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動物愛護と食文化の関係


 「ロブスターは失神させてから調理を、スイスが保護規定定める」という記事をロイターが1/10に報じた。記事によると、活きたまま熱湯で茹でる調理法を禁止する規則以外にも

甲殻類を氷や氷に漬けて輸送してはならない。水中生物は常に自然と同じ環境で保存しなければならない。甲殻類は失神させてから殺さなければならない。

という規定もあるようだ。昨年・2017年6月にイタリアの最高裁でも「ロブスターを不当に苦しめることになる」という理由で似たような判決が下されているらしい。
 活け造りや踊り食いなどの文化がある日本では、恐らく同じ様な判決が下されることも、このような法令が定められることも、少なくとも10年くらい先まではあり得ないだろうが、年明けから問題になっているブラックフェイスの件のように「日本の文化・事情よりも、世界(=欧米)の判断基準を重視するべき」と考える人が今後更に増えれば、スイスの法令やイタリアの判決を根拠に、日本の食文化は動物愛護の精神に反するなんて話が、将来的には盛り上がらないとも限らないとも思えてしまう。

 
 いかなる生物も不要に虐待してはならないという考え方にはとても共感する。ただ、その線引きはとても曖昧で、日本だけでなく世界中に(スイスやイタリアでもそうなのかは分からないが、)野良犬・野良猫を捕まえて殺処分している国はあるし、人間の活動の影響の結果、増え過ぎた野生動物・生物を、害獣・害虫などとして間引く、時には絶滅寸前に追い込むことを行っている場合も決して少なくない。近年では鳥インフルエンザの拡大を防ぐ為という理由で、感染が見つかれば、感染していないかもしれない鶏も含めて、地域一帯の鶏が殺処分されるという報道をしばしば耳にする。

 自分が言いたいのは「どんな生物も一切殺すな」ではない。もし自分が大事に育てた生活の糧になる農作物を、鹿や猪、猿などに食い荒らされたり、イナゴ被害で作物ほぼ全滅なんてことになったら、相応の対策を立てようと考えるだろう。鳥インフルエンザに関する殺処分は、人間に置き換えれば、伝染病が発生した地域で感染拡大を防ぐ為に、感染者かどうかに関わらずその地域の人を問答無用で虐殺する、というようなあり得ない話だとも思える。しかし、人間が食用として育ていた家畜なら、確かに残酷な話ではあるが、そのような対処も仕方ないとも思える。
 要するに、自然界に存在する肉食動物同様、人間が他の動物を殺して食べたり利用したりするのは、乱獲でその種を絶滅に追い込む程でなければ不自然なことではないし、農業被害や鳥インフルエンザの対策で駆除・殺処分が行われることも、食糧を確保する行為の一環だと考えれば、残酷かもしれないが、倫理に大きく反する行為とまでは言えないと自分は考える。甲殻類やロブスターの保存法や殺し方に規定を設るというような些細な話は、自分の視点と別の視点で考えれば、「出来ることからコツコツと積み上げて動物愛護の精神をより深めよう」という考えに基づいているとも言えるのだろうが、そんな話を考慮すれば、自分の感覚では「動物愛護してる!」と感じたいが為の、厳しく言えば、自慰行為に過ぎないように感じられる。
 
 スイスやイタリアでも、ロブスターや甲殻類を殺して食用にしてはいけないまでとはされておらず、食べるにしても出来る限り苦しませないようにしろ、と言っていることは理解できる。ただ、自分の感覚では、氷漬けにするなとか活きたまま茹でてはいけないという話には全然共感出来ない。ロブスターや甲殻類だけでなく、他の動物を食用にすることが問題ないのであれば、食用とする動物は最大限活用するべきだと思う。最大限活用するが意味することは、食品ロスにならないようにするとか、使える部位を捨てないようにするということもそうだが、最大限美味しく食べることも含まれると考える。最大限に美味しく食べる為には、調理するまで・食べるまでの鮮度を保つ必要があるだろうから、その為には氷漬けにする必要があるかもしれないし、生きたまま捌いたり、調理したりする必要もあるかもしれない。だから自分は「それを法的に禁じる」という考え方に違和感を感じるのだろう。

 最大限美味しく食べることが、食べられる側への最大限の敬意だという考え方は、ある意味では宗教的な観念で、それが合理的かどうかは分からないが、苦しませないで殺さなくてはならないという視点もまた、宗教的な感覚に基づくものだろうから、どちらが絶対的に正しいなんて判断をすることも出来ないし、されるのもお断りしたい。スイスやイタリアでの判断を否定するつもりは一切ないが、このような流れが日本には起きない事を願う。日本にこのような感覚を持つ人がいることも全然構わないが、そのような価値観が法律で規制とか、裁判所で判断されるなど、全ての人が「そう考えるべき」と強制されるのはまっぴらごめんだ。

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