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平戸市長の”朝日新聞止めた”について


 長崎・平戸市長の黒田成彦氏が「平戸市長室では朝日新聞の購読を辞めた。」と自身のツイッターアカウントでツイートし、大きな話題となっている。特定のメディアを排除するような宣言を市長がすることは言論弾圧の恐れもあるのではないか?というのだ。自分はこの件を他の人のリツイートで知ったのだが、第一印象では、たとえ市長だろうと読む新聞の取捨選択をすることは自由だろうから、取り立てて問題ではないのではないか?というものだった。しかし、黒田氏のアカウントを見てみた後は、この人は特定メディアを排除・攻撃しようとしている恐れが非常に強いという印象に変わった。


 懸案になっているツイートは、

平戸市長室では朝日新聞の購読を辞めた。そして私はその報道姿勢を非難する立場をツイッターで表明している。これに対して「市長は公平公正であるべき」という声もあるが、誤報を垂れ流す広報媒体を排除することが公的立場にあると信じている。

というものだ。もし、市長が「朝日新聞は好みでないから自宅では購買するのを止めました」というのなら何の問題もないと思う。それでもわざわざ市長という立場で公言するべきような話じゃないという意見もあるだろうが、個人的には、そこまで目くじらを立てると、逆に政治家の人となりが見え難くなるだろうから、それはいいんじゃないか?と思う。”平戸市長室では”についても、市長室で新聞を読むのが主に市長だけなら、誰も読まない新聞を、税収を割いて購買するのは無駄だろうから、別に構わないのではないか?と感じる。しかし一方で、市長たるものは主要な全国紙、例えば読売・朝日・毎日・産経・日経ぐらいはいつでも読めるように準備し、出来る限り様々な媒体に目を通す努力をすべきだとも思う。そして、どう考えても彼は朝日新聞の報道姿勢が好みではないようだが、今後それを読まずにどうやって批判するつもりなのだろうか。彼は朝日新聞は廃刊になって然るべきと考えているようだが、ならば廃刊になるまで批判し続ける必要性もあるだろうし、だとすれば、購買を止めずに目を通し続ける必要があるのではないだろうか。
 自分は朝日と産経の両紙はベクトルの差はあれど、共に適切とは言えなそうな記事を掲載することが他紙”よりは”あると思っている。個人的には毎日新聞が全国紙の中では最も好ましいと感じている。だが、どの新聞の記事も○○新聞だからという理由だけで避けることはしない。流石に個人で主要紙をすべて購買しているわけではないが、喫茶店などではたまたま置いてあれば何新聞だろうが読むし、ネットの各社の記事は銘柄に関係なくクリックする。当然朝日新聞に賛同することもあるし、批判することもある。同様に産経新聞に賛同することもあるし、批判することもある。

 とは言ってみたものの、やはり個人的には、市長室で新聞を読むのが主に市長だけなら、読まない新聞の購買は止めてもいいと考える。しかし問題は別のところにあると思う。それは、彼が「誤報を垂れ流す広報媒体を排除することが公的立場にあると信じている」としている点だ。まず報道と広報を同じと誤解していることも問題であろうが、それは置いておくとして、言い換えれば、”朝日新聞は誤報だらけ”と完全に言い切っているわけだ。では朝日新聞が垂れ流している誤報とは具体的にはどんなことだろうか。確かにこれまで一切誤報がなかったとは言えないが、誤報の割合が他の全国紙と比べ物にならないくらい高いというようなニュアンスで主張できる根拠は一体どこにあるのだろうか。自分にはこの人の勝手な思い込みでしかないとしか思えない。何か明確な根拠があるなら、誤報が認定された裁判の結果などを具体的に示すべきだ。
 彼の主張に賛同する者の中には「彼のアカウントをずっと見ていればそれが理解できるのに、一つのツイートだけを切り取って批判するな」などと言う者がいるかもしれない。もしそう言われても自分には、ツイッターの仕組み・特性をよく理解していない、としか思えない。1つのツイートを切り取るなと言う指摘は適切だろうか。1ツイート単位でリツイート出来たり、リンクを張ったりできるのだから、切り取っているのはこちら側でなく、ツイートした本人ではないだろうか。そのツイートだけでは誤解されると思うなら、他に関連ツイートがあると明記すればいいし、個人的には、1ツイートだけでは収まりきらずに誤解されてしまうような内容は、ツイッターではなく文字数制限のないブログなどに投稿し、リンクを付けてツイートするべきだと感じる。誤解されても大したリスクがない一般人ならまだしも、誤解に最も注意すべき職業の一つである政治家なら、そんなことは大前提ではないだろうか。これは11/27の投稿で書いたツイッターの文字数制限とも関連する話だ。

 懸案のツイートの2日後、黒田氏は更にこうもツイートしている。

一昨日に朝日新聞の購読を辞めたというツイートをしたら、一気にフォロワーが1千人近く増え、返送されたメッセージもほとんどが「賛同!」「支持する!」だった。改めてこんなに嫌われている新聞なのだと実感した。でもなかなか廃刊にならない不思議も残った。

これを読む限り、黒田氏もツイッターの仕組み・特性を全然理解していない。そして、12/2の投稿で、ある板橋区議が、ブログで自分の主張を”正論”とし、なんとも曖昧な基準で「予想以上に好意的な意見を多くいただきました。」と誇らしげだったことの危うさを指摘したばかりなのだが、黒田氏も全く同じような危うい受け止めをしており、あまりのタイムリーさ加減に驚いた。要するに、たった千人フォロワーが増えただけで舞い上がりすぎだと思う。このような事態が起きたのだから、フォロワーの中には不適切なツイートを指摘してやろうという者もそれなりに含まれているだろう。
 しかし本来は、ツイッターでは多くの人が興味のある人を中心にフォローする。なぜなら自分と意見が合わない人の投稿を、多くの人は見たいと思わないからだ。だから返信に「賛同!」「支持する!」という肯定的な意見が多くなるのは、ごくごく当然のことだ。否定的な意見は、もし寄せられるとしても所謂炎上した後だろう。リツイートに関しても同様で、好意的に感じる人がリツイートするケースの方が多いし、リツイートした人のフォロワーも結局同じような思考を持っている事の方が多いだろうから、炎上前に集まるのが好意的な反応であることは当たり前過ぎることで、それを根拠に「改めてこんなに嫌われている新聞なのだと実感した。でもなかなか廃刊にならない不思議も残った。」なんて言えること自体、物事を適切に判断できていないということだろう。もし爆発的に数万・数十万単位で反応が集まったのなら理解できるが、集まっているコメントは否定的なものを合わせても、この投稿を書いた時点で600程度、返信コメントでなく直接メッセージを送った人がその何十倍もいるとは考え難い。彼は朝日新聞の発行部数を知っているのだろうか。
 「少数の意見は取るに足らないので考慮する必要はない」などと言うつもりは更々ないが、その程度の数字をまるで一定程度の世論のように語られたら、誇大な表現と言わざるを得ない。個人的な感覚では、彼はまるでサンプル数の多い適切な世論調査で、少なくとも4割程度以上の結果が出ているかのようなニュアンスで語っているように思える。この程度の数字でもそのように受け止めるべきなら、主催者発表よりかなり少ない警察の見解でも、「国会周辺だけで3万3千人」の参加があったとされる集団的自衛権の容認に基づく安保法制への反対デモや、3万人の署名が集まった”子育て政策おかしくないですか「無償化より待機児童解消を」”という国民の声を、政府は絶対に無視出来るはずもないだろうが、無視しているは言い過ぎだとしても、前向きに対処しているようには全然思えない。
 要するに、彼は自分が偏ってしまっていることに気が付けていないのだろう。もし本当に朝日新聞が誤報を”垂れ流している”のなら、とっくに廃刊・若しくは経営が怪しくなっているはずだろうが、それは無視できる彼の「でもなかなか廃刊にならない不思議も残った」なんて感覚はそれを再確認させる。
 
 一応最初のツイートへのコメントを覗いてみた。サラッとしか見てはいないが、”ほとんどが「賛同!」「支持する!」”のようには全然見えない。個人的には、人間には”どうにかして自分を正当化しようとする性質”があると思っているが、彼にはその思いを遂げる為のかなり強いバイアス(思い込み)があるように思う。
 彼のアカウントを少し見るだけでも分かると思うが、偏向報道!偏向報道!と騒ぐ人の典型的な言動を行っている。要するに、自分が偏っていることは棚に上げるタイプの人にしか見えない。全ての平戸の有権者が彼に投票したわけではないだろうが、平戸の有権者はこの手の人物に市長を任せていることについてもう少しよく考えた方が、人選を適切に行ったほうがよいのではないだろうか。自分は、自分の居住自治体の長がこのような人だったら確実に恥ずかしいと感じる。

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