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NHKに必要なこと


 今月はNHK受信料に関する判決が2つ報道された。1つは最高裁が12/6に示した、NHKの受信料支払いはテレビを持つ者の義務。その義務はテレビ設置時点から既に発生している、とする判決(リンク先は朝日新聞の記事)。もう一つは東京地裁が12/27に示した、ワンセグ機能付き携帯の所持だけでも受信設備の設置に該当するので、受信料の支払い義務が生じる、とする判決(リンク先は東京新聞の記事)だ。
 共にNHK側の主張を大筋認める内容で、自分が見る限りネット上では、大小様々、程度や内容に差はあるものの、概ね批判の声が多い判決の内容だ。個人的には、テレビを設置したらNHK受信料の支払い義務が生じるということには概ね異論はないが、現在のNHKの放送・運営には不満に感じるところもあるし、これら2つの判決についても手放しで賛同したいとは思えない。特に後者については、こんな判決が示されたら、ワンセグ機能を搭載している国内メーカーのスマートフォンを、若年層を中心に敬遠する風潮にもつながりかねず、ただでさえ国内メーカーが苦戦している状況なのに、誰も得しないのではないか、という意見もある。

 
 これらの件に限らず、NHKの受信契約・受信料支払いに関する問題は、かなり前から存在している。これに関しては、現在の放送法・受信契約・受信料支払い規定が定められたのは据え置き以外のテレビがまだ存在していない時期で、ワンセグやインターネットの普及を想定しておらず、現状に沿わないものになっている恐れがあること、NHKが視聴者の声に真摯に答え、受信料を支払いたいと思える放送を行っているかに疑問を感じる者が一定数いることなど、いくつかその原因になる要素があると思う。
 自分も、これらの件に限らず受信料支払いに関するこれまでの裁判を見ていると、NHKの受信契約が既得権益と化し、NHK側がテレビを設置したら受信料を支払わなければならないという放送法の規定の上に胡坐をかき、受信料を支払わせることが当然というような認識を少なからず持っているように感じている。自分の感覚では、90年代中盤から、NHKが民放のテイストを受け入れたり、そのようなテイストと民放がスポットをあてない題材を融合させるなど、それまでの”ただお堅い公共放送局”という印象を改善しているように感じられるので、NHKが全く放送局として何の努力・改善も行わない根腐りした組織だとは思わないが、NHKに対する不信感が一気に増大したのは、2014年にNHK会長になった籾井勝人氏の存在だ。彼は様々な問題発言を繰り返したが、中でも最も印象に残っているのは、「政府が右と言っているのに我々が左と言うわけにはいかない」という発言だ。NHKが視聴者ではなく政府・権力を重視している放送局というイメージをかなり強く印象付けた発言で、自分がその時感じた不信感は今でも払しょくされていない。あの発言以降、NHKの報道を手放しで信用することが出来なくなった。
 籾井会長と同時期に、差別的主張で度々注目を浴びている百田尚樹氏などがNHK経営委員などを務めていたことも、そのような印象の悪さ強めるし、同時期に政府が、海外からも報道の自由の妨げになっていると指摘されている特定秘密保護法を閣議決定し、成立させていること、高市総務大臣の「電波停止」発言があったことなども、間接的にではあるが前述の籾井氏の発言を裏付けるような要素になっている。
 
 同じような感覚を根拠にNHKに対する不信感を持っている人は決して少なくないと自分は想像しているし、それがNHKと受信契約を結びたくない、NHKに受信料を支払いたくないと感じる大きな理由の一つになっているとも想像する。
 そのような話を基にした「技術的には可能なのだから、NHKも、BS/CS有料放送局と同じように、契約を結んでいない者は視聴出来ないようにスクランブルをかければよい」という主張をしばしば見かけるが、個人的にはそれはまた違うのではないかと考える。NHKはあくまでも公共放送で、BS/CS有料放送局のような営利企業ではない。受信契約を結ばなければ視聴出来ないのであれば、それはもう公共放送ではなくなる。恐らく前述のような主張をする人は、既にNHKが公共放送としての役割を果たしていないと言える程、NHKに対する不信感を増大させているのだろう。その考え・気持ちも理解出来なくはないが、公共的なインフラとしてのテレビの公共放送はまだまだ必要だと自分は感じる。確かにインターネットの発達によって、テレビ(とラジオ)に頼らなくとも災害などの緊急を要する情報を手に入れることは可能になっているが、ネットを上手く利用できない人は高齢者を中心にまだまだ多い。そして災害時にネットが必ず利用可能な状態である保障もない。それでも民放があれば充分と考える人もいるかもしれないが、民放はスポンサーの意向に左右されやすく、現に災害や事故に関する緊急番組はNHKよりも短い時間しか割かない場合が多い。
 公共放送の受信料とは、政治権力との癒着の恐れを極力低める為に税金ではない方が好ましい。しかし、営利企業の放送のように視聴者に受信契約の自由を認めてしまうと、公共放送の役割を果たし難くなってしまうので、受信料は、税金ではないが税金的な側面を持ったものとして扱う必要があるのではないかと考える。
 
 NHKの何が問題なのかと言えば、簡単に言えば視聴者が”見たい”と思える放送・組織運営が出来ていないことにあるのだと思う。ネット上のオンデマンド(見たい時に見たい番組を見られる)見放題サービスが、軒並み月額1000円以下なのに、NHKの受信料は地上波・BSを合わせると月額換算約3400円。この額は公共放送のある諸外国に比べて突出して高い訳ではないが、高い部類であることには違いない。しかもNHKオンデマンドというネット配信を利用するには、受信契約を結んでいても別途料金がかかる。これでは「NHK受信料は高いから払いたくない」と言われても仕方がないと感じる。真偽の程は定かでないが、NHKオンデマンドが有料サービスとして運営されているのは、民放局などから「NHKのコンテンツを無料で提供されたら経営が厳しくなる」などの理由で要請があったから、なんて話もあるが、NHKが視聴者目線で組織運営するのなら、民放各局も放送した番組の見逃し配信を無料で行っているのだし、少なくとも受信契約者にはNHKオンデマンドは無償提供するべきだ。
 
 そのような技術・サービス的な話以外にも、NHKの番組作りに関して視聴者目線に立っているかもしばしば話題になる。元NHKアナウンサーの堀潤氏が東洋経済オンラインのインタビュー記事・「NHKの強硬姿勢は損、まず改革が先だ」の中で、次のように述べている。
 
放送改革とセットで組織のスリム化が必要だ。NHKにクイズやバラエティ番組は本当に必要ですか? 民放や動画配信サービスに任せればいい。報道と教育、マイノリティスポーツ、海外への発信などを根幹事業としてしっかりやる。そして組織は適正な規模に再編成する。そうすれば今より低い受信料でも十分に運営できる。現在の規模は大きすぎます。絶対に。

確かに、自分もNHKには、最も報道を重視して欲しいと思う。堀潤氏は「24時間のニュース専用チャンネルでない点は問題だ」とも述べている。NHKには地上波・BS合わせて4つもチャンネルがあるのだから、内1つをニュース専門チャンネル化するのはとてもいい案だろう。しかし、NHKにクイズやバラエティ番組はいらない(いらないは言い過ぎとしても、もっと減らしてよい)という感覚はよく分からない。クイズやバラエティを槍玉にあげるなら、朝ドラ・大河ドラマなど、ドラマもいらないし、アニメもいらない、のど自慢や紅白などの娯楽系音楽番組もいらないとなってしまわないだろうか。
 少し前にツイッター上で、以下のようなツイートを見かけて、

NHK受信料を義務化するのであれば… ①国会中継は各委員会も含めてすべて生中継すること ②財務諸表を毎年全て一般公開(悪の巣窟…NHKワールドの財務諸表も!) ③アーカイブをすべて無料公開 ④お笑いなど無駄にギャラを要する番組はすべて終了 ⑤NHK施設の一般開放 税金なら当然の話

次のように反論した。

お笑いが無駄という判断はあなたの個人的な見解ですよ。自分は無駄だとは思いません。落語は伝統文化ですがお笑いです。では漫才は?漫才も既に話芸で文化だと自分は思います。無駄と一蹴するのはどうでしょうか。判断は簡単ではないと思います。

お笑いに限らず、例えばEテレの中高生向け歴史番組は、多くの人が必要な番組に分類すると想像する。では歴史上の人物を取り上げる大河ドラマは?と問われたら、同様に必要だと答える人が多いだろう。では歴史上の知られざる雑学を扱うバラエティやクイズ番組は?と聞いたら、大河ドラマよりは支持者が減るだろう。個人的にはそんな視点のウンチク話から歴史に興味を持つ人は少なくないから、そのような番組も必要だと考える。中学の歴史の授業で、教科書に書かれていることをただただ板書して淡々と授業をする先生と、たまに脱線して教科書に載ってない、試験や受験の役には立たないかもしれないまだ正しい見解とされていないような、諸説を教えてくれる先生の授業のどちらを受けたいか、と言えば、後者だと言う人の方が確実に多いだろう。Eテレの教育番組は前者的で、歴史クイズ・バラエティ番組は後者に当たるだろうから、クイズやバラエティだからいらないとは言えない、と自分は思う。
 このような論調を更に強め、「NHKは報道だって中立性が怪しいのだから、Eテレと国会中継以外はいらない」なんて言っている人もいるようだが、視聴者の中にはEテレや国会中継には全く興味がないという人もそれなりにいるだろう。もしそんな極端なことをすれば、そのような人は「NHKは視聴者の見たい番組(クイズやバラエティなど)を放送しないから、受信料を払いたくない」という批判をするようになるだろう。確かに自分も、NHKには民放でも出来るようなクイズ番組やバラエティに、安易に資源を割いて欲しくないとは思うものの、民放はNHK以上に視聴率を重視し、視聴者に見て貰える番組を作っているのだから、NHKが視聴者の要望に応える努力をすれば、ある程度民放的なテイストが出てくるのは当然のことで、そのようなことを全否定するのはあまりにも極端過ぎて、結局NHKは役目を果たせなくなると考える。
 
 NHKの組織運営・放送に対する姿勢には、受信料を払いたくないと感じるような点があることは間違いない。しかしNHK・公共放送とはどのような性格のものなのか、存在意義を維持するのには何が必要なのかと言えば、受信契約の自由化、受信料支払いの自由化でも、NHKの非娯楽化でもなく、堀潤氏が東洋経済オンラインの記事内で言っているように、まず閉鎖的な経営を改め、市民に開かれた放送局として、市民が見るだけでなく映像素材や施設を利用できるなど、活用しやすい組織に生まれ変わることなのだろう。 

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