昨年・2017年10月の衆院選での圧勝後、与党側が国会での質問時間配分に「議席数を反映するべきだ」と言い出した。厳密には衆院選後ではなく、森友加計問題をめぐって7月に開かれた閉会中審査から、それまでの与党2:野党8の質問時間配分の変更を求め始めていたが、この話が本格化したのは11月の臨時国会からだ。何度かこのブログでも触れているように、従来の与党2:野党8という質問時間配分は、現在与党である自民党が野党時代に提案して実現した配分だ。
1/22から2018年の通常国会が始まったが、予算員会の質問時間配分について、またしても自民党は与党5:野党5を要求し、野党がこれに反発し従来通りの与党2:野党8の質問時間配分を求め、最終的に今国会予算委員会の質問時間配分は、与党3:野党7とすることが決まったそうだ。質問時間配分の見直しが提案されることについては何も問題ないだろうが、自民党が野党時代に自ら提案して実現した配分を覆し、現在与党になった自分達に有利になる提案をしていることに関してどう考えているのだろうか。このような姿勢や、先の衆院選では”すべての子ども”を対象にした幼児教育無償化を公約に掲げていたのに、選挙が終わった途端に反故にするような具体策を検討し始めたことなどを考えると、現政権与党の言っていることも、話半分で聞いておかなければ騙されてしまうという懸念を感じる。
質問時間配分に関しては、今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでも取り上げており、今日に限らず、この話が出る度に「与党は質問時間配分について野党側に譲歩する必要はない」という視聴者ツイートが複数画面に表示される。究極的には、どう考えるかは個人の自由なのでどんなツイートをしようと構わないとも思うものの、自分の考えに都合の良い部分にばかりフォーカスした主張も多い。確かにどんな考えも排除するべきでなく、問題の懸念されるツイートも、ネットやSNSの特性上、自分と異なる考え方は目に付きづらいので、番組中に表示されることで、こんな考えを率直に感じている人もいると知ることが出来るという側面もある。しかしそれはツイッター上で、例えば、モーニングCROSSへのツイートに関しては、#クロスというタグで検索すれば誰でもすぐに見ることが出来るのだから、ネットよりもまだまだ情報の適切さでは上と感じている人が多く、それなりに影響力があるであろうテレビ画面で、適切な見解とは言えないツイートを紹介するべきなのか?とも感じる。テレビで紹介されるのだから不正確ではないと思う者も確実にいるだろう。このブログでは何度も言っているが、その種のツイートを紹介するにしても、それに関して誤認に基づいている恐れがあることを示しておいた方がよいのではないか、と自分は思う。今日画面に表示されたツイートの中で、個人的に果たしてテレビ画面で紹介するべきなのか?と疑問に感じたツイートを抜粋すると、
まだもりかけもりかけ言ってるよ、他に質問することないの?まだもりかけもりかけ言ってるよ、他に質問することないの? #クロス— けれる (@kereru0ciel) 2018年1月25日
各党何分って平等にすればいいのに・・・各党何分って平等にすればいいのに・・・ #クロス— 南千住のプチプチイクラ@増田力士 (@puchiiku) 2018年1月25日
質問時間が増えてもモリカケで終始してたら、どうかな、と(´・ω・`)質問時間が増えてもモリカケで終始してたら、どうかな、と(´・ω・`) #クロス— 古参の33。 (@hocya3nebk) 2018年1月25日
質問時間の配分はそれでいいけど、予算に関することに限定すべき。質問時間の配分はそれでいいけど、予算に関することに限定すべき。 #クロス— ぱしへぶSeppo Saari (@PacificHeaven) 2018年1月25日
質問時間増やしても無駄質問時間増やしても無駄— かにかま中毒 (@letuscheckit) 2018年1月25日
予算委員会でモリカケの話、国会中継でパフォーマンス、こんなんじゃタメにならない #クロス
予算委員会でモリカケの話、国会中継でパフォーマンス、こんなんじゃタメにならない
などがあった。
まず「質問時間を増やしても」という話に関しては、昨年の通常国会と比べて質問時間が増えるのは与党で、野党の質問時間は寧ろ減っている。単に言葉選びが下手なだけかもしれないが、こんな部分からも与党側に視点が偏っていることが窺えると自分には思える。
次に「まだもりかけ言っている」についてだが、確かに自分も「まだこの話してるの?」と思うことが多々ある。しかしそれは「まだ(野党が)モリカケ言っているよ」という意味でなく、「いつまでたっても政府与党側の丁寧な説明がされない。いつになったら(官邸や財務省が)記録がないと言っていたことを嘘と認めるのか、与党議員らは問題性を感じないのか」という意味でだ。これまで散々「記録は既にない、若しくは都合上公開出来ないが、森友学園に関する国有地売却も加計学園の認可についても適切な処理が行われた」という話を、政府や官邸の管轄下にある財務省や文科省が答弁していたように記憶している。しかし少なくとも森友学園の国有地売却に関しては、昨年秋に会計検査院が適切な取引だったとは言えないという見解を示し、更にこれまで財務省がないとしてきた記録が出てきたり、政府や財務省の答弁内容の正確さが覆されかねない音声データが次々と出てくるのだから、問題はまだまだ解決していないとしか言えず、「もう国会で質問しても時間の無駄」なんてとても言えない。しかも、当時財務省の担当者として答弁していた者は、虚偽答弁をした疑いもあるのに、現在国税庁長官の座に就いており、さらに首相は適材適所で問題ないとしたのだから、相応の検証は必要ではないだろうか。
最後に「予算委員会でモリカケ言うのは場違い」については、森友学園問題は国有地売却に関する問題なので国家予算に関する問題だし、加計学園の認可についても提供される補助金が関わる話なのだから同様だ。例えば、議員の不倫だとか道徳上のスキャンダルなどを「予算委員会の議題として相応しくない」というのならまだ分かるが、森友加計問題が予算委員会に相応しくないというのは理解に苦しむ。
また「各党何分って平等にすればいいのに」という話はについては、勿論単純に考えれば、各党全く同じ時間配分が平等に見えるかもしれない。だが、現在の政権与党は自民党であり、連立を組んでいるのが公明党で、予算案など国会の各委員会で議論する為の叩き台は、政権だけでなく与党内でも委員会に提出する前に議論をしている。勿論自民党だけでなく、連立を組む公明党もそこに主張を加えることが出来る。しかし、野党が主張できるのは各委員会だけなので、各委員会では野党に多めに質問時間が配分されてきた。冒頭でも示したように、この仕組みは現在の政権与党・自民党が野党時代にそのように主張して実現したものだ。平等と一口に言っても、何をもって平等なのかは視点によって変わる。
政府側がしっかり質問に答えないから「森友加計問題にはうんざりさせられる」と前述したが、予算委員会で森友加計問題の質問を野党がする場合にも時間の無駄だと感じることがある。それは、森友問題に関しては、首相夫人が名誉校長だったことだけを根拠に首相や官邸の関与について追及したり、加計問題に関しても理事長が首相の親友だったことだけを根拠に首相や理事長の関与について追及している場合だ。確かに、そのような根拠があれば、恣意的な優遇があったのではないかと疑われても仕方のないだろうが、まずは実際に不適切な処理があったことを追求すべきで、もし実際に首相や官邸の関与があれば、そちらが明白になれば関与に関する話も付随して出てくるだろう。首相や官邸の関与ばかりに注目して追求しているようでは、問題解明には一向に辿り着かないだろうし、単に安倍自民憎しでレッテル張りをしているようも見えてしまう為、そのように反論をする材料を相手側に与えるだけでなく、市民の支持も得られなくなるだけだと感じる。現にそんなことを根拠に、前段で紹介したツイートの主たちは「まだモリカケ言ってるのかよ」と主張しているのだろう。
今日のモーニングCROSSでは「生活保護 子育て世帯4割が減額へ」という件も取り上げており、生活保護の話を取り上げると、こちらも視聴者ツイートで必ず不正受給の話をしだす者が現れる。確かに、生活保護に関する話なのだから不正受給は全く関係ない話ではない。しかし、不正受給があろうが必要な人たちが減額される理由にはならない。子育て世帯の減額と不正受給の話は、同じ生活保護に関する話ではあるが、セットで考えるべきような問題ではない。
自分は、一部の無駄な質問をする野党議員らだけを強調して「まだモリカケ言うのかよ」と言っている者も、生活保護関連案件を見ると、全体の1パーセントにも満たない不正受給者だけに注目してしまう人も、結局自分が見たいものしか見ていない人たちだと考える。ただ、もしかしたら、実は彼らも他の視点も持ち合わせてはいるものの、番組中に画面に表示される可能性のあるツイートは、ツイッターの140文字という文字制限よりも更に少ない60文字以下という制限がある為、極端な視点であるように見えるツイートになっている、とも考えられなくはない。しかし、いくら文字数制限があろうが、不正確な主張を正当化することは出来ない。
ネット上には自分の意見と異なる報道をするメディアに対して、「事実を恣意的に切り取り報道する偏向報道」とか、それを揶揄して”マスゴミ”なんて呼ぶ人々がいるが、「まだモリカケ言うのかよ」と言っている人も、生活保護問題=不正受給に関連する問題のような視点でしか見られない人も、事実を都合よく切り取り、偏った視点で受け止め、言いたい事を一方的に言うだけの、所謂マスゴミと似たり寄ったりに人々だと感じる。