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適当とは言えない現状把握


 先週来、何度も財務省の改ざん問題に関する投稿を書いてきたし、昨日・3/14の投稿でもそれについて書いたので、流石に今日はそれ以外の題材で書こうと考えていた。米朝会談関連、米国務長官の解任なども大きな話題になっているし、これまで「対話の為の対話は意味がない」「北朝鮮が自ら対話させて欲しいと言ってくるように、圧力でその考えを変えさせる」などと米国以上に強硬な姿勢を頑なに示していたが、北朝鮮が日本政府に会談要求したなんて話は一切聞こえてこないのに、急に官房長官が「日朝首脳会談の可能性を模索」なんてことを示唆しだしたこと、などについて書こうか、などと昨晩は考えていた。
 しかし、今朝のMXテレビ・モーニングCROSSを見ていて「今日も改ざん問題に関する話を書くしかない」という気にさせられた。それは今朝のコメンテーターの一人・弁護士の山岸久朗さんが、コメンテーターらがそれぞれ個別のテーマを取り上げて説明・解説するコーナー・オピニオンCROSSで取り上げた「財務省の文書改ざんは罪になるのか」という話に強い違和感を感じたからだ。

 
 まず山岸さんが示した結論から言うと、彼の見解では”公文書の改変”という点では罪に問えない可能性の方が強いということだった。彼は4つ程、今回の公文書改変が抵触していそうな罪状を挙げ、その中で現在大阪地検が捜査を進める上で、現在念頭に置いているのは”虚偽公文書作成罪”だとした。彼の話によると、これは

文書作成権限を持つ公務員が虚偽の文書を作成・変造すること

で成立する罪で、決裁文書を改変した場合もこの罪に該当する場合はあるとのことだった。しかし、彼は、

私の弁護士としての私見ですが、これ、虚偽の公文書を作成必要があるんですね。で、一部の文書を抹消しただけで、文書の同一性に影響がない場合には、虚偽とまでは言えないんじゃないのか。
(MC堀さんの「ま、嘘ではないですよね、ただ、事実を伏せたということで、えー!でもなんかしっくりこないですけど、」というコメントを挟んで)
非常に重要な部分を削って文書の同一性が変われば、あるいは(この罪に)当たりうると思う

と話し、今回の件がこの罪に該当しない恐れもあるとも説明した。そして彼が該当の恐れが考えられる例として挙げた他の3つの罪にも該当しない可能性が高く、最終的に不起訴となる可能性が高いというのが彼の主張だった。

 これは、3/12の投稿3/14の投稿でも触れた、菅官房長官が「改ざんではなく書き換え」と主張しているのとほぼ同じ見解だ。それらの投稿でも指摘したが、14もの文書の中でおよそ300か所、しかも削除個所によっては1ページ分丸々、若しくは1項目全てが削除されている部分もあるのに、文書の同一性には影響がないという見解を示せてしまう感覚が自分には全く理解出来ない。そんな感覚では極端に言えば、長編推理小説一冊の内容を、ただ一言・たった数文字で「犯人は○○」と書き換えても”文書の同一性には影響がない”と言えてしまいそうだ。
 例えば、誤字脱字を訂正したとか、用いた表現が稚拙で誤解を招きかねない部分があるので、誤解が生じにくい表現に訂正した程度と認められる改変なら、”文書の同一性に影響はない”という話も理解出来るだろう。しかし、当時国会で議論されていた話と重なる部分が盛大に削除されたことが及ぼした影響、削除がなければ議論の内容が大きく違っていただろうし、佐川氏の当時の答弁が適当とは言えないことが誰の目にも明らかだっただろうし、首相や財務大臣も彼を国税庁長官に任命し、適材適所と頑なに言い張ることもなかっただろう。更に言えば、削除がなかったらその影響で、政府や与党への不信は昨年の通常国会閉会後の最悪の状況よりも更に高まっていたかもしれず、昨年秋に行われた衆院選の結果が、それでも与党側の勝利は変わらなかったかもしれないが、あれ程の大勝にはなっていなかったかもしれない。そんなことから、明らかになった文書の改変は、文書の同一性に影響を与えないレベルなんて到底思えないし、確実に深刻な改ざんだ。
 
 誰がどんな受け止めをしようが自由だし、それを主張するのも個人の自由だ。山岸さんの視点は確かに興味深い視点だし、決して言語道断で不謹慎な主張をしていたとまで批判するつもりはない。
 しかし自分が強い違和感を感じるのは、「文書全体の内容については殆ど変わっておらずく、改ざんではなく書き換え」などと、官房長官という影響力ある者が堂々と主張していること、弁護士・しかも報道番組のコメンテーターを務めるような者が、流石に断言まではしていなかったが、同じような話を強調していたことだ。断言はしていなくても、番組内ではその見解に対する懸念を他の誰かが示すようなこともなかったし、画面に表示される視聴者ツイートも「法律の専門家である弁護士の先生がそう受け止めるなら、そうなんだろう」という立場でのツイートも多かったように思う。
 しかしそんな話が通用するなら、全ての公文書は改ざんされている懸念があるという話になるだろうし、今後も都合の悪い文書に関して、この件程度の改変だったら罪にならないということにもなりかねない。要するに、今回程度の改ざんはやりたい放題なんてことになる恐れがある。もしそんなことになれば政治や行政への信頼性は地に落ちる。自分たちはいい加減なことをやっているのに、行政が一般市民には厳正に書類を求め、不備があればやり直させるのは納得できないとか、そんないい加減な者たちが運営している機関に税金を払うなんて馬鹿馬鹿しくてやってられないと思う者は確実に増えるだろう。また、「必要な申請でも適当にそれらしいことを書いておけば問題ないだろ?」と考え、実践する者も現れるかもしれない。行政組織の一つである警察の捜査・証拠収集への信頼感も同時に下がるだろうから、治安も悪くなるかもしれない。
 
 山岸さんは「背任罪など別の罪に問われる恐れはあるが時間の関係で今日は触れない」とも言っていたし、「政治への不信を招いたという点では許せない」とも言っていたので、この事態を軽んじているとは言い切れないが、逆に言えば、政治への不信感を招くようなレベルで公文書が改変されたのに、どうして文書の同一性には影響がない可能性を感じられるのだろうか。文書の同一性に影響がなかったのなら、政治への不信を招くような事態になどなっていないのではないだろうか。
 もしかしたら実際に、今回の件は虚偽公文書作成罪に当たらないと考える専門家の方が多いのかもしれないが、もしそうだとしても、彼もその結論の後で

こういうこと(今回の件が公文書偽造で罪に問えない恐れがあること)を将来に向かって活かすべき、立法に活かすべき

と述べていたのだから、前述の結論と同時に、公務員によって公文書が改ざんされることなんてあり得ないという前提で現行法が書かれており、抜け穴としてそれが悪用された恐れももっと強調しておくべきだったのではないだろうか。また、

(この問題は)政治的責任になるんでしょうね

とも述べたのだから、国会審議を妨害したことに関する偽計業務妨害だったり、彼が触れた背任だったり、他の罪状には該当する恐れがあることを付け加えておくべきだったのではないだろうか。
 本人にはそのつもりは無かったのかもしれないが、自分には山崎さんが「刑事的にはそれほど大きな問題とは言えない」ということを強調していたように聞こえたし、彼が必要以上に政府与党側に寄り添った主張をしているように見えてしまった。
 
 そのように見えた理由は他にもある。今日の番組内では「安倍政権が倒れたとしてその受け皿は?」なんて話もあった。山崎さんは言葉を濁して明確には答えなかったが、「(他には適任者がいないでしょ?)」と言いたげだった。
 これまでにも、南スーダン日報、文科省の天下り問題や加計問題に関する文書など、ある筈のものが幾度もないとされ、破棄は妥当だなどと言い張り、また厚労省でいい加減なデータを元に政策が立案されたり、さらには今回の財務省の公文書改ざんが発覚するなど、そのようなことが行政で頻発していることを考えれば、行政の長であり、それぞれの担当大臣を任命し政権を運営しているその張本人である首相より、少しでもマシな適任者が誰もいないなんて、「この国は既に終わっている」以外の感想を自分は思いつかない。
 これまで問題化したそれらのことの内、1つ、最悪でも2つ程度なら、政府・首相の責任まで問う必要はないかもしれないが、これほど頻繁に、決して軽くない問題が起きているのだから、船頭が舵取り能力に欠けていると断言してもよい時期ではないだろうか。
 「安倍首相の外交手腕には定評があり、トランプ氏ともある程度上手くやっているし、北朝鮮や中国の脅威に対等に対峙出来るのは彼しかいない」という主張をしばしば見かける。それは逆に言えば、外務大臣としての能力はあるが首相の器ではないと言っていることにもなりそうだ。自分は、足元の行政・内政すら正常にコントロール出来ないような者が国の顔になっているのは情けなく思うし、もし何か起きた時に正しい判断が出来るとは思えない。

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