スキップしてメイン コンテンツに移動
 

日本は人権感覚に欠けた国、と思われかねない発言


 昨年・2017年11月からテレビや新聞・週刊誌、特にワイドショー/スポーツ紙/週刊誌などが北朝鮮関連情勢と並ぶくらい熱心に取り上げている、日馬富士関の暴行に端を発する相撲界の話題。自分は11/30の投稿でこの件に触れ「そんなことより、優先して取り上げるべき案件は他にもっとあるだろう」と書いた。それ以来、と言うかそれ以前からだが、日馬富士関の暴行の件にしても、横綱という立場だから一切報道必要なしとは言わないが、それを除けば一般社会でもしばしば起きる暴力沙汰で、被害者と加害者の間で問題解決が図られればよい問題なのに、周辺がどうのこうのと騒ぎ過ぎだし、それ以降の話は、もうただ単に相撲協会内のお家騒動というだけのことで、やれ誰が不倫したとか、交際しているだとかのゴシップネタと大差ない話題としか思えなかったから、一切ネットニュースでも関連記事はクリックしなかったし、テレビでもその話が始まるとチャンネルを変えるかスイッチを切るぐらい、目にする事自体を嫌悪してきた。

 
 しかし、昨日ツイッターのタイムラインを見ていると、数人が文春オンラインの「「張り手は問題なし」池坊保子氏が白鵬を擁護」という記事を取り上げ、この記事の中で池坊さんが「1月5日の稽古総見では、白鵬の見せた張り手に批判が集まった」というインタビュアーの問いかけに対して、

張り手っていうルールがあるんでしょ。それがいけないのなら、協会が(張り手を)禁止って言えばいい。(ルールが)ある以上は『張り手した』と、ガーガー(批判を)言わないで。理事会で取り上げてほしいです。(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ

というコメントをしたことを疑問視していた。自分もこのコメントの「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。」という部分には強い違和感を覚える。自分は文春というメディアがあんまり好きじゃないし、この記事に関しても、もしかしたら何かしら事実を歪曲して表現している部分があるのかもしれないとも考えてはいるが、流石に全く根も葉もないことを発言したことにするような程まで腐っているとは思えないし、この記事の表現に事実に反する部分がないのなら、相撲協会の評議会議長ともあろう者が、公になる取材に対して発言するべきコメントではなかったと考える。
 
 記事を読む限り、池坊さんは横綱・白鵬関に対して、彼の立場を勘案し、概ね彼を尊重する姿勢であることが読み取れる。そして懸案の部分に関しても、白鵬関の相撲の内容に関する「横綱らしくない」という批判に対して、「横綱らしくないのがいけないのであれば、ルールに明記するべきだ」というような論法で、白鵬関を擁護するような態度を示している。そのような事を勘案すれば、彼女にモンゴル人を差別する意識はないのは確実だろうが、「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。」という文言から、モンゴル人=狩猟民族のような偏見はあるのだろうとも思える。
 ”モンゴル人=狩猟民族のような偏見”と書いたが、モンゴル人は狩猟民族だと単純に言うだけでは、直ちに偏見とか差別だとは出来ないだろう。問題なのはその後に「良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」と続けていることだと自分は感じる。このような一連の発言からは、白鵬関はモンゴル人で、モンゴル人は普遍的に必要以上に相手を叩きのめす人種/民族であるというニュアンスが強く感じられる。そしてそれが何を連想させるかと言えば、相撲界がこれほどネガティブな意味合いで注目される発端となった、日馬富士関の暴行問題だ。彼女は明言していないが、その暴行問題に関しても「日馬富士関があそこまで貴ノ岩関に激しく必要以上に暴行を加えたのは、彼がそのような民族性を普遍的に持つモンゴル人だったから」と考えているのではないかと想像させられる。
 
 こんな発言を、日本の象徴的文化の一つで国技とも言われるような競技である相撲の、協会・評議会議長がするようでは、最悪「これが日本人の主流の考え方」という風に誤って捉えられてしまう恐れもある。モンゴルは現在、日本の相撲界で多くの力士が活躍していることもあり、概ね日本と友好的な関係だと言えるだろうが、それに水を差すような発言でもある。更に、年明け以来話題になっているブラックフェイス問題に関して、しばしば指摘されている「日本人の人権感覚の低さ、差別認識の疎さ」なんてものに関連付けた批判がされてしまうかもしれない。
 自分はブラックフェイス問題に関して、”日本人の感覚 < 黒人の被差別意識/欧米で主流の価値観”という論調は容認出来ない。黒人差別問題は多様性の尊重というニュアンスも含んでいる筈なのに、黒人のモノマネをすることに差別意識はない、という日本人の感覚が度外視されるようでは、日本人の感覚が尊重されておらず、多様性の尊重に反すると考えている。今回の池坊さんの発言は、前述のように「人権感覚の低さ」を強く感じさせるもので、代表的な日本人である者がそのような発言を公にしたことは、日本人の感覚を尊重する必要性の低さを裏付けてしまう恐れが強く、絶対容認できない。

 池坊さんは、貴乃花親方の理事解任処分を明らかにした記者会見で、解任理由の一つに「著しく礼を欠いていた」ということを挙げていたそうだが、今回の彼女の発言は全てのモンゴル人に対して”著しく礼を欠いた発言”である懸念がかなり高い。懸念ではなく断定しても問題ないと自分は感じている。このような人が評議会議長であることも、相撲界のお家騒動が一向に解決しない理由の一つでもあるだろうし、何よりも他国から「やはり日本は人権感覚の低い島国根性溢れる閉鎖的なお国柄」という誤解・批判を受けない為にも、相応の措置を率先して自らに科し、是非とも影響を最小限に留める努力を見せて欲しい。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。