スキップしてメイン コンテンツに移動
 

パワハラ・セクハラは被害者の落ち度という主張の危険性


 「新入社員の僕は、上司のセクハラに声をあげていいのかわからなかった。」BuzzFeed Japanが1/19に掲載したセクハラ・パワハラに関する記事だ。詳細は記事を読んで欲しいが、掻い摘んで説明すると、ある23歳の男性が、半ば強制的に、上司に性風俗の利用に付き合わされたことをきっかけに鬱状態になってしまったという告白だ。さらに、それを人事担当者に相談するも「そういうこと、あるよな」などとあしらわれ、父親に相談したら「その程度の理不尽に耐えられないなら、どこの社会も無理だ」などと逆に責められ、彼の絶望は余計に深まってしまったそうだ。

 
 自分がこの記事を読んで感じたのは、記事のコメント欄にも、

この記事で紹介されているショウタさんは、まだマシなのかもしれない。
それは、この程度で済んでマシだという意味では決してない。

自分の経験を誰かに打ち明けて聞いてもらう気になれた

ことはとても素晴らしいし、そう思えたことは運が良かった。
恐らく、彼と似たような経験をしていて悩んでいても、
周りの誰にも打ち明けられず、当然BuzzFeedのようなメディアで告白する
なんて出来るはずも、する気にもなれるわけもなく、
ただただ一人思い悩んでいる男性は決して少なくないだろう。
当然セクハラ被害を誰にも相談できない、
打ち明けられずにいる女性はもっと多いだろう。

そんな視点で考えれば、ショウタさんが負の経験を打ち明けられたことは、
とても勇気あることだろうし、とても幸運でもあるように思う。


と書いたように、彼がBuzzFeed Japanで自分の体験を告白しようと思えたことは、彼の素晴らしい勇気だろうし、そう感じることが出来たこと自体がとても幸運だったということだ。悩みを一人で抱え込むことは確実に問題解消を遠ざける。一人で考え込んだ結果振り切って復活する人もいるかもしれないが、弱っている際に自己解決出来る人は決して多くはないだろう。ここまで深刻な悩みでなくとも、誰かに聞いて貰うことだけで気持ちが軽くなるケースは多い。良いアドバイスを得ることが出来れば更に良いが、言葉にして誰かに聞いて貰うこと自体が大事だと自分は思う。勿論彼の父親のようなタイプの人に相談すると、更に追い打ちをかけられ、状態が余計に悪化してしまう恐れもあるが、鬱になった最初の原因+そんな余計な経験をしたにもかかわらず、彼がBuzzFeed Japanで体験を告白しようという気持ちになれたことは、それ自体が素晴らしいとしか言いようがない。

 しかし、記事のコメント欄では彼の父親が言ってしまったのと同じ様な内容のコメントを投稿している者が複数いる。その中で最も厳しい内容なのが、


心を病むまで追い詰めてるのは、他でもない自分自身なんだよね。
買春という行為に嫌悪感を覚えるのは、まぁ真っ当な感覚だとしても、その自分の真っ当さを信用できないというのは、別の意味で不健全な精神のありようだと思う。

自分の打たれ弱さを社会のせいにしてみても、なんも解決しないのよね。


だが、「(記事で告白した男性の状態も)別の意味で不健全な精神のありようだ」とか、「自分の打たれ弱さを社会のせいにしてみても、」という表現には強烈な嫌悪感を覚える。ただ、この人が言っていることや、記事で告白している男性の父親が言っていることも、絶対的におかしいとか間違っているとまでは言えないだろう。しかし、したくもない性風俗利用を強要することは確実に問題のある行為だ。実際どの程度の強要だったのかは定かでなく、それ程強い強要ではなく、男性が勝手に断れないと忖度していただけなのかもしれないし、「嫌なら嫌と言えばよかった」という話も理解できる。ただ、それはパワハラを受けた経験がない、パワハラに鈍感だから言えることでもあるだろう。要するに、主観的な視点でしか考えられていない、乱暴な”自己責任論”であるように感じられる。

 もし記事のコメント欄にこの手のコメントしかないのなら、BuzzFeed Japanで告白したことによって、この男性が更にダメージを受けてしまいかねないとも思えるが、逆に、


この記事に対するコメントの無知と偏見に愕然とします。「この程度」とか「自分自身が悪い」というのは、まさにそう考える側の差別意識に他なりません。

のという内容の、前述のようなタイプのコメントを嫌悪する人もいる。
 残念なことに、何事も全ての人が共感してくれるとは限らない。BuzzFeed Japanで彼が経験を告白しようと思ったきっかけは、BuzzFeed Japanが掲載したはぁちゅうさんの告白だったそうだから、それに対してどのような反応が寄せられていたかを彼も見ていただろうし、好意的・同情的な反応だけが返ってくるわけではないことは、BuzzFeed Japanの担当者も説明し、彼も承知の上で告白・記事化に踏み切ったのだろうから、そんなに心配する必要はないのかもしれない。ただそれでも、このコメントのように「死人に鞭打つようなコメントを嫌悪する人も確実にいるよ」と伝えることは大事なことだろう。
 
 自分は、「その程度の理不尽に耐えられないなら、負け犬」と言い放った彼の父親や、「そんなに世の中甘くない」とか「自分自身の弱さが悪い」なんて言っている人たちの方が心配だ。そんな冷たいことを言っていると周りの者から軽蔑される恐れがある、という意味でも勿論心配だが、それはある意味では自業自得だろうし、彼らは「自己責任論」を唱えているようだから、それこそ自分でその責任を負えばよい。
 それよりも心配なのは、そんな風に強がっている人、セクハラ・パワハラがどのようにして起こるか理解していない人は、この件に関しては「そのくらい自分は屁でもない、気にする方がおかしい」と言えるかもしれないが、彼らが、この件とは違う手法の、彼らの弱点をつくタイプのセクハラ・パワハラに晒されたら、他人に対して死人に鞭打つような主張をしてしまったが為に、誰にも相談できず一人思い悩むことになり、深刻な鬱状態に陥る恐れがあるように思える。自分が相談してきた人・打ち明けた人に鞭打てるということは、自分が相談したり打ち明けたりした際も鞭打たれると考えるだろう。セクハラ・パワハラに対する乱暴な自己責任論が不適切である理由はそんなところにもある。
 そのようにも思える反面、「彼らのような者は自分にだけ都合よく考えるタイプで、万が一自分がセクハラ・パワハラに遭っても、過去に被害を訴えた他人に対して自分が鞭打ったことなど気にもせず、自分に都合よく上手く被害者面するのかもしれない」とも想像する。
  
 結局、図々しくないと生きづらいのが私たちの社会の本質なのかもしれない。自然界では弱肉強食は当然だから”人間だけは違う”なんてのは単なる幻想なのかもしれない。そんな意味では、嫌なことははっきりと嫌だと言える能力は重要だろうし、記事で告白した男性はもっと強くあるべきだ、という話もある意味では間違っていないとも言える。しかしそれでも自分は、理不尽な行為を責めずに被害者を責めるような態度を示す者を容認できないし、強く嫌悪する。この件に関しては、少なくとも大前提として上司の問題性を考慮していることを示した上で、「もっと適切な対処があった」などの指摘をするべきだろう。「そんなに世の中甘くない」とか「自分自身の弱さが悪い」なんて言っている人たちの何人かは、「そんなの書かなくても分かると思って書かなかった」などと言うかもしれない、だが、BuzzFeed Japanのコメント欄はFacebookのシステムを使用しており、ツイッターのように極端に少ない文字制限がないのだから、極力誤解を生まない表現を心掛けるべきだ。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

インターミッション・途中休憩

  インターミッション/Intermission とは、上映時間の長い映画の途中に制作者が設ける「途中休憩」のことだ。1974年公開の「ゴッドファーザー2」も3時間20分の上映時間で、2時間を超えたあたりにインターミッションがある。  自分がインターミッションの存在を知ったのは、映画ではなく漫画でだった。通常漫画は1つの巻の中も数話に区切られているし、トイレ休憩が必要なわけでもないし、インターミッションを設定する必要はない。読んだ漫画の中でインターミッションが取り上げられていたので知った、というわけでもない。自分が初めてインターミッションを知ったのは、機動警察パトレイバーの3巻に収録されている話の、「閑話休題」と書いて「いんたーみっしょん」と読ませるタイトルだった。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。

テレビ!メディア!弾幕薄いぞ!

 機動戦士ガンダムはロボットアニメの金字塔である。欧米ではマジンガーZなどの方が人気があるそうだが、日本では明らかにガンダムがそのトップに君臨している。1979年に放送された最初のテレビアニメシリーズは、初回放送時は人気がなく、全52話の予定が全43話に短縮され打ち切りとなったそうだが、皮肉なことに打ち切り決定後に人気が出始めた。