嫌韓という言葉が定着して久しい。嫌”韓”とは言うが、実質的には”嫌鮮”だろう。韓国や朝鮮を嫌うこと自体は何も問題ない。個人的には好ましい思考・志向とは思えないが、好き嫌いは個人の思想信条の自由の範囲の話だ。しかしそれが高じて物理的な暴力や、偏見に満ちた言動など、精神的な暴力に繋がることは決して許されない。
2/23の早朝、東京都千代田区にある在日朝鮮総連本部ビルに車で乗り付けた男2人が、ビルの門に向けて発砲する事件が起きた。事件発生直後から、この男らは右翼団体で活動していたと、複数のメディアが報じていた(朝日新聞の記事)。右翼団体と言ってもそれぞれ様々だろうが、彼らはこんな事件を起こしているのだから、北朝鮮、というか韓国も含めて嫌悪しているのだろう。この事件の数日前に、フジテレビのワイドナショーに出演した、東大の研究員でもある国際政治学者・三浦瑠麗氏が、「スリーパーセル(北朝鮮の潜伏工作員のようなニュアンス)が潜んでいるから大阪がやばいと言われている」という旨の発言をして大きな波紋を呼んだ(ハフポストの記事)が、自分はこの2件を見て、「スリーパーセルよりも右翼関係者の方が、大阪よりも発砲事件が起きる東京の方がやばいのでは?」と感じてしまった。
三浦氏が「やばい」と主張するスリーパーセルについて、ネット上では多くの批判が起こった。確かに、大阪に在日コリアンが多いことを考慮して、「三浦氏のコメントは、在日コリアンに工作員が紛れ込んでいることを示唆しており、差別的だ」とするのは少し短絡的かもしれない。しかし、それでも彼女の発言には問題があるだろう。彼女は批判に対する「海外のメディアでもその脅威は指摘されている」という旨の反論を、ハフポストの取材に対して行った(前述のハフポストの記事に追記されている)が、それに関しても彼女が根拠としたのは、イギリスの所謂ゴシップ紙・日本で言えば東スポのような、というか更に信頼性の低い大衆紙が掲載した記事だ、などの指摘がされている。
三浦氏のこの発言について、夕刊フジが掲載した2/17の記事がとても興味深かった。記事では、自衛隊の特殊部隊で小隊長を務めたという伊藤祐靖氏のコメント掲載している。
現在も「スリーパー」と呼ばれるような工作員が、日本に潜伏している可能性は高い。(中略)工作員の数や潜伏場所、能力などは不明だ。逆に分かってしまえば、スリーパーとは言わない
というコメントだ。確かに北朝鮮に限らず、他国のスパイが潜伏している状況は少なからずあるのだろう。しかし、どこに潜伏しているのかも分からないのに、「大阪がやばい」と言えるのは何故なのか根拠が全く不明瞭だし、どんな能力があるのか(どんな武器を隠し持っているのかなど)も、何人いるのかも分からないのに「スリーパーセルが潜伏していてやばい」と何故言えるのか、甚だ疑問だ。彼女が娯楽作品専門の小説家や映画監督だったのなら、その発想力の豊かさを肯定的に捉えることも出来たかもしれない。しかし、政治学者という肩書でテレビにも多く出演するような立場なのだから、「大した根拠もないのに、不要に不安感を煽るような発言をするべきでは無かった」と言われても仕方がない。
朝鮮総連への発砲事件に関しては、2/27に多くのメディアによって続報が伝えられた。NHKニュースの記事によると男らは「北朝鮮のミサイル発射が許せなかった」と述べているそうだ。また、事件を2/23に起こしたのは、前日が島根県が定めた”竹島の日”だったことを踏まえて「警備にあたる機動隊員は比較的気が緩み、事件をおこしやすいと思った。その場で取り押さえられなかったら車で突っ込む予定だった」とも述べたらしい。
北朝鮮が事前通告すらなくミサイル発射を繰り返していることについては、日本人の多くは不安や不満を感じているだろう。それが「許せない」と感じるまでは理解できる。しかし、それに対する抗議として、発砲事件とか車で突っ込むなんて方法を用いることが許されるはずはない。要するに、多くの日本人にとっては事件を起こした男らも治安を犯すと言う意味で、北朝鮮政府同様に「許せない」存在だ。発砲事件を起こして車で突っ込むなんて、やってることは、昨今海外で起きているテロ事件とされている事件を起こした犯人らと殆ど同じだ。イスラム教徒や移民・その子孫が同様の事件を起こすと、先進国のメディアは即座にこぞってテロの懸念について言及するのに、この事件やアメリカで起きる白人による銃乱射事件などのように、自国民や、その国のマジョリティが起こす事件に関しては、テロの懸念にどのメディアも一切触れない。自分はこの点にも強い疑問を感じる。
今回は犠牲者は居なかったようだが、もし万が一、朝鮮籍の人間がこの事件の犠牲になっていたら、北朝鮮から何らかの明確な報復がなされたかもしれない。三浦氏らが主張するような危険なスリーパーセルとやらが「やばい」ぐらい多く潜伏しているのなら、報復的な暴力事件が起きていたかもしれない。個人的には、場合によっては不要な争いの火種になりえる事件だったかもしれないと感じる。
何故、北朝鮮の傍若無人なミサイル発射を「許せない」のに、自ら同じようにレベルの低い「許せない」行為に手を染めてしまうのだろう。以前、作家の百田尚樹氏が、
もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2017年4月13日
などとツイートして大きな波紋を呼んだ。朝鮮総連発砲事件は、百田氏のツイートより規模は確実に小さいが、その思考は酷似していると個人的に感じる。事件を起こした男らは強く影響を受けて犯行に及んだ恐れもあると想像する。批判している相手と同レベルに自ら成り下がる行為は、誰が何と言おうと不適切だ。「目には目を、歯に歯を」というタリオの法で知られる、ハンムラビ法典が制定された紀元前1750年頃なら、それでも良いのかもしれないが、私たちが生きているのは西暦2018年だ。それとも彼らは、約3750年前から文化的に進歩していないと、公然と胸を張るような人達なのだろうか。