自分が子供の頃は、テレビが年末年始らしくなるのは大体クリスマスイブ・12/24以降だったように記憶しているが、近年は常日頃から2時間特番なども多く、12/10前後からレギュラー番組の年内最後の通常放送が多くなり、特番・特番・また特番のような状態になる。年の瀬に近づくにつれ、特番の時間はどんどん長くなる傾向で、4時間特番、5時間特番も珍しくなくなる。個人的には、どんなに面白かろうが同じ番組を飽きずに見ていられるのは2時間程度が限度だ。多くの商業映画がこの枠内に収まるように作られているのだから、この感覚は多くの人が持っているものだろうと想像する。
大体4時間特番とか5時間特番と言っても、2時間番組×2とか、1時間番組×3 + 2時間番組×1を連続して放送しているだけで、番組表で枠が大きい方が目立つからとか、一度見始めた人の「最後まで見よう」という感覚に頼ろうという思惑とか、要するに視聴率の為にそんなことをしているのだろうと個人的に想像している。2時間以上は見ていられないタイプの自分からすれば、何週かに分けて放送した方が「また見たい」と思えるだろうし、「わざわざ過剰に長時間番組化して、飽きさせてどうするのか」とも思ってしまう。そんな風に感じながら、年末年始のバラエティなどの特番を見ている。
12/28を過ぎると、最も通常放送を遅くまで続けていたニュース番組なども、年末年始の特別な番組編成の影響を受けるようになり、いよいよ本当の意味で年末年始が感じられるようになる。この頃になるとゴールデン・プライム帯だけでなく、朝から年始特番の番宣を兼ねたバラエティの再編集番組が放送され始め、深夜帯でもしばしばその手の番組を見かける。しかし、特別な状態になるのは娯楽バラエティだけでなく、ひっそりとではあるし、その多くは深夜帯だが特番の間を埋めるように、この時期は社会問題を掘り下げるタイプのドキュメンタリー番組の放送も通常時より多くなる。
そんな中の1つに、テレビ朝日が12/30の朝4:55から放送した「テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった米兵たち~」があった。琉球朝日放送が制作した番組で、番組内のテロップによると2016年12/5に放送した番組の再放送のようだ。米軍が抱える様々な問題と、沖縄の新たな基地建設反対運動には一部の米軍を退役した者も参加していることを紹介する内容だった。
番組を見終えてまず自分が感じたのは、「テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった米兵たち~」というタイトルへの違和感だ。”テロリストは僕だった”という文言は、番組が取材した元海兵隊員が、テロとの戦いという名目だったイラク戦争に赴任したが、テロリストと関係のない民家を制圧しろという命令を受けた経験から、イラクの市民からしてみれば米軍自体がテロを行っているようなものだと感じた、という話によるものだ。この思いは、間接的にはこの元海兵隊員が沖縄基地反対運動に関わる理由にはなっているが、このようなタイトルだと”沖縄でも米兵はテロリスト的な行為を行っているも同然だ”というニュアンスも感じられてしまう。勿論、不公平な日米地位協定によって、理不尽に思える判断を米軍・日本政府が示すこともあるし、米兵によるレイプや殺人もこれまで複数起きているし、米軍機の墜落事故なども後を絶たないのだから、人によっては”沖縄でもイラクと同じように米軍はテロリストだ”と感じる人もいるかもしれないが、それでも少し言い過ぎのように思え、あまり適切なタイトルだとは思えなかった。
タイトルには共感できなかったが、番組の内容は、日本政府の首脳陣、政府の積極的な支持者、沖縄に偏見を持ち根拠なく差別している人々らに、是非見て欲しいと思う内容だった。ただ、恐らくそれらの人々の一部は自分たちに都合のよい現実しか直視しない・出来ないタイプだろうから、放送したのが彼らの多くが忌み嫌う朝日新聞系の放送局・テレビ朝日だということや、制作したのが琉球朝日放送だということだけで、番組をしっかり直視せずに「こんなのは都合よく一部だけを切り取った偏向報道番組」とか「根も葉もないでっちあげに過ぎない」なんてレッテル張りをするのだろうとも想像する。
そのような想像をしてしまうので、個人的には、米軍内の諸問題と沖縄基地問題を結びつけるような1時間番組として制作するのではなく、それぞれの問題にフォーカスした30分番組×2のシリーズとして番組制作をした方が、より伝えたい内容が伝わりやすくなったのではないかと感じた。
ただ、米軍内の諸問題と沖縄基地問題の共通点は、「正義という曖昧な大義名分は、概ね好意的に受け入れられるが、時に危険で大きな副作用を孕む恐れがある」点だということは、これら2つを結びつけて制作した番組だったから感じられたことかもしれない。”国を守ることは正義”という大義名分の元で正当化される軍隊による殺人、正義の部分だけがクローズアップされて志願を募っていること、主に収入を目当てに貧困層が志願している状況、結局彼らが軍隊の経験を生かせずに退役後の生活に行き詰ってしまうケースが少なくないこと、悲惨な戦場を目の当たりにしたことによるPTSDに苦しむ退役軍人も決して少なくないこと、国家予算の割り当てを陸・海・空・海兵など各軍が、必要性が薄くても既得権争い的に奪い合いあっている現状などの米軍の諸問題と、防衛という大義名分の元、正当化される沖縄基地建設、日米安保、不平等な日米地位協定、その影響で蔑ろにされる沖縄の県民感情などは、番組を見る以前から感じていたことだが、決して無関係でなく、この番組を見ることで強く再確認させられた。
放送された1時間番組での番組制作がよかったのか、自分が感じたように30分×2での制作の方がよかったのか、実際のところは検証のしようもない。ただ、できるだけありのままを感じられるタイトルにした方がよかったという思いは、自分の中ではかなり強く、残念な点だ。
自分もこのブログの投稿にタイトルを付ける際に、内容と乖離していないか・分かりやすいタイトルかと、人の目を惹けるか・読んでみたいと思ってもらえるかの間で、いつも軽く葛藤する。このブログなどはそれほど多くの人の目に触れるわけでもないので、今のところそんなに深刻になる必要もなさそうだし、葛藤する意味などあまりないのかもしれない。しかし、それでもそれなりに考える必要はあると感じさせられた、というのが、沖縄基地問題についてしっかり現状を把握することが重要、という事と同時に感じた「テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった米兵たち~」を見た感想だった。