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一括りにすること


 乙武さんが自身のブログで書いた記事を転載するかたちで、ハフポストが「『障害者』という個人は存在しない」という記事を掲載している。乙武さんが書いていることは「助けたらいいのか、放っておいたらいいのか、励ましたらいいのか、同情したらいいのか。障害者って、よくわからん」と、障害者にどのように接すればよいかについて困惑する人をしばしば見受けるが、一口に障害者と言っても健常者と同様に、人それぞれに違いがあるのだから1つの答えが当て嵌まるわけがない、というような事だ。
 この記事を読んで自分が感じたのは、乙武さんは障害者にフォーカスしてこのような事を書いているが、似たような指摘が必要なケースは他にも多数ある、という事だ。

 
 例えば近年、生活保護の不正受給に注目し、生活保護受給者=ずる賢い者のような偏った見解を示す者が少なくない。そのような人たちは、厚生労働省が不正受給が金額ベースで考えても、世帯数の割合で考えても、極わずかとしか言えないという資料を公開しても、「発覚した不正受給しか統計には反映されないのだから、潜在的な不正受給はもっとある筈だ」というような主張を根拠に、自分たちの主張を変えようとしない。変えようとしないどころか、そんな想像だけを根拠に生活保護受給者の大半が不正に保護受給しているかのような誹謗中傷を続ける。
 他にも、MeToo・セクハラ・パワハラ問題に関しても、その文脈の中で、男はこうとか女はこうなどと、かなり乱暴な話をする人を見かけるし、政治的な話でも、すぐに左翼ガーとか右翼ガーとか、何かにつけて必要以上に一括りにして語りたがる人をしばしば見かける。
 このように勝手に一括りにして主張したがる傾向は、「俺の考えは凄い」とか「俺は分かっているが、お前は分かっていない」的に自分の考えに酔いしれてしまっており、人の話に耳を傾けないタイプの人に多いように思う。そんな印象から、結局その手の人は単に自尊心を満たす目的の為に、不当に一括りにして批判することで「俺分かってる感」を演出したいだけなんだろう、と思えてしまう。ネットスラングで言えば、厨二病に侵されている人と言ったところだろうか。

 少し話が逸れてしまったが、乙武さんが言っている、一口に障害者と言っても、障害の度合いも、障害を抱えている個所もそれぞれだし、考え方も様々だから、適切な対応は対峙している人によって変わる、という話には、もっと先があると自分は考える。
 乙武さんが、あの不倫スキャンダル発覚の直後ぐらいのタイミングでテレビに出演していた際に、自らを「エロダルマ」と揶揄しているのを見かけたが、その時自分は「みんなが彼ぐらい強ければ、些細なことで悩んだりせず、苦しまずに済むのに」と感じた。しかし、そんな強い乙武さんがいる反面、冒頭で紹介した記事の中では、

いままでは放っておいてほしかったけど、一昨年の"ある時期"からは、みなさんからの励ましの声が欲しくて仕方ありません(笑)。

と、ある意味では弱音とも思える心情を吐露しており、どちらかと言えば、弱い乙武さんも彼の中に共存しているのだろうと感じる。
 彼に限らず、全ての人が様々な側面を持っている。だから、個人個人様々で、適切な対応もそれぞれ異なるのと同じように、タイミングや状況などで感情は動くのだから、同じ個人であっても”これが絶対的に正解”といった万能の対応はあり得ないと言えそうだ。もし、いつどんな時でも絶対的に正しく、万能な対応や考え方が存在するなら、画一的な動作を繰り返すこれまでの機械やプログラミングだけで全て事足りるだろうから、最近注目されているAI研究など必要ないんじゃないだろうか。
 
 人はそれぞれ個人個人で微妙な違いがあるから、乱暴なグルーピング、例えば、男だとか女だとか同性愛者だとか、民族とか国籍とか出生地とか、どこの会社に勤めているとかどこの学校出身かなどで一括りにして、その集合のステレオタイプだけを基準にして判断することは不適切で、それは民主国家の多くで保障されている基本的人権を侵害する恐れが強い行為とされている。
 更に同じ個人でも様々な影響によって考えや気分が変わる。流石にそれに対応出来ないのは人権侵害だなんて極端なことを言うつもりはない。だが、他人と上手く付き合う為にはそれを知っておく必要がある。要するに相手を慮る・相手に配慮することが、例えば、様々な障害者に接する為には必要で、それは障害者に限らず、すべての人付き合いで必要なことだろう。そして配慮する為には、当事者間のすれ違いを極力起こさないように、最大限のコミュニケーションも必要だ。

 このように書くと「コミュニケーションを取りたくない人もいるのだから、最大限のコミュニケーションが必要という話は正しくない」と感じる人もいるだろうが、そっとしておくべき時に相手を放っておくことも、相手を慮ることだし、コミュニケーションを敢えて控えることも、広義のコミュニケーションだと考えて欲しい。

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