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著作者と文化全体の利益のバランス


 人気ゲーム・艦隊これくしょんの公式ツイッターアカウントが凍結されたことが大きな話題になっているハフポストの記事によると、公式アカウントが使用していたアイコン画像に関して、偽名の第三者が「自分が描いたもの」だとして、著作権侵害であると主張したことによってアカウントが凍結されてしまったそうだ。ゲームの開発運営者によれば、この主張は虚偽だそうだ。事案の詳細はまだまだ分からないが、運営側の主張に間違いがなければ、虚偽の訴えによる嫌がらせということになるだろう。
 艦隊これくしょんの案件とはやや毛色の異なる話かもしれないが、少し前に、Youtubeに任天堂のゲームのプレイ動画を投稿すると、任天堂を想像させる名称の第三者から、動画の権利を主張する申し立てがあったという通知が届くという話が話題になった。任天堂とは関係のない第三者が、投稿された動画から得られる広告料目当てに、Youtubeに投稿された動画に虚偽の権利主張をしているという話だった。似たような事は任天堂のゲーム動画以外でも起きているそうで、1つの動画の広告料は低くとも、他人がアップした動画から薄く広く広告料を集められれば、それなりの収入になるのだろう。どちらも著作権に関する虚偽申請という点では共通性のある話だ。

 
 ツイッターのアイコン画像を見ていると、アニメのキャラクターや芸能人などの画像を恐らく無許可で勝手に使用している恐れが強いアカウントをしばしば見かける。今のところ日本の著作権関連の規定では、権利者からの申告がなければ問題化しないので、ただちに不適切とは言えないのかもしれないが、消費者の意識が低い状況であるとも言えそうだ。
 バカッターなどと呼ばれた、コンビニの冷蔵庫にアルバイトが入ったり、コンビニで自称Youtuberが売り物のおでんをつんつんしたり、運転中に膝の上に乗せた子供にハンドルを握らせたりする様子を撮影するなどした、低俗な投稿が一時期問題になった。というか、未だにしばしば話題になる。そのような投稿をする者は、友達との間だけでしか通用しないような悪ノリ投稿が、世界中の誰もが見られる状態になっていることを理解していないのだろう。ツイッターのアイコンにアニメのキャラクターなどを使用するのも、それと似たような思考に基づく考えからなのだろうと自分は思う。誰もが若い頃、好きなアニメキャラクターのシールをノートや筆箱に貼ったり、好きなアイドルやバンドなどのポスターを部屋に貼った経験があるのではないだろうか。恐らくツイッターのアイコン画像やアカウントのタイムラインのバナーに他人が権利を有する画像を使用するのも、それと似た感覚なのだろうと想像する。
 しかし一方では、日本では数年前から”痛車”なる、アニメキャラクターをデザインしたシートなどで愛好家が自動車をデコレーションする行為が、もはやサブカル系文化の一つとして確立したと言っても過言ではない状況になっている。勿論デザインしているのは権利者・著作者ではなく(ごく少数、著作者・権利者公認の場合もあるだろうが)、愛好家自身や、愛好家に依頼されたシート制作業者の場合が殆どだ。著作権に敏感なアメリカの超有名エンターテインメント企業のキャラクターを無断で使用すれば大問題になるかもしれないが、ファンによる非公式な同人誌やキャラクターフィギュア制作・販売(実質的には販売だが、便宜上、頒布と呼んでいる)が文化として定着している日本では、痛車のような行為もアニメやマンガ文化を盛り上げる要素の一つというような認識が、ファンだけでなく制作側にも存在しているように思う。制作者の主な収入源である、マンガやアニメ作品自体の違法コピー版の販売や違法サイトで無料で見られるようにする行為は流石に認める者は居ないだろうが、「ツイッターなどのアカウント・バナーに版権もののキャラクター画像を使用する行為は、痛車のデコレーションと同じ様なもの」と、公然と認めることはないだろうが、ある程度そのような思考に基づいて黙認している部分が権利者側にもあるのかもしれない。
 
 自分はモータースポーツの放送を録画し、ダイジェスト版を編集するのが趣味なのだが、当然著作権的に問題があるだろうし、BGMも好きなアーティストの楽曲を勝手に使用して楽しんでいるので、Youtubeなどにアップすることはせず、自分以外の友達に見せるくらいに留めている。
 一からカメラを使って素材を撮影し、BGMを作り、オリジナル動画を制作すれば、その労力の対価として動画の再生回数に応じた広告料が得られる。自分は他人が撮影した動画と他人が作った楽曲を編集しているので、広告料収入を得ることは現状難しい。世の中には撮影が趣味の人もいれば、自分のように編集が趣味の人もいる。撮影が趣味の人は編集せずに動画を投稿して広告料を得る権利がある。しかし自分のように編集を趣味にする者は、いくら編集しようが動画を投稿して広告料を得る権利はない。厳密に言えば、素材の権利者に許可を得られれば広告料を得ることは可能なのだが、そこには高いハードルが存在する。この状況から自分が感じることは「撮影はクリエイティブだが、編集にはクリエイティブな側面はない」と言われているようだということだ。
 確かに、自分のような者がダイジェスト版を勝手に編集して投稿すれば、CSスポーツチャンネルや動画視聴サービスの契約者を減らすことに繋がる恐れがある。しかし、勝手に編集されたダイジェスト版を見て、リアルタイムで観戦したいと感じる者もいないとは言えない。勿論どう受け止めるかは主催者・運営者の判断なのだということは理解している。ただ、ゼロから作品を生み出す著作者・権利者が、以前は軽んじられていた自分たちの権利を主張し確立してきたように、他人が生み出した作品を改変して表現を行う者も、ある程度その権利を主張し確立させようとしても良いのではないだろうか。

 著作権関連で言えば、JASRACの、必要以上に著作権を行使しようとする姿勢がしばしば批判の的になる。当然JASRACやレコード会社にしてみれば、必要以上ではなく正当な範囲で適切に権利を行使しているだけなのだろうが、同人誌などの2次使用作品と共に発展し、今では世界中で認めらる文化になっているアニメやマンガ界と比較すると、必要以上に権利を行使しようとしているように見えてしまう。確かにアニメ業界にはアニメーターの慢性的な低賃金問題、マンガ界も昨今は海賊版サイトに関する問題が深刻化しているなど、著作権の適正利用や収益性と全く無関係とは言えないような、解決しなければならない問題は存在しているが、日本の音楽業界とアニメ・マンガ業界を比べれば、どちらの見通しの方が明るいかは一目瞭然ではないだろうか。
 こんな風に考えるのは、自分がDJプレイを中心に文化が形成されたクラブミュージックに傾倒していたからかもしれない。アナログレコードからデジタル配信に頒布方法の主流が移行してからは、それまであったクラブミュージック界の著作権に関して大らかな傾向は明らかに縮小した。しかし、アナログが主流だった頃は、少量プレスされるブート盤・プロモ盤という体裁で、権利者・著作者の許可を得ていないRemix(別の人の楽曲を編集・アレンジした別バージョンの曲、正規版でもシングル盤のカップリング、アルバムのボーナストラックなどで、○○Remixなどとして収録されることがある)が公然と流通していた。また、クラブミュージックはクラブDJにDJMixの中で曲を使ってもらってナンボ、というか、使ってもらえなければ局が流行ることすらないような状況だった。一般的な音楽業界で言えば、レコード会社は有線放送やラジオでオンエアしてもらえるようにプロモーションするのと似たようなものだろう。だから、メジャーなレコード会社が管理している楽曲は別かもしれないが、アマチュアDJであっても「楽曲を無断でDJミックスに使用するな」なんて言われることは殆どなかった。

 他人が生み出した作品を無断で使用すること、使用して勝手に利益を上げ権利者・著作者の収益に損失を与えることは、原則的には問題のある行為であることに間違いはない。しかし、日本のアニメ・マンガカルチャー、世界中のクラブミュージックカルチャーがどのように発展したかを見ていると、必要以上にそれを指摘し過ぎることは、文化全体にとってはあまり好ましいことではない場合も多いように思う。このような事を考えると、近代以降著作者・権利者の利益にばかり注目してきた状況から、著作者・権利者の利益と文化全体の利益のバランスを重視するように見直す時期に差し掛かっているようにも思う。

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