スキップしてメイン コンテンツに移動
 

過剰な分量のオリンピック報道にウンザリ


 オリンピックが昨日閉幕したらしい。オリンピックで盛り上がっている人たちを否定するつもりは一切ないが、個人的には興味が薄く、正直に言うとその過剰なまでの報道の分量にウンザリさせられていた。特にNHKは朝から晩までオリンピック一色、しかも地上波・BSで4チャンネルあるのに、2チャンネル分も放送に割いていた。開会直後の2/12の投稿では、NHKのオリンピック傾倒の強さに関する懸念について書き、「国会もちゃんと報道して欲しい」などと書いた。裁量労働制の不適切なデータが大量に見つかったこともあり、オリンピック期間中も何日間かは国会中継を放送していたようなので、ある意味及第点とも言えそうだが、期間中のニュース番組は通常時より大きく放送時間を削られていた上に、扱う情報の大半はオリンピック関連ばかりで、国会関連はその他のニュースの1つのような分量で極わずか。国会中継を朝から夕方まで見ていられる人など、全国民の内のほんの一握りしかおらず、中継さえしていればいいというものでもない。中継を見ていられない人たちにも、何が議論されたのかを伝える努力をする義務が、NHKにはあると自分は考える。NHKが受信料を半ば強制的に徴収するのなら、オリンピック中継をするなとは言わないが、全てのニュース番組がスポーツニュース番組のような状態になることは避けるべきではないだろうか。確かにオリンピックの注目度はかなり高いと言えるだろうが、流石に偏り過ぎていると自分は感じた。

 
 NHK程ではないにせよ、似たような傾向は民放のニュース番組も同様だった。近年は以前に比べて、これまで日本のスポーツ放映で高い人気を誇っていた野球の人気が相対的に低下したこともあり、それと比例するようにスポーツに特化したニュース番組も減っているように感じる。詳しい統計を取ったり何か裏付けのある話ではないが、テレビ局は、スポンサー契約獲得の為なのか、1つの番組を長時間化する傾向にあるようで、スポーツニュースは、ニュース番組と統合して番組の1コーナーとして扱われる傾向も以前より強くなったように思う。そんな状況もあり、ニュース番組がオリンピック期間中、スポーツ専門ニュース番組のようになっていたのかもしれないと想像する。
 2/12の投稿では、「新聞各社はテレビ程オリンピックに偏っている印象はない」と書いた。しかし、その通りテレビ程ではないにせよ、期間中一部の新聞は偏っているように見えた。特に新聞社のWebサイト版でその傾向が顕著で、クリック数が稼げそうという期待からだろうか、トップページに見出しが掲載される記事の殆どがオリンピック関連という日が何日もあった。勿論流石にオリンピック関連記事しか掲載していないということではなく、他の報道の記事も掲載はされていたのだが、自分にとっては、新聞社のWebサイトのトップページがオリンピック一色というのは、まるでスポーツ新聞のように見えた。スポーツ新聞を見下すわけではないが、所謂大新聞にはスポーツ新聞のような記事・紙面を期待していないし、役割が異なると考える。
 
 今後は3/9からパラリンピックが始まるそうだが、パラリンピックでも同じ様な状況になるのかと思うと、少し憂鬱だ。しかし、これまでの経験から考えれば、パラリンピックへの注目度は確実にオリンピックを下回る。パラリンピック期間中のメディアが、昨日終わったオリンピックのような状況になるのは自分にとって好ましくないが、逆に競技の中継がオリンピックより減ったり、ニュースや新聞で報道される機会が減ったりすればしたで、「障害者やパラリンピックと健常者やオリンピックの報道姿勢に差をつけることは、ある意味では差別的かもしれない」なんて懸念も頭をよぎる。確かにそんな考え方はやや短絡的で、場合によっては逆差別と感じる人がいる恐れもあるだろうが、もし報道姿勢・分量に明らかな差が出るようであれば、そんな懸念が全くないとは言えないだろう。
 
 オリンピックの競技を観戦することで、多くの人が感動し、様々な面で心の支えになっていることは間違いなく、競技の為に様々な努力を行い、満足感のある結果を残せた選手には称賛を、満足のいかない結果に終わった選手には今後への期待を示すべきだろう。それは当然パラリンピック参加選手に関しても同様だ。それを体現するように、閉会式翌日である今日のテレビ欄を見ても、各局のワイドショーは軒並みオリンピック総集編のような内容のようだし、NHKでも通常土日の21:00から放送しているNHKスペシャルを、月曜なのにオリンピック関連の内容で放送するようだ。オリンピックへの関心が高く何よりも楽しみにしていた、そして楽しんだ人たちは、流行の表現を使えば、閉会してしまってオリンピックロスを感じているかもしれない。しかしあまり興味のない自分にとっては、各メディア、特にNHKのオリンピックへの偏り具合は異様に見えたし、これから行われるパラリンピックで同じような状況になっても、扱う量が減ってもネガティブな印象を感じそうで、少し気が重い。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。