昨日・1/24の国会で代表質問を行った立憲民主党・枝野議員が、質問の冒頭で草津白根山噴火に触れ「被害に遭われた皆さんに心からお祝い申し上げます」と発言したとする見解を一部のまとめサイトなどが掲載し、ツイッターなどでは百田尚樹氏などがそれを広め、確実に言っているなどと囃し立てる者が多くいるようだ。懸案の発言は衆議院のサイトで確認できる。確かにその一文だけを切り取れば、枝野氏の活舌がすこぶる悪く、”お祝い”と言っているようにも聞こえるが、枝野氏は
草津白根山の噴火によって、訓練中の自衛官の方が無くなられた。心から哀悼の意を表します。また、被害に遭われた皆様に、心から”お見舞い”申し上げます。
と述べており、直前の文脈から考えても「お祝い申し上げます」と言っていないことは明白だ。被害者が出て良かったと言いたいなら、心から哀悼の意など表さないだろうし、それ以前に「被害者をお祝い」なんて表現はそもそも不自然だ。一部の者が面白半分でそのようなことを言うことは、枝野氏の活舌が悪かったことも事実だし、仕方がないとは思うが、作家としての実績も多く、NHK経営委員の経験もあるような人が、そんな人達と一緒になって「これはひどい」なんて言っているのを見ると、かなり残念だ。
なぜこんな話が盛り上がったのか。個人的には1/21の投稿でも触れた件が関係していると感じる。安倍首相が先日の欧州6か国歴訪中にリトアニアの杉原千畝記念館を訪れた際に、自らのツイッターアカウントで公開した動画の中で、
リトアニアにある杉原千畝記念館を訪問しました。杉原さんの勇気ある人道的行動を、同じ日本人として、大変誇りに思います。 pic.twitter.com/3WA2uXhrqk— 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2018年1月14日
「杉原、あー、さんは」と言っているように聞こえる部分があり、一部でそれに関して、千畝が読めなくて誤魔化したのではないか?という見解が話題になっていたことに対して、安倍首相や自民党の熱狂的な支持者らが意趣返しのようなつもりで、こんな幼稚なことを言っているのだろうと考える。
安倍首相の件に関しても、千畝が読めなくて誤魔化したようにも聞こえるが、単に言葉に詰まったように聞こえなくもない。どう感じるかは、安倍首相に対してどのような印象を抱いているかでも変わるのだろう。もし安倍首相が杉原千畝氏に対する知識をこれまで持ち合わせていなかったとしても、リトアニアを訪問するのに、同国や同国以外でもユダヤ教徒らから絶大な人気を誇り、国外から氏の故郷である岐阜県加茂郡を訪れる者も多いような代表的な日本人である杉原千畝氏に関して、全く予習なしに、そして周囲の者も一切それに触れず記念館を訪問するなんて考えにくいし、そもそもリトアニアの記念館なのだからアルファベットの表記があるだろうし、首相がアルファベット表記を読めないとも考えにくく、「読めなくて誤魔化した」という可能性は低いように思う。
しかし、安倍首相は昨年・2017年1月の国会で「訂正云々(ていせいうんぬん)」という原稿を「ていせいでんでん」と読み間違えており、そんなことを考慮すれば、確かに不自然なタイミングで言葉に詰まっているし、千畝が読めなかったという見解が確実に間違っているとは言えないかもしれない。自分は前述のように読める筈とも感じる一方で、首相が忙しいスケジュールもあり勉強不足のまま外遊に出かけ、”千畝”を”ちうね”とは認識していたが、現地では”Sempo”(ちうねの音読み・センポ、外国人が発音しやすいように氏が自ら名乗っていた通称)と表記されていた為、どちらが適切なのか、若しくはどちらが正しいのか、間違っては恥をかくと考え、はっきり発音することを避けて「あー」と誤魔化した可能性もあると思っている。
確かに、安倍首相の積極的支持者からすれば、「千畝が読めなくて誤魔化した」なんて話は決して受け入れられないだろうし、侮辱に値すると感じられるかもしれない。しかし懸案の発言の前後を考慮しても、その見解が絶対的におかしいとは言い切れない。しかし枝野氏の発言に関しては、直前に「哀悼の意を表します」と言っているのに、急に「被害者をお祝いする」なんて皮肉を言い出すというのはあまりに不自然だ。「後者が本音で、ボロがでた」という旨の主張をする者もいるが、枝野・立憲民主・野党=悪のようなバイアスがかかっていない限りそんな穿った見方はできないだろう。
ここからは完全に個人的で大雑把な印象でしかない。「枝野氏はお祝いと言っている」とする者の多くは、「マスゴミは都合よく事実を切り取り、偏向報道をしている!」などと声高に訴えている人々だと感じている。もしその印象が大きく間違っていないなら、彼らも、彼らがマスゴミと揶揄するメディア同様、事実の一部分だけを切り取って騒いでいるに過ぎないのに、彼らの頭の中ではどのように正当化されているのか、とても不思議でならない。