とあるスポーツ選手がインタビューで「昨シーズンは、"ふがいな"結果だったので、今年はそうならないように頑張りたい」と話していた。”ふがいな”と聞こえたのは自分の聞き間違いか?と最初は思った。先日のバルト三国歴訪中、首相が杉原千畝氏の名前を読めなかったのか、知らなかったのか、「杉原ウニャうにゃ」と誤魔化したという話が話題になっており、
リトアニアにある杉原千畝記念館を訪問しました。杉原さんの勇気ある人道的行動を、同じ日本人として、大変誇りに思います。 pic.twitter.com/3WA2uXhrqk? 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2018年1月14日
そんなことが本当にあるのか?と思い、懸案のこの動画の20秒前後を何度か確認したが、「杉原、あー、さんは」と言葉に詰まっただけかのようにも聞こえるが、自分には、読めなかったか自信がなかったかのどちらかで、誤魔化しているように聞こえた。冒頭のスポーツ選手のインタビューに関しても、聞き間違いか?と思い、3回ほど確認して聞いてみたが、確実に「ふがいな結果」と言っていた。恐らく彼は”不甲斐ない結果”と言いたかったのだろう。
スポーツ選手はそれこそスポーツが本業で、文筆家でも作家でもテレビアナウンサーでもなく、厳密に日本語表現の正確さが求められるような職業ではないだろう。しかし、いくら幼い頃からスポーツが主体の生活を送っていようとも、「不甲斐ない」という日本語表現は小学校高学年レベルで理解出来る筈だろうから、来日して、若しくは日本語を話すようになってまだ数年の外国人がそのような勘違いをすることは仕方がないかもしれないが、成人の日本人ならば、たとえそれがスポーツ選手であっても、「不甲斐ない」の”い”を聞き漏らしたまま覚え、”ふがいな”という「不満足な」のような表現かのように勘違いし、”ふがい”という状態のよう”な”的に誤用しているのを見ると、彼は、新聞や所謂本だけでなくマンガや雑誌なども含めて、あまり活字に触れることなく育ってしまったんだろうな、と想像してしまう。活字で「不甲斐ない」という表現を見たことがあれば、”ふがいな”という表現がおかしいということを確実に認識できるはずだ。
余談だが、不甲斐だけで不・甲斐、”甲斐がない”という意味なのだから、”不甲斐な結果”でもおかしくないのではないか?と思う人もいるだろう。しかし”不甲斐ない”の不は、元来「腑」だったそうだ。「腑甲斐ない」で忠告しても響かないなどの意で、その後「だらしがない」のような意味を帯びたという説もある。「”腑甲斐ない”の腑が不に置き換えられて簡略化され、だらしがないという意味が後から付いてきたなら、”不甲斐”だけで甲斐が無いという意味で認識されるようになり、”不甲斐な結果”のような用法も可能になるのでは」と考える人も居るかもしれない。確かにこの誤用が将来的に定着すれば、間違いではないとされる時がくるのかもしれないが、少なくとも現在は”不甲斐な”という用法は確実に定着していない。ネットで検索しても出てこないし、辞書にも掲載されていないし、日本語変換ソフトで一発変換することも出来ないのだから、現時点では誤用・正しくない表現であることに間違いない。
昨年・2017年4月頃に「なぜ読書をしなければいけないの?」ということについて書かれた、とある新聞への投書が注目を集め話題になり、様々な答えがその新聞の投書欄やネットなどで議論された。「時間を削ってまで読書する必要はないと思う。なぜなら、効率が悪いからだ。読書を押しつけるのは、運動が苦手な人にスポーツを押しつけるのと同じである。楽器が弾けない人に、今すぐ弾けと言っているのと同じ」とか「現実の生活だけでの体験は限りがある。しかし本を読むことで疑似体験できること、手に入れられる知識は計り知れない。普通に生きていては手に入らない知識と体験を得る為の手段が読書だから」などの解が示され、それなりの共感を呼んでいたように思う。そのような話に自分は一切共感出来ず、「本=言語表現(日本語表現)の教科書だから出来るだけ読んだ方がいい」という持論を2017年4/25の投稿で書いた。その話は、ほぼ重複することになるだろうからここでは割愛するが、冒頭で紹介した「不甲斐ない」を「ふがいな」という表現だと勘違してしまうのも、正しい日本語表現に、特に活字に触れる機会が少なかったからだろうと感じてしまう。
2017年4/25の投稿では、本は校閲を行って間違いが正されてから出版されるので文章の質が相対的に高く、ネットの文章を読むより正しい日本語の文章表現に触れる機会が増えるという主張を書いた。しかし、1/9の投稿で触れたように、大手全国紙でも校閲が機能しているのか疑いたくなってしまうような見出しを掲載しているし、テレビやCMでもバラエティ番組や、独立系地方局・CS局の制作番組を中心に、放送作家のレベルが確実に下がっており、しかもテロップ表示が頻繁に行われるのが当たり前になったことで、おかしな日本語表現が堂々と使われ、場合によっては文字化までされてしまっているのだから、違和感のある日本語表現が蔓延するのもある意味では仕方のないことかもしれない。個人的な感覚であるが、大手と言われる出版社が刊行している雑誌でも、意味は理解できるが、出来の良い小中学生が書いたものよりもレベルの低い文章を多々見かける。
そんな意味で言えば、本を出来るだけ読んだ方がいいという話も、以前と比べてれば説得力が失われつつあるとも言えそうだ。しかしそれでも、現在はまだ「不甲斐ない」を”ふがいな”と勘違いして書けば、少なくとも大手出版社やキー局では訂正されるだろうし、そんな文字を掲載したら、各方面から指摘が飛んでくるだろう。だから、質は以前より下がっていたとしても、やはり正しい日本語表現を知る為には、本は読んだ方がいい。
自分はハフポストやBuzzFeed Japanの記事に頻繁にコメントを投稿しており、リプライがある場合も少なくない。しばしば威勢のいいリプライが返ってくるが、威勢はいいのに文法的に難があったり、単語の用法を間違っていたり、省略しすぎていたりで何が言いたいのかよく分からない文章であることも決して珍しくない。大概、あまり使わないであろう表現を無理して使おうとして、皮肉を言わせてもらえば、格好をつけて慣れない言葉・表現を使おうとして失敗しているケースが多い。そんないい加減な日本表現が蔓延しているネットに触れる機会は、以前より確実に増えているし、これから更に増えるのだろうから、おかしな日本語で恥ずかしい思いをすることを避けたい、間違った表現で誤解されないようにしたいと思うなら、本自体の質が以前より下がっていたとしても、相対的にはまだまだ日本語の質的にマシである本を、勿論マンガでも雑誌でも構わないので、活字での表現に触れる機会を出来るだけ増やすべきだ。