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誹謗中傷は無視でOK?


 ブロガー・文筆家などとして活躍する、はぁちゅうさんが電通在籍時代に受けたセクハラ・パワハラ被害を告白した。告白はBuzzFeed Japanが取材した記事という形式で、12/17に同サイトに掲載された。その反響は決して小さくなかったようで、翌18日にBuzzFeed Japanは「日本でも広がる『#metoo』しかし、勘違いしないでほしい」という見出しで、はあちゅうさんの記事に続く形で表明された似たような経験談のツイートや、はあちゅうさんの告白に賛同を示したツイートなどをまとめた記事も掲載している。経験を表明した者の中には、現役女子高生で起業したことなどで知られる椎木里佳さんもおり、彼女は、

広告業界に限らずセクハラ・性的要求は世の中に蔓延してる。断ったら仕事の話が白紙になったこと何回もあるし。
その度に悲しい気持ちになるけど、クズとの仕事未然に防げてよかったと思う。
もしされたら、絶対に要求を呑んではダメ。それを成功体験にしてまた同じことが繰り返されるから


とツイートしている。今朝のMXテレビ・モーニングCROSSにもコメンテーターとして出演し、この件について自分の思いを話していた。


 この一連の流れの中で、セクハラ・パワハラ被害を最初に告白したはあちゅうさんに対して、セカンドレイプ的な主張がツイッターなどで行われているようだが、椎木さんによると、彼女がツイッターでも明かしたように、彼女のツイートに寄せられる返信も似たような状態だそうだ。今朝の時点で、寄せられる反応の8割程度が男性と思われるアカウント発の彼女に対して批判的な内容だそうで、彼女は「いい反応だけではないと思っていたが、バランスがおかしすぎる、フォロワー1とか3とかのアカウントで(否定的な意見を)ガーっと言ってきたりする。世の中にこんな人が沢山いるのかと思うと、どうしていいか分からなくなる」という旨のコメントをしていた。セカンドレイプ的な、被害者を思いやれない稚拙な反応を示すことが、いかに愚かなことかについては、番組で椎木さんも力説していたし、ハフポストに掲載された駒崎弘樹さんの記事など、他でも多く指摘されているので、それについてはここでは割愛する。自分が注目したいのは、”肯定的な反応と、誹謗中傷のような反応のバランスがおかしい”という点だ。

 これについて、椎木さんの主張を受けて、同じく今日のコメンテーターだった高橋浩祐さんが、「どうしていいか分からなくなる」と言っていた彼女が、出来るだけ傷つかないで済むようにという思いやりからだろうが、「匿名アカウントで隠れて卑怯に誹謗中傷するようなヤツは無視していいですよ」とフォローしていた。また、「フォロワー10以下なんかの幽霊アカウントを遮るアプリがある(から、それで対処したらいい)」とも言っていた。確かに短期的な当事者の対処は、高橋さんの言うように無視というのが無難かもしれない。若しくは、長期的に考えても、誹謗中傷が少数なら無視でもいいだろう。しかし椎木さんは、その前に「セクハラが行われてしまうような社会の状況自体をなんとかしたい」とも言っていたので、「どうしたらいいか分からなくなる」と椎木さんが言っていたのは、”嫌な思いをしない為には、どうしたらいいか分からない”のと同時に、”こんな状況を改善するには、どうしたらいいか分からない”という意味でもあったように思え、無視は適当な対処方法なのだろうか、と自分には感じられた。
 
 BuzzFeed Japanは、はぁちゅうさんの記事を掲載した12/17に「日本に帰化した在日コリアンが、自分の言葉で伝えたかったこと」という記事も掲載している。日本に帰化した韓国系の若者が、ヘイトスピーチ・嫌韓まとめサイトなどに対しての思いを語った記事だ。この記事のコメント欄がかなり酷い状態で、はっきり言ってヘイトスピーチのオンパレードだ。自分は記事にもその旨のコメントを書いたが、記事を管理するBuzzFeed Japanやコメント欄のシステムを提供しているFacebookには何らかの対処をして欲しいと思うレベルだ。あまりにも目に余るので、自分はいくつかのコメントに対して反論したし、一部のコメントはFacebookに不適切なコメントとして報告もした。しかしFacebookからは、いつものように違反はないという定型文が数日後に返ってくるだけだった(追記:その後削除するという判断も数件あった)。例えば「日本から出ていけ」なんてコメントは明らかなヘイト行為だと自分は感じるが、Facebookの基準、BuzzFeed Japanの基準では表現の自由の範疇なのだろうか。それとも、”誹謗中傷は無視”しておけばいずれ淘汰されると思っているのだろうか。そして高橋さんは、椎木さんにフォローしたのと同様に、この記事で取り上げられている韓国系日本人の若者にも”誹謗中傷は無視”するのがベストと言えるだろうか。
 
 12/9の投稿12/11の投稿など、自分はここのところ再三スルースキルの有効性の低さを主張している。これから書くことも、重複する部分が多いかもしれないが、重要なことだと思うので何度でも主張したい。
 目に見える誹謗中傷・ヘイトスピーチが明らかに少数で、それは適切な見識のない愚か者の主張だと大多数が感じるような状況なら、無視・スルースキルには一定の効果があり、余計な意見の対立を避けるという意味でも有効な対処法だと思う。しかし、椎木さんのツイートに寄せられる反論や、12/17のBuzzfeed Japanの在日コリアンに対するヘイト行為に関する記事のコメント欄のように、匿名性を背景に行われる誹謗中傷・ヘイトスピーチが大半を占めるような現状においては、無視することが有効な対処方法だとは思えない。何故なら、そのような発言が行われても問題ないなどと既成事実化し、無視するだけでは減るどころか今後更に増えてしまう恐れもあるからだ。
 確かに高橋さんが暗に示している”大多数に見える誹謗中傷も、実際は匿名性を利用したごく少数の人によって行われている”という話は自分もその通りだと思う。だから”大勢の意見に見えるが、誹謗中傷しているのは実は少数で、実際は取るに足らないことだから気にする必要はない”という主張も理解できないではない。しかし問題なのは誰もがそのように認識しているわけではないということだ。ネットでは少数派が複数のアカウント使うなどして多数派のふりをすることが容易だが、ネットに詳しい者はそれを理解しているだろう。しかし、見せかけの多数派を本当の多数派だと信じてしまう者もいる。これだけ啓蒙活動が行われているのに、特殊詐欺被害が減らないことを考えれば、そのように信じてしまう者も決して少なくないと言えるのではないだろうか。ということは、ネット上にまき散らされる誹謗中傷・ヘイトスピーチは、無視という消極的な対処だけでは不十分で、何らかの積極的な対策が必要な事態に陥っていると自分は強く思う。
 椎木さんは、彼女の受けたセクハラ未遂に関して相手の実名を明かさない理由を、「個人を断罪したいのでなく、そのようなことが起こってしまう社会構造や状況自体をなんとかしたいから」としていた。ということは、やはり彼女のツイートに寄せられる誹謗中傷に関しても、セクハラ・パワハラ同様に誹謗中傷が簡単に行われてしまう社会(主にネット社会の)状況を変えるには、無視というのは適切な対処方法でないように思える。勿論、セクハラ未遂という被害を受け、更にそれを告白したことに対しても中傷という二次被害を受けた椎木さんが、また更に嫌な思いをしながら丁寧に一つ一つ反論するべきだということではない。しかし、ツイッターの運営によってなのか、また別の機関が必要なのか、利用者一人ひとりの少しづつの努力によってなのか、何が最も適当かは分からないが、誰かがその不適切さを指摘しなくては、結局、誹謗中傷が簡単に行われる状況は今後も変わらないと思う。
 
 ならば、誹謗中傷に対して一つ一つ指摘するなんてまどろっこしいことはせずに、ツイッターやコメントを募るサイトなどが、一元的に不適切なコメントを排除すればいいと思う人もいるだろう。しかし、誹謗中傷に当たるか、ヘイトスピーチに当たるかの線引きをどこでするべきかの判断も決して簡単ではない。「死ね」とか「日本から出ていけ」などのあからさまな罵倒以外の主張を規制し過ぎることも、それはそれで別の危険性が出てくる。要するに誹謗中傷やヘイトスピーチに該当する恐れがあるというだけで、その手のコメントを削除するなど、一括して排除しようとするのでなく、それらが誤った見解に基づいている恐れがあるとか、なぜ適切ではないのかなど、懸念を丁寧に示していくことが最も重要且つ効果的なことなのではないだろうか。排除するだけでは誹謗中傷・ヘイトスピーチを行う者の考えを根本的に変えるには至らないだろうから、そこから排除したところで、結局別の場所・別の形で同じことが繰り返されることになりそうだ。
 自分はその考えに基づいて、よく見るサイト・BuzzFeed Japanやハフポストのコメント欄で、その手の不適切に思えるコメントを見かけた際は、出来る限り反論し懸念を示すようにしている。しかし確かにそれにはとても手間がかかる。自分も面倒臭いと感じることが多々ある。だが自分は、それ以外に誹謗中傷やヘイトスピーチが簡単に行われないような状況と、基本的な権利として認められる表現・言論の自由の両立を達成するのに有効な方法が思い浮かばない。個人的に今できることはそれぐらいしかない。


 ネットの自由な風潮は、ネットの普及・登場以前より確実に多くの人に主張の場を与え、風通しのよくなった部分も大いにある。しかし現状は自由ばかりに比重が置かれ、責任が軽視されているバランスの悪い発展途上の状況にあるのだと思っている。昨今はネットなどを介した非対面コミュニケーションの割合が増え、相手の顔が見え難くなり、その分他人を思いやることが出来ない者が増えたという話がある。ヘイトデモなどはネット上でなく現実社会で行われているが、それについても、流石に顔が思い浮かぶような韓国系の近しい親戚がいるのに、過激な嫌韓ヘイトデモに参加するという者はかなり少ないだろう。また、デモが実際に行われる要因の一つには、ネット上のヘイト的な主張との関連性が確実にある。やはり、顔を直接合わせて行うコミュニケーションにはそれなりの重要性があるのではないかと思う。
 ここ半年くらい、東名の事故があったことに端を発し、危険運転問題が注目を集めている。自動車免許では、違反行為を繰り返せば免許停止となり運転が制限されてしまう。ネットの自由さはとても重要だし、前段では線引きが難しく一元的な規制で対応するべきではないと述べたが、ヘイトスピーチなどに限らずネット利用に関して不適切な言動を繰り返す者も、自動車免許と同様に一定期間の接続・利用停止などを検討しなければならない時期になっているのかもしれない。

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