今年も3/11がまたやってきた。2011年以前は防災意識を高める日といえば、もっぱら関東大震災が発生した9/1だった。自分が小学生だった当時は、関東大震災を経験していた祖父母に話を聞かされた。それは終戦の日に太平洋戦争当時の経験を聞くのと同様に、毎年恒例のことだった。今でも9/1が防災の日であることに変わりはないが、2011年以降は東日本大震災が起きた3/11の方が防災に対する啓蒙が行われる日になっているように思う。
例年3月に入ると震災からの復興・原発関連の問題に触れる報道番組が増え、それに特化した特番が放送されたりする。今年は今日・3/11が日曜日ということもあり、テレビ欄を見ると日中午後は軒並み震災・原発関連の特番が並んでいる。
自分は2011年の3/11当時、都心で震災を経験した。津波による甚大な被害を受けた東北地方太平洋側沿岸部や、原発事故に直面した福島の人に比べたら、自分が受けた被害なんてとるに足らないかもしれない。しかしそれでも震災当時の記憶は、自分にとってはあまり思い出したくないものだし、原発の問題にしたって、まだまだ事故処理に目途が立っているとは到底言い難い状況で、さらに避難を余儀なくされた地域の復興についても見通しが立っているとは言い難い状況なのに、原発を海外に輸出しようとしていたり、再稼働を進めようとしている国や電力会社を見ていると、大きな疑問と同時に強い切なさを感じる。それでも現状を認識したり、問題提起に必要性はあると思うものの、個人的には積極的にそれを見たいという気にはなれないので、震災・原発関連の報道が増える3月は自分にとって憂鬱な季節でもある。
そのような流れの中で、Yahoo!も防災意識を高めるという意図があるのだろうが、”全国統一防災模試”なる企画を3月中実施している。スマートフォンアプリを利用して、クイズ形式で防災に関する問題を解き、防災に対する認識を高めようという企画だ。自分は前述のような理由で積極的に利用したいとは思えないものの、このような企画は素晴らしいし、社会的に必要だとも思う。
ただ、これに関して感じる違和感もある。それは企画の内容に関することではなく、全国統一防災模試という企画の名称についてだ。なぜ、全国統一防災”試験”ではなく”模試”なのだろうか。模試とは、模擬試験を省略した単語だ。模擬試験とは、実際に合否・評価を判定される所謂本試験の前に、本試験の内容を想定して問題を作成したり、実際の試験に近い実施環境を用意して行うものだ。一言で言えば、本試験の予行練習の為に行う試験だ。ということは、模試が行われるなら本試験があって然るべきだということだ。
Yahoo!が企画した全国統一防災模試は、実際には模擬試験ではなく試験だ。このように指摘すると、「実際の災害を想定しているという意味合いで、”模擬”としているのではないか」という見解が出そうだが、”試す”という文字が用いられていることからも分かるように、そもそも”試験”という言葉自体にそのような意味合いが含まれている。模擬試験は試験の試験なのだから、実際の災害を想定しているから”模試”でもおかしくないという主張には無理がある。
”試す”という文字が使われているのに、実際は”試し”ではなく、それが本番になっているケースが他にもある。それはスポーツなどの”試合”だ。本来は剣術などで敵と交戦することを想定し、実戦形式でのシミュレーションを行い勝敗を決することが”試合”で、試しに対戦するという意味合いだったのだろうが、現在では”試合”が意味するものは概ね本番で、本番ではない試合を”練習試合”と言ったりもする。そんなことを勘案すれば、模擬試験・模試という言葉が、試験と同等の意味で用いられることが絶対的におかしいとは言えないかもしれないが、それでもまだまだ”試合”という単語ほど意味が変容しているとは言えないことも事実だろう。
Yahoo!の全国統一防災模試というネーミングが言語同断の間違いだというつもりは全くない。しかし、防災試験ではとてつもなく語呂が悪いというわけでもないのだから、出来れば本来の意味を大事にして欲しいとは思う。恐らく、”試験”だと何か公的な資格が取得できるかのような誤解を生む恐れがあるとか、試験という表現より更に気軽なニュアンスを醸し出せる単語として”模試”という表現を選んだのではないか、と想像するが、それでも本来の意味をわざわざ薄めるような表現を選ぶことが適当だったのかと考えると、個人的にはそうではないのではないか?と思えてしまう。