきなのはあなた自身だということになりそうだ。 

このブログの人気の投稿

世界は欧米だけじゃないし、外国人は白人だけじゃない

 このブログでも何度か取り上げている所謂外国・外国人バラエティ番組。自分は基本的に外国人を扱うバラエティ番組が好きだ。日本に来る・来てはいないが興味を持っている外国人を紹介する番組などでは、日本に住んでいると当たり前過ぎて意識しないような事や、日本人が見落としている自国文化などを再確認・再認識できるからだ。  カメルーン人の母と日本人の父の間に生まれ、現在タレント・漫画家などとして活動している星野ルネさんが、11/25にこのようなマンガをツイッターへ投稿している。 何に興味を持ち、それが人をどこへ運ぶのか、気がついたらこんなところまで来てたなって感じがいいですね。フォローで応援、気がついたらここにいましたね。リツイートで誰かが打楽器を叩きます。いいねで子供が綺麗な石を発見します。 #漫画   #エッセイ   #音楽   #嗜好   #ローマ   #江戸   #宇宙人 pic.twitter.com/rP8vb6sQhS — 星野ルネ (@RENEhosino) 2018年11月25日 その国の人が自国の事に詳しいとは限らない、というのは世界共通のあるあるのようだ。また、日本にいる外国人を取り上げた番組だけでなく、外国に出向いてその国に住んでいる日本人を取り上げたり、日本に興味を持つ人を取り上げるタイプの番組も、日本ではあまり知られていない他国の文化等を紹介してくれるので興味をそそられる。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。