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高齢者の運転免許返納義務化論について


 昨日・1/9、群馬県で、85歳の男性が運転する車が、自転車に乗った通学途中の女子高生2人をはねる事故が発生したと、複数のメディアで報じられている。この事故に限らず、高齢者ドライバーによる高速道路などの逆走や、注意力・認知能力低下などが原因と思われる交通事故は、近年日本でも問題になっている。自分は、このような高齢者の事故が報道されるようになった当初は、「事故自体が増えたんじゃなくて、報道される件数が増えただけなのでは?」と思っていたが、どうやら高齢化の進行と共に、このような事故の件数も実際に増えていることは間違いがないようだ。ということは、今後高齢化は更に進むのだろうから、何かしらの効果的な対策が必要なことも間違いなさそうだ。

 
 今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでも、この事故を取り上げており、今日の視聴者アンケートはこの件に関連した「高齢者の免許返納について あなたの考えは?/いまのまま任意でよい/義務化すべき/その他」だった。番組中に表示される視聴者ツイートの中にもこの件に関する内容のツイートがいくつかあり、様々な見解があったが、中には強行なもの、気になるものがいくつかあった。

地方の町では車がないと死活問題を解消できないのかな? 80歳以上は運転禁止にしたら?

過疎化が著しい地域では、確実に車は生活に欠かせない存在であることは間違いない。それが理解出来るなら、無条件に何歳以上運転禁止という規制の仕方では当事者にとっては、何歳以上になったら死ね、若しくは迷惑かけないように親戚のそばにでも引っ越せ、と言っているようにも聞こえるだろう。にもかかわらず、何かの条件提示もなく年齢制限を設けたらと提案するということは、結局他人事としか思えないのだろう。


免許に年齢の下限があるのだが、上限はない。おかしいよね。

下限があるなら上限も必要で、上限がないのはおかしい、と言える根拠がどこにあるのか、自分にはさっぱり分からない。ならば飲酒年齢や喫煙年齢、選挙権・被選挙権などにも年齢の上限が必要だという話になるだろうが、それらにも全て上限はない。恐らく彼の頭の中にはそれなりの理由があるのだろうが、ここでは説明を端折っているのだろう。モーニングCROSSで自分のツイートを画面表示させたいなら60字以内でないと対象にならないようで、それはツイッターの文字数制限より更に制限が厳しい。それもこのような乱暴な主張の要因の一つだろうと感じられる。


街中で、ドライバーが高齢者だと警戒するようになってしまった…

これだけ高齢者ドライバーの事故が報じられたら、そんな感覚を持つことも自然だ。ただ、多分これを非都会で生活する人に言っても「今更気が付いた?」と言われるだろう。
 自分の同級生に長野の山に移住し農業をしている者がいる。10数年前に始めて彼のところを訪れ「今高速降りたところだから、後何分ぐらいで着くよ」と電話した際、群馬北部出身の彼の奥さんが「山道は危ないから気を付けて」と言っていた。自分は「山道は細いし急カーブも多く、慣れていないだろうから気を付けてね」という意味だと解釈していた。彼の家に到着した後、夕食の際に「そのような意味でしょ?でも全然危なくなかったよ」という旨の話をすると、そのような意味が全くないわけではないが、「車線から大きくはみ出したり、薄暗くなってもヘッドライトを点灯しないで運転するような高齢者ドライバーが、この辺には多いから気を付けてね」という意味の方が強かったと言っていた。
 要するに、高齢化が進み、都会のように公共交通が充実しておらず、充実していないどころか採算性の問題でどんどん廃止になっていくような地域では、高齢者であっても運転しないわけにはいかないので、殆どの高齢者が運転する/しなければ生活できないし、交通量が少ないこともあって大問題にはならないが危険な場面もそれなりに多い、という状況・住民の認識が、高齢者が起こす交通事故がこんなに報道され、問題視されるよりもずっと前からあるということだ。

 やはりこの手の話で最も気になるのは、視聴者アンケートにもなっていた高齢者の運転免許返納義務化についての話だ。番組のアンケート結果でも”義務化すべき”が最も多かったし、番組だけでなく、ツイッターなどを見ていても、年齢で制限して免許返納を義務化するべきという主張をそれなりの頻度で見かける。自動車を運転しなくても生活を維持できるようにする他の施策とセットでということなら、また話は別かもしれないが、自分はこのような単純に年齢制限を課すべきだという主張を見ると、自分の尺度でしか物事を考えられない者の、現状認識が足りない乱暴な思考に見えてしまう。確かに高齢者が引き起こす事故の全ての交通事故件数に対する比率増大を考えれば、確実に何かしらの対策は必要だ。しかし、単純に年齢だけで線を引いてしまうのは適切ではない。
 もし年齢での制限が必要且つ適切であるならば、免許取り立ての若年層は従来から常に事故率が他の年齢層に比べて高く、若年層も高齢者層と同様に規制対象にする必要がある、言い換えれば免許取得可能年齢を今以上に引き上げるべきだ、ということになりそうだ。また、現在交通事故件数が最も多いのは愛知県だが、それを理由にどこかの県が、愛知県ナンバーの車両は乗り入れ禁止にする規制を設けることが許されるだろうか。若年層の事故率が高いのは間違いないが、全ての若年者が事故を起こすわけではない。そして愛知県の事故件数が最多であることは間違いないが、全ての愛知県ナンバーの車が事故を起こすわけではない。それは高齢者も同様で、90歳になっても運転適性がある人もいれば、70歳で適正がなくなってしまう人もいる。なのに一律何歳になったら免許返納と線引きするのは適切とは思えない。適正のない高齢者の免許返納を義務化という話なら理解することが出来るが、一律何歳で、というような規制の方法では、場合によっては基本的人権を尊重するという憲法の規定に反するなんて意見も出てきてしまいそうだ。

 何歳以上は一律免許返納しろなんて考え方は、個人的には、不正受給にばかり注目するあまり、保護受給者=全員ずる賢い者/努力不足のような妄想を、恥ずかしげもなく声高に主張するような人と大差ない考え方であると思っている。日本の至る所に桜が生えていたとしても、だから日本の森に生えている木は全て桜、なんてことには確実にならない。高齢者の半分以上が事故を起こすような深刻な事態が現実にあるのなら、そのような規制もやむを得ないのかもしれないが、決してそんなことはない。
 全体の交通事故死亡者は近年は寧ろ減少傾向にある。それでも「死亡事故を無くすには他に方法がない」などと言う人もいるかもしれないが、他の年齢層のドライバーも死亡事故を起こしているし、そのような方法で死亡事故を無くそうと言うのなら、日本から自動車を殆ど無くさなければ目的は達成されないだろう。
 
 結局のところ、何歳以上は一律免許返納しろ、という主張も、本質的には1/8の投稿で書いた、短絡的に・又は乱暴に一括りにする考え方なのだと、自分は考える。

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