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謝罪会見と苦しい弁解


 1/8・成人の日、ある振袖販売/レンタル業者が殆どの店舗で突然業務を停止し、予約していた新成人たちが振り回されるという事態が発生し、大きな話題になった。この業者の社長はその後全く姿を見せず、海外に逃げたという噂もあったが、1/26、突如謝罪会見が開かれた。自分は一言一句会見に目を通した訳ではなく、部分的に取り上げたTVニュースや記事を読んだだけだが、彼の主張には全く整合性を感じることが出来なかった。

 
 BuzzFeed Japanの記事によると、社長は責任を認め謝罪をしたものの、詐欺の認識については否定し「精一杯やった」という見解を示したそうだ。予約した着物を多数の顧客に提供する当日になって業務を突如停止し、責任者なのに姿も見せず、2週間以上も全く説明も謝罪もしようという姿勢を見せなかったことの、一体どこをどう考えれば「精一杯やった」なんて言えるのだろう。詐欺の認識はないとしたそうだが、こんな状況で「そうだよね、騙そうとしていたわけではないだろうね」なんて受け止めてくれる、お人好しの被害者がどれだけいるだろう。
 「対応に苦慮していた、どのように対応したらいいか分からず、相談するところもなく、対応が遅れた」とも述べたそうだが、契約の履行が出来ないと明白になった時点でそれを伝えるという対応をしていないのに、”対応に苦慮”なんて言える感覚が全く理解できない。個人的には「(どうやったら責任を逃れられるかという意味で)対応に苦慮していた、(責任を逃れるには)どのように対応したらいいか分からず、(行方のくらまし方などについて)相談するところもなく、(責任を逃れる為の)対応が遅れた(。だから不本意ながら、仕方なく謝罪会見を開くしかなかった)」と言っているように見えてしまう。
 
 奇しくも同日、とある仮想通貨取引所が不正アクセスにより580億円相当の仮想通貨を盗まれ、謝罪会見を開いている。ハフポストの記事によると、同社の責任者らは「セキュリティ関係に関しては何よりも最優先で行なっておりました」と述べたそうだが、一般的にセキュリティが完全ではないとされる状態で仮想通貨を管理していたり、そのような状態で保管していたのはシステム開発の難易度が高かったからとか、それを行うことのできる人材が不足していることが原因としてみたり、そんな状況にもかかわらず「セキュリティは何よりも最優先」だったなんてよくも言えたものだ。どう考えても準備不足でしたと認めている。「優先しようとはしていたが、まだ実現しておらず、これから対応するところだった」ということなら、はっきりそう言うべきで、「セキュリティ関係に関しては何よりも最優先で行なっておりました」なんて言っていいはずがない。
 この日の会見では「最悪預かっていた資産がお返し出来ない恐れもある」としたそうだが、翌日、盗まれた当時より一割程度低いレートで日本円に換算し全額保証するという見解を示した。しかし期限や具体的な方法についての明言はなく、本当に全額保証されるかどうかに関してはまだまだ不透明な状況だ。そもそも一方的に保証レートを決めるのは適切と言えるのか。そのような観点からも信頼感に欠けるし、前述のような事も言っているのだから、場当たり的に火消しに走っただけの恐れもないとは言えない。
 
 誰もが子供の頃、親に叱られた際に稚拙な言い訳をして余計に火に油を注いだ経験があるのではないだろうか。しかし逆に、例えば、昨年大きな話題になった黒髪を強要する校則のような理不尽な話に、納得のいく説明を求めたにもかかわらず、「校則だから」とか「理由を説明するなんて必要ない」とか、頭ごなしに叱りつけられた経験もあるだろう。
 個人的に、前者と後者をとても良く似た状況だと捉える人は決して少なくないと考える。前者はおかしな言い訳をしなくて済むようにという目的で、叱られて当然の例として挙げたが、叱り方によっては後者同様理不尽に叱りつけらたという感覚だけが残る恐れもある。後者は言い訳、というか自分の考えを適切に主張したのに、不当に否定されるケース、言い訳(と表現するべきではないかもしれないが)に正当性がある例として挙げた。しかし場合によっては、必要性の認められる校則から逃れたいが為に難癖を付けているだけの場合もあるだろう。
 1/26に行われた二つの会見では、それぞれどんなつもりでこんな発言に至ったかは定かでないが、共に、話の端々に矛盾が感じられ、それでは謝罪の意思は全く伝わらないのではないかと自分は思う。彼らがこれまでどんな人生を歩んできたのかは知らないし、彼らの親や先生を貶すつもりはない。だが、彼らの会見の内容から、彼らはこれまでもその場しのぎの謝罪を繰り返してきたのだろうと想像してしまう。

 昨年は、というか昨年も、政治家の失言が相次ぎ、というか今年も既に、沖縄で多発する米軍機の事故・不時着に関する国会での発言に対して、「それで何人死んだんだ」という、沖縄県民感情を全く無視したようなヤジを飛ばした内閣府副大臣が辞任するという事案が発生している。
 失言が取り沙汰される度に釈明会見や職務辞任が行われるが、殆どの場合、議員辞職には至らず議員を続ける。議員を続けるのには失言は失言である必要がある。だから「口が滑った」とか「言うべきじゃなかった」と言うだけで、その考え自体が間違っていたという謝罪が行われる場合は少ない。考え自体が間違っていたとすると、議員の資質が足りていなかったと認めることになりかねないからだろうと想像する。というか、彼らは実際に表現が悪かっただけで間違ったことは考えていない、としか捉えていないのだろうと自分には思える。で、そんな謝罪だけで支援者らはまたその人物を支援し、多くの場合再選する。場合によっては要職にも返り咲く。そんな事を考えると、発言を撤回した、謝罪会見が開かれた、謝罪の意向を示した、ということに大した意味はない。場合によっては単にその場を凌いだというだけでしかないことも少なくない。
 
 一回の失言や一度の業務上の過ちで、徹底的に叩きのめしたり再起不能に追い込む必要はないかもしれないが、何が問題だったのか、何を間違ったのか、何が適切ではなかったのかについて、まともな見解が示されない様であれば、その者は同じことを何度でも繰り返すと考えるべきではないだろうか。再犯を繰り返す痴漢と対して差はないと自分は思う。

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