NHKの今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の最終回がいよいよ迫っている。1月に始まり12月に終わるのは毎年のことだから、当然と言えば当然なのだが、どう終わらせるのかが個人的に楽しみでならない。
自分は以前は大河ドラマにそんなに興味のあるタイプの人間ではなかった。00年代の殆どの期間、ゲームも映画もPCモニターやプロジェクターで見ていた為、部屋にテレビを置かない生活をしていた。BDの普及やゲームもフルHD解像度対応が増え始め、大きな画面でフルHD解像度のモニターが欲しくなったのが2009年頃だった。特にチューナーのついたテレビである必要性はなかったが、当時は30インチ以上のPCモニターはあまり一般的でなく、テレビの方が選択肢が多く価格も安かった為、当時およそ10年ぶりにテレビを買った。それまでの10年間ほとんど見ていなかったテレビだが、あればあったで見るもので、AV機器が好きな性分でもある為、搭載機能は一通り使ってみる性質で、買ったテレビに付いていたHDD録画機能なども活用し始めた。
前述したように、そのテレビを持たなかった10年間より前も大河ドラマには全然興味がなく、実は初めて積極的に見た大河ドラマは、三谷幸喜脚本という点に惹かれて見始めた去年の大河ドラマ「真田丸」だった。「おんな城主 直虎」は「真田丸」を見ていた流れ・その惰性で見始めるというように、特に興味は無かったが何気なく見始めた。聞くところによると「おんな城主 直虎」は「真田丸」に比べて視聴率が振るわないらしい。確かに、真田十勇士の存在もあり、歴史に興味がそれほどなくとも知っている人が割合多い真田幸村(信繁)が主人公の「真田丸」と、井伊直政・直弼などの存在で”井伊家”自体は知っていても、直虎という女性(だったかもしれない)当主がいたということは殆ど知られていなかっただろう「おんな城主 直虎」では、「真田丸」の方が注目度が高くても何も不思議はない。
両方を見ていた者の感想としては、「真田丸」もそれなりに興味深かったが、「おんな城主 直虎」の方がドラマとして圧倒的に興味を惹かれる内容だったと思う。「真田丸」は主人公・信繁のことが歴史書などにも記述があり、ドラマで語られることの多くは自分も見る前から知っていることだった。そして開始当初は三谷幸喜さんらしいセリフ回しなどがところどころに見えていたが、回を追うごとにそれが減り、個人的には、終盤は本当に三谷さんが書いているのかという気持ちで毎回を見ていた。
一方の「おんな城主 直虎」は、自分が不勉強なだけかもしれないが、まず存在自体を知らなかった人物が主人公で、当初は全然興味が湧かなかったが、ネットで調べてもどんな人物であったかに関する情報があまりなく、どうも歴史書などにもあまり記述のない人物のようで、徐々にどんな人物像なのか、どんな話なのかに興味が湧いてきた。今川家についても自分が持っていたのとは異なるイメージで描かれる部分が多々あり、徳川家康についても、今まで自分が抱いていたイメージを大きく崩されることなく、別の側面が描かれるなど、新鮮な気分で見ることが出来た。歴史に詳しい人からするとまた違って見えるのかもしれないが、教科書+アルファ程度の知識しかない自分にとっては、伝記的な物語としてでなく、ドラマとして確実に「真田丸」よりも楽しめる内容だった。
直虎についての記録があまりなくとも、劇中にも出てくる同じ時代の出来事の中には、記録が豊富で研究が進み、正しいとされる見解の裏付けが行われていることも多々ある。桶狭間の戦い、今川家の没落、長篠の戦い、徳川信康の自刃、本能寺の変などなど。これに主人公の直虎をどう絡めるのかが興味を惹かれる部分でもあった。しかも10月以降は実質的な主人公は直虎ではなく、直虎が後見を務めた後継ぎ・菅田将暉さん演じる直政(現在劇中では、直政を名乗る前の井伊万千代)になっているのに、どうやって直虎を絡めるのかが一つの見どころだったように思う。勿論人によっては「そんなに絡むはずない、不自然」と思う人もいるだろうが、個人的には、ほぼ「そうきたか」と思えて楽しめている。
”歴史もの”というと、漫画などでは割合ファンタジー要素を含んだ作品もあるが、ドラマ・映画、特に大河ドラマではファンタジー要素を含むと中々評価が上がらないことが多いように感じる。しかし歌舞伎や、または三国志演技や水滸伝など国外でも、歴史ものの物語に演出を大きく加えることは良くあったのではないだろうか。「おんな城主 直虎」は、記録のあまりない者、しかもこれまでそれほど注目度の高くなかった人物を主人公にしたことで、脚本家らの大胆な解釈を盛り込んでも、それほど異論が高まらないということを上手く利用して、ドラマとして盛り上がる演出を上手く盛り込んでいたように思う。現在、本能寺の変が起こる直前なのだが、放送は後3回ほどしか残されておらず、この後どこまで話を描くのか、どのように締めくくるのかが自分には今のところ想像できず、それも楽しみでならない。
歴史上の記録があまり残っていないという事には、物語化・ドラマ化する際に物語として描く作家側の自由度が高まるという利点もあるかもしれないが、実際がどうだったかということが確認出来ないというデメリットも確実にある。安倍首相は、会計検査院に適切な根拠がないと指摘されるような値引きを行った国有地払い下げについて、これまで一貫して適切だったと主張し、取引は適切に行われたので交渉記録は法令に基づいて破棄したなどとしていた、当時の財務省の担当責任者を、その後国税庁長官に任命したことについて、「適材適所だ」という考えを示したようだが、政府や官公庁には、できる限り全ての記録を適切に保管し、実際に何があったか後世確認し、役立てることができるように是非ぜひ務めて頂きたい。