2/3、イタリアのマチェラータという町で、アフリカ系の住民が銃撃を受ける事件があった。その事件の直後には与党・民主党の事務所も襲撃されたそうだ。容疑者は反移民を掲げる野党・北部同盟から地方選に立候補した経歴のある28歳の白人男性で、「イタリア万歳」と叫んでいたという報道もある。複数の報道機関が、同じ町で3日前に18歳の女性が遺体で見つかり、ナイジェリアからの移民男性が殺人容疑で拘束されていることに触れ、襲撃事件との関連性を警察が調べていると報じている。
自分がこの事件の報道を最初に知ったのは、NHKのテレビニュースだった。それを見た第一印象は「テロの可能性」についてなぜ触れないのか、だった。同じような事件をイスラム教徒やアフリカ系・中東系移民が起こせば、確実にテロの疑いがあるかどうかに関して言及があるだろう。白人が容疑者の場合はテロには該当しないということだろうか。報道機関がテロ・テロリストの定義をどう捉えているのか詳しくは知らないが、テロに関する認識が偏っているような気がしてならない。
この点が気になったので、今日・2/4の午前中、各局のテレビニュースを確認してみたが、NHKだけでなく、日本テレビ・TBS・テレビ朝日もテロの懸念については一切触れていなかった。ネットでも幾つかのメディアの報道を確認したが、自分が調べた限りではテロの懸念に触れている記事は無かった。日本のメディアのこの件に関する記事は、「地元メディアによると、」という枕詞を付けていることからも分かるように、独自取材は一切しておらず、地元メディアの報道や通信社が配信する記事をそのまま、もしくは元にして原稿を書いているのだろう。元の記事でテロの懸念に触れられていないことがそのまま反映されているだけだろうから、特に日本のメディアの視点だけが偏っているとは言えないだろうが、それでも白人が容疑者だった場合と、イスラム系や移民が容疑者だった場合に関して、視点に偏りがあると疑われても仕方のない報道姿勢であることには違いない。
「イスラム系やアフリカ・中東系移民がこの手の事件を起こすと、イスラム国などテロ組織が犯行生命を出すが、アメリカで白人が銃乱射しても、今回のように欧州で白人が銃撃事件を起こしても、テロ組織(とされる組織)が犯行声明を出すことはないから、そのような視点で語られるのは当然」という主張もあるだろう。アメリカでしばしば起きる(白人による)銃乱射事件は、標的を限定しない無差別殺人である事が多くテロの懸念はそれ程高いとは言えないかもしれないが、例えば、9.11事件は白人に限らずアメリカ人、若しくはアメリカと関わりある国の人間などを広く狙って起きた事件で、標的云々でテロか否かを判断するのは適切とは言えない。また、犯行声明の有無はテロ行為か否かの判断材料の一つにはなるだろうが、犯行声明のないテロ行為だって存在する。
しかも今回のイタリアの事件は、報道に間違いがなければ、確実に凶悪なヘイトクライムに該当するだろう。容疑者が「イタリア万歳」と叫んでいたという話は、イスラム系が起こしたテロとされる事件で、多くの容疑者が「神は偉大なり」と叫んでいたということと類似しているし、敵視する民族を無差別に銃撃しているなら、テロ行為である懸念を示す必要があると自分は考える。
アメリカ大統領を始め、欧米諸国では移民・難民の制限を主張する者は、テロリストが紛れ込む懸念を主な理由の一つに挙げるが、テロリスト予備軍は移民・難民だけでなく白人の中にもいることがよく分かる例が、このイタリアの事件ではないだろうか。彼らはテロが一体何なのか、その性質・定義について一度良く考え直すべきだ。
自分は日本の報道にしか触れていないが、地元メディアによる情報として伝えている報道機関が多いことを考えると、地元や欧米でも似たような論調で報じられているのだろうと想像する。そこから類推できることは、積極的にイスラム教徒やアフリカ系・中東系移民を差別していない人々の間にも、無意識的な差別感情が存在していること、そんな思考に疑問を感じる者は決して多くないということだ。
自分が言っているのは、「この事件の容疑者はテロリストだから、明確にそう報道するべきだ」ではない。寧ろ逆で、「イスラム教徒や移民が起こす事件を短絡的にテロと結びつけて報じるな」だ。フランスでの同時多発銃乱射事件や、ベルギーの空港爆破事件など、勿論テロ要素の強い事件に関しては、当然テロの懸念について報じるべきだ。しかし、1/3にアイルランドで発生した、日本人も犠牲になった殺傷事件では、明らかに今回のイタリアの件よりも規模が小さいのに、容疑者がエジプト出身だったからだろうが、第一報から「テロとの関連性は薄いと推察される」という話ではあるが、触れられている。その事件に関してテロとの関連性に触れるなら、今回のイタリアの事件もテロとの関連性について触れるべきだと自分は感じる。イタリアの事件で関連性に触れないのならば、イスラム教徒や移民が容疑者の事件であっても、懸念の薄い事件についてはテロとの関連性について触れるべきでない。
住民の不安払しょくの為に「テロの懸念は薄い」と言及しているのだろうが、個人的にはそれ自体もイスラム教徒・移民が起こす事件=テロという認識を煽っているように感じられる。それらの事件に関してテロの懸念があるかないかを報じるのなら、白人が起こした事件に関してもテロの懸念があるかないかに触れるべきだ。でないと、白人=テロの懸念が薄い、イスラム系・移民=テロの懸念が強い、という偏った認識を生み出すことに繋がる恐れがある。
一方では差別・偏見を無くそうという姿勢を見せているのに、実際は差別・偏見を煽っていることに無頓着という矛盾は絶対に無くすべきだし、今すぐ改めるべきだ。