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反差別・偏見と多様性のバランス感覚


 昨日の投稿で、伝統的なネイティブアメリカンをデフォルメしたデザインの、MLBのプロ野球チーム・クリーブランド インディアンスのマスコットが、来シーズンから使用されないことになった件に触れ、その決定がされた背景を鑑みても、自分は賛同出来ないことと、年末以来議論が続いている所謂ブラックフェイスの問題と比較し、そのような欧米・特にアメリカの価値観が、世界で最も優れているかのように、他の地域に押し付けられるような風潮への懸念、要するに、一方的な価値観の強制、最悪文化が否定されることに繋がる恐れもあるのではないか、という個人的な懸念を書いた。
 ブラックフェイスに関しては、1/5の投稿でも触れたように、発端となったアフリカ系アメリカ人の作家は、黒人に扮した訳ではない黒塗り扮装にまで嫌悪感を示しており、差別かどうかという話とは別に、黒塗りはアリかナシか、言い換えれば、好きか嫌いかを理由に適切か不適切かを議論しているような状況もあると自分は感じる。インディアンスの件に関しても同様で、差別を嫌悪する白人など他の人種や民族だけでなく、ネイティブアメリカンが主体となっている団体も嫌悪感を示しているようだが、個人的にはあのマスコットのデザインには一切差別的な要素が感じられず、過敏な被差別感情であるように見えてしまう。そのような被差別的な感情を持ってしまう歴史的な背景があったこと、今でもその影響は決してなくなっていないことは理解できるが、どことなく、OJシンプソン事件や、警官による黒人への不当な暴行事件を発端に発展したLA暴動などと同じように、問題の本質よりも、単に民族間で互いに嫌悪しあう風潮の方が強くなっているようにも見えてしまう。

 
 少し話が逸れたが、これから書くことは”異文化を尊重することの重要さ”についてだ。ブラックフェイスの議論の中で自分が最も強く懸念したのは、差別的な意識があるかないかという議論の余地はなく、顔を黒く塗って黒人に扮すること自体が差別的な行為、場合によっては黒人に扮していようがいまいが差別的、とする欧米・特にアメリカで主流の価値観の強制、そのような価値観にも理解を示して欲しいというレベルでなく、「日本人の価値観は間違っている、お前らの価値観などはどうでもよい、兎に角こちら側の価値観に従え」という態度の者が決して少なくないこと、中には、ハフポストで持論を展開した黒岩揺光さんのように、話を飛躍させ「そんなことが許される日本のテレビ界やお笑い界は、殆ど存在価値のない低俗な集団」のような極端なことを言っている人もいることだ。
 「送り手側に差別的な意識がなくとも、受け手側が差別的と感じるなら、配慮し止めるべき」という話も全く理解できないという訳ではない。しかし、誰かが不快感を感じたらそれは止めるべきとなると、究極的には冗談も全く言えず、というか、天気の話くらいしか出来なくなる社会になる恐れもあると自分は思う。流石にそれはあまりにも極端な想像だが、誰かが不快感を感じたら配慮して止めるべき、という話は、不快感を主張する人にばかり忖度しており、表現を行う側の権利とか、表現やコミュニケーションの委縮が起きてしまう恐れを度外視し過ぎた感覚でもあるように思う。
 
 要するに欧米には欧米の、アメリカにはアメリカの、アジアにはアジアの、日本には日本の価値観があるのだから、必要以上に干渉し自分たちの価値観を押し付けようとするのは如何なものか、というのが自分の考えだ。しかし、実は日本も他地域に対して必要以上に自分たちの価値観を押し付けている側面があるかもしれない。”日本も”と書くとやや大げさかもしれない。
 近年、世界中で和食がブームになっていること、漫画やアニメの影響力により、様々な日本文化が海外にも普及しつつある状況が確実にある。しかし、日本の文化が海外へ伝達する過程で、何かしらの誤解が生まれたり、又はそれぞれの地域に合わせたアレンジが加えられ、日本のそれとはかなり異なる状態で日本文化として紹介されているケースも決して少なくないだろう。そして、そんな事を取り上げ、例えば正しい寿司はこうだ!とか、正しい剣道はこうだ!と本来の姿とは異なる和風文化を正す、というバラエティ番組が人気を博し、特番扱いではあるが定期的に放送されている。
 確かに、日本人として、誤解されて自国文化が伝わることは好ましいとは思わないし、その地域向けにアレンジされた和風文化と、実際の日本で親しまれている元来の姿の違いも知ってほしいという気持ちは理解できる。しかし、日本人もラーメンや餃子など、中国の料理文化を現地にはない状態にまで日本風にアレンジし、今ではまるで自国の文化であるかのように扱っている。日本で中華料理というと、中国の料理と感じる人が多いだろうが、実際は日本にしか存在しないアレンジされた中国風の料理も多い。本国の様式に拘る一部の店舗では、中華料理でなく中国料理を標榜する場合が多いそうだ。洋食に関しても同様で、オムライスやドリア、スパゲティナポリタンなど、欧米には存在しないメニューも多く、”洋食”という言葉が意味するのは、日本人向けにアレンジを加えて日本で考案された欧米風の料理だ。
 アレンジされた和風文化しか知らない人たちが、日本でも同じものが提供されている・存在すると勘違いしないように、実は日本ではそれらのアレンジは存在しません、ということを伝えるのは相応に意義深いことだろう。しかし、前述したバラエティ番組ではアレンジされた和風文化を間違いとか、まるで嫌悪の対象であるかのように強調しているようにも感じられ、番組の演出をもう少し柔らかくできないものか?と感じる。要するに、自分たちは都合よく他国の文化を吸収しアレンジしているのに、一部の日本人が、自分たちが正しいとする日本文化の解釈を必要以上に押し付けているように見えてしまう。もう少し他国でのアレンジも許容するようなスタンスでの番組作りをして欲しいと感じる。
 
 差別や偏見について考える際には、同時に多様性についても配慮する必要が確実にある。インディアンスのマスコットの件も、ブラックフェイスに対する嫌悪感も、正しい日本文化の啓蒙も、絶対的におかしな感覚ではないし、理解出来る部分も確実にある。しかしどんなことでも度を過ぎれば、単なるエゴになりかねないし、一方的に価値観や感覚を押し付けることになる恐れもある。差別や偏見をなくすには少数派の価値観や感覚にも理解を示す必要があるのに、差別や偏見を過度に懸念するあまり異なる価値観を否定するようでは、結局別の差別や偏見を生み出してしまうこともある。何ごとにも大切なのはバランス感覚である。

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