安倍首相がFacebook上の自民党・和田参議院議員とのやりとりの中で、朝日新聞が昨年・2017年5月に、森友学園が開設を目指していた小学校の設立趣意書に「安倍晋三記念小学校」と記載されていたと報じたことに関して、「全く違った。実際は開成小学校だった」「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」などとコメントしたことが話題になり、これについて複数のメディアも報じている。SNSとは、元来仲間内と井戸端会議をするような目的の方が強いものだったことを考えれば、首相のこのコメントも、首相としてでなく一個人としての些細な皮肉とも捉えられるだろうが、一国の指導者が公の目に触れる場所で行った発言と捉えれば、決して好ましいとは言えない主張だろう。
共同通信の記事によると、2/13の予算委員会でもこの件が取り上げられ、安倍首相は「かつて私が圧力をNHKに圧力をかけたと捏造の報道をされたことがある。朝日新聞はそれを検証したが、間違えたとは一度も書かない。私には一度も謝らない」と強く非難したそうだ。まるでトランプ氏の悪い影響を受けているように思え、とても残念だ。
一部の嫌朝日の感情を持つ者にとっては「何が問題なのか」と思えるのだろうが、個人的な受け止めとしては、朝日新聞の記事内容が事実と異なると批判するにしても、”哀れ”だとか”惨め”だとか、感情的な言葉を用いることが適切とは感じられなかった。しかし、昨年11月に財務省が開示した設立趣意書には安倍晋三記念小学校ではなく「開成小学校」と記載されていたそうで、朝日新聞の書いた記事内容に誤りがあったことは概ね間違いなさそうだ。ただ、もしそうであっても何故首相はそこまで感情的になるのだろうか。2/10の投稿でも触れたように、直近に産経新聞が誤報を謝罪したことで、「(私を支持している)産経は間違いを認めたのだから、朝日も認めろ」的な強い認識に至ったのかもしれない。
ただ、ここ数日間、政府が裁量労働制拡大の有効性を訴える為に数年前から用いていた、厚生労働省の調査結果に関する資料に不明瞭な点が多く、意図的にデータが改ざんされた恐れもあるとの指摘が予算委員会で野党により示され、今日の委員会では首相が資料の誤りを認め、発言を撤回し謝罪するような事態が起こっている。そんな事を考慮すると、開示された設立趣意書が改ざんされている恐れが全くないとは言い切れないが、そんなことを証明する根拠はまだ何もないし、自分も朝日新聞の記事は現時点では適切とは言えない、と感じる。
ここ数年、安倍政権下では、自衛隊の日報、加計学園の認可に関する文科省内の内部文書、そしていま最も注目されている、佐川前理財局長が”廃棄して存在しない”と答弁していた交渉記録などの隠蔽の疑い、疑いというか、個人的には隠蔽と断言しても差し支えないと思える事態が度々起こっている。しかし、どの件についても、首相、担当大臣らは「隠蔽ではない」という見解を頑なに示し続けている。自衛隊の日報などはその最たる例で、廃棄済み>再調査したら、実はあった>再調査で見つかった際になかったことにしようという画策があったことが判明、というかなりまずい事案があったにも関わらず、自衛隊の所謂制服組幹部が隠蔽の責任をとって辞任したが、当時の防衛大臣は責任を取らなかったし、任命した首相も責任を取らせようとはしなかった。
そんな話があった数か月後、開示を求められた加計学園問題に関する内部文書について、文科大臣が調査の結果「存在しない」と発表。しかしたった数日後に、文科省の職員からのリークなどによって、実際は存在していることが明らかになった。この際も文科大臣は「調査は不十分だったが、隠蔽ではない」という旨の、かなり歯切れの悪いことを言っていたように記憶している。数日で身内である文科省の職員から指摘を受けるような杜撰な調査を根拠にして「存在しない」なんて見解を示したら、隠蔽しようとしたとしか思えない人は決して少なくないだろう。
更に現在注目が集まっている森友学園問題に関する財務省の交渉記録に関しては、かなりの量の資料が、「廃棄しており存在しない」とされてから半年以上経った今、今更出てきている状態だ。野党側の指摘に対して、麻生財務大臣は、先日存在が明らかにされた資料は「交渉記録にはあたらず、佐川氏の『交渉記録は破棄されており存在しない』という答弁は虚偽ではない」というニュアンスの見解を示している。確か、森友学園・加計学園問題が表面化した昨年の通常国会閉会以降、首相は再三「李下に冠を正さず」とか「丁寧で真摯な説明を今後もしていく」としていたのに、この状況を見ていると「李下に冠正まくり」「適当な説明であしらえばよい、有耶無耶に出来る」と思っているとしか思えない。
こんなに「ないと断言していた資料が後から出てくる」ことが何度も続けば、現政権は隠蔽体質だと思う人も少なくないのではないだろうか。そして、それを頑なに認めようとしないせず、今、国会で麻生大臣や安倍首相が示している態度・姿勢も、安倍首相が朝日新聞を批判した言葉を借りれば、
哀れですね。安倍政権らしい惨めな言い訳。予想通りでした。
と表現できそうだ、と個人的には思える。安倍首相は、籠池氏を国会で「嘘つき」と表現するなど、感情的になりすぎる傾向がある。確かに籠池氏の発言には疑わしい部分も多々あるし、それを都合よく解釈しようとする一部の野党議員やメディアの姿勢には自分も疑問を感じるが、同時に違法性の疑われる長期拘留が今も続いていること、政権からそれに関する批判が一切出てこないことを考えると、政権側の姿勢にも疑問を感じる部分はある。
兎に角、少なくとも、首相がネット上の幼稚なやり取りのような、感情むき出しの態度を示すことは適切だとは全く思えない。勿論記者や野党議員にも首相同様の感情論全開の者は存在するが、同レベルで応戦するようなことを、私たちの国を代表する最も重要な人物の一人には絶対にして欲しくない。