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国会とAI


 「何度も同じような質問が繰り返される時は人工知能ではじいてほしい」、自民・小泉進次郎議員が昨日・1/22、こう発言したそうだ。より詳しい発言内容は朝日新聞が掲載している。これは、国会の在り方に関する見解の中で示された話だそうで、恐らく与野党の質問時間配分や、一部の野党議員らが似たような内容の質問をしたり、時に必要性の感じられない質問をしたりすることなどを、念頭に置いてこんな事を言ったのだろう。
 繰り返される同じ質問をAIによってはじくことが必要なら、質問に対して適切に答えない官僚・閣僚ら政府関係者もはじかれる必要があるだろう。幼稚で稚拙で必要性の低そうな似たような質問は確実に国会の議論の中に存在しているが、同時に質問の内容について適切に答えず、そして答えないだけではなく、関係性の薄い話で時間稼ぎしているようにしか見えない答弁をする官僚・閣僚も少なくない。小泉氏は一応与党議員だから、与党側からの目線で「同じような質問が繰り返される時には人工知能ではじくことも必要ではないか」と言っただけで、彼は、後者のような者も当然AIではじくべきだという感覚も持ち合わせているのかもしれない。しかし、もしそうであるなら、そのように付け加えなければ聞く側は分からないし、少し偏った見解であると言わざるを得ない。


 個人的には、小泉氏は具体的な話として述べたのではなく、どちらかと言えばリップサービスとか問題提起的に話をしたのだろうと感じる。確かに、本当に必要なのか耳を疑うような似たような質問に時間が割かれるのも、幼稚な議員のバカだのアホだの発言や同程度の発言も、質問に対して真摯に説明しようとしない官僚・閣僚らの答弁も、全部まとめて一掃できれば、国会の議論の合理性は格段に高くなるだろう。しかし、その理由は後述するが、自分はそれがAIによって実現する可能性は限りなく薄いと考える。なので、彼の発言は、自身の存在感を一定程度に保つ為、やや短絡的に感じられる話であることを重々理解した上で、話題性を重視して敢えて表明しているようにも見える。
 質問や答弁内容が適切か否かをAIに判断させたところで、公平性は全く担保されないと自分は考える。その判断は一見AIが独自にしているように見えるが、実はAIの開発者やAIを教育した者の判断が反映されているだけ恐れもある。AIを導入するにしても、誰が開発したAIを導入するのが適切だということになるのか。一口にAIと言っても、全知全能の神のようなAIが存在する訳ではなく、様々な企業や開発者によって多様なAIが開発されている。AIによっては判断が異なることもあるが、国民の誰もが、全員でなくとも大多数が適切と判断し、その判断に従いたいと思うAIが登場するのだろうか。小泉氏の発言から考えると、彼は「AIは万能である神のような存在」という幻想を抱いているのかもしれないと感じてしまう。

 AIだってその基礎は人間がプログラムしたものだし、学習型AIだって学習過程にある程度人が関わる。これまでの人間の歴史や記録から学ぶはずだ。歴史や記録を解析し、その記録が正しいかどうかも含めて、より客観的な判断を下すことは人間より確実に上かもしれないが、AIだから絶対間違えないという保証はどこにもはない。マイクロソフトが開発中のAI、ユーザーのツイートにレスポンスを返す”Tay”を公開したところ、虐殺や差別を肯定し始め、公開からたった16時間という短期間で公開中止に追い込まれた。原因は悪意のあるユーザーの影響を受けた為だとされている。どんなAIを導入するか、AIの判断をどの程度受け入れるのかなど、どのように運用するかは政権与党の意向が強く反映されるだろうから、ある意味ではAIの判断・運用=政権与党の意向の正当性を訴える為の存在にもなりかねない。流石に導入時からあからさまにそんな側面を感じさせるような、仕組みや運用方針になる筈はないだろうが、小泉氏が所属する自民党が、野党時代に必要性を訴えて実現した与党2:野党8の質問時間配分を、自分たちが与党の立場になったら議席数を考慮して配分を変えろなどと言いだしていたり、先の衆院選の公約では、すべての子どもを対象に幼児教育無償化するとしていたのに、選挙が終わった途端に、すべての子どもが対象とは誰が見ても言えないような具体策を検討し始めたのを見ていると、自民党が与党だからではなく、どの党が与党になろうが、程度の差はあれど政権与党に有利で恣意的な運用が行われるのではないかと懸念してしまう。更に、政府内に限らず、悪意のある市民や、外国の諜報機関によってAIが不正に改ざんされる恐れだってないとは言えない。
 そう考えると、一つのAIでは安全とも公平とも言えず、安全や公平性の観点からAIも与党のAIと野党のAIのような存在が必要になるだろう。結局そうなれば、AIは主張の異なる人間の代弁をする存在でしかなくなってしまうのではないだろうか。そんなものに存在意義はあるだろうか。
 
 そもそも判断とは、人間が下そうがAIが下そうが、下された時点では間違っているとも正しいとも言えず、後々評価がされるものであって、実は判断が下されるプロセス自体の方が大事なのかもしれない。例えば、消費税は最初の3%が導入されるまでにも10年以上の議論が行われた。現在でも消費税が適切な徴税方法なのかに関しては、絶対的に正しいとも不適切とも言えないだろうが、一応不適切ではないという判断を基に8%まで税率が引き上げられ、来年更に10%に引き上げられることになっているのだろう。ということは、一応最初の3%の導入も適切だったと言えるはずだが、当時AI技術が既に実用化されていて、長い議論もなく最初に消費税に関する議論が始まった直後に、AIが「消費税3%は必要だから即導入」と判断していたとして、果たして国民がそれに従っただろうか。自分にはとてもそうは思えない。
 そんな意味では、勿論出来る限り排除していく努力をしなくてはならないだろうが、馬鹿馬鹿しい質問や胡散臭い答弁の存在も、ある程度は認めざるを得ないとも思える。何が適切な議論で何が不適切な議論かの判断を、AIに一方的に任せるのなら、極端に言えば、最初から人間の議員が議論をする必要などなく、AIが全て議論、というかAIが全て判断して、それに国民全員ただただ従えばいいだけではないのか。
 単純な判断をAIに任せることを否定するつもりは全くないが、思想や信条に関する判断をAIに任せるということは、人間の存在意義自体を否定することにも繋がりかねないと自分は考える。 

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