産経新聞の記事「働き方改革法案修正へ 労働時間の把握義務付け 労基署指導に中小企業実態考慮」によると厚生労働省は、現在の国会に提出を目指している働き方改革法案に、企業側が働く人の労働時間を把握するように義務付ける規定を盛り込む方針を明らかにしたようだ。
この記事を読んでまず最初に感じたのは「労働時間の調査に関して、いい加減な調査結果を提示し、その調査結果を導きだしたデータを『廃棄した』などとして隠蔽しようとした厚労省が、そんなことを言い出したところで説得力に欠け、企業も同じようにいい加減に、自分たちに都合よくデータを隠蔽・改ざんし、自分たちに有利な不適切な結果報告をするだけでは?」という懸念だった。簡単に言えば、「自分たちが出来ないことを他人に強制できると思っているの?」という印象だ。一見とても真っ当な話のような気もするし、確実に必要な規定だとも思うが、同時にそのような違和感も感じた。
2月に発覚した、裁量労働制の拡大に合理性があるという説明に用いられた厚労省作成の労働時間に関するデータが、余りにもいい加減なものだったことに関しては、政府が裁量労働制の拡大を、今年度提出を目指す働き方改革法案から削る方針を示したこと、3/2に朝日新聞が財務省の公文書改ざん問題を報じて以来、国会内外の注目がそちらに移ったことなどにより、不適切な調査結果は恣意的に作成されたのではなく、十分な時間が取れず、結果的に杜撰な内容になったという話で止まっている。しかし、厚労省がデータを隠蔽しようとした疑惑に関しては誰も責任をとっていないし、明確化すらされていない。政府はデータ自体を撤回する必要があるとは認めず、精査が必要としていたが、その結果が発表されたという報道を自分は見た記憶がない。要するに、調査結果やデータが恣意的に作られたものなのか、結果的にいい加減なものになったのか、なぜデータが隠蔽されそうになったのかの結論はまだ明らかにはされていない、ということだ。 財務省の公文書改ざんが事実だったことを考慮すると、厚労省が作成したデータも、恣意的に偽造されたデータだった恐れがあると自分は感じている。要するに財務省が犯したデータ改ざんは、財務省だけの問題ではなく行政全体に対する信頼性に関わる問題だということだ。しかも
防衛省での南スーダン日報隠蔽問題
文科省での加計学園に関する内部文書隠蔽問題
財務省での森友学園に関する文書隠蔽問題
や、それらの全てで「廃棄した」という、故意かどうかは別としても結果的な嘘があったことなども考慮すれば、更にそのような不信感は高まる。要するに現政権・行政機関の主張すること全般に対して疑いの目を向けなければ、騙されかねないという思いに駆られる。
厚労省が今回発表した方針に話を戻すと、もしかしたら、いい加減なデータを作成した部署と今回の方針を策定した部署は別かもしれないし、”厚労省”というだけで一括りにして考えてはいけないのかもしれない。 例えば、一部の韓国人が必要以上に反日活動を行っていることを理由に、韓国人全般、もしくは在日韓国人や朝鮮半島にルーツをもつ人を、国籍や民族で一括りにして不当な扱いをすることは確実に差別に該当する。
しかし、私たちは商品を選ぶ際にメーカーや生産国などである程度の評価を下すことがあるが、それは不適切とまでは言えないだろう。例えば、あるメーカーのオーディオプレイヤー・ゲーム機を購入して、保証期間1年が過ぎてからたった1か月足らずで、どちらも壊れて使えなくなった経験が自分にはある。その経験から、それ以来そのメーカーを信用できないと考え、購入の際の選択肢に入れていない。もし、このたった2件の経験だけを根拠に、SNSなどでそのメーカーの商品は「重大な欠陥があるものばかり」とか「不良品しかつくらない詐欺会社」などと触れ回れば、それは誹謗中傷に当たる恐れがある。しかし購入の選択基準にその経験を反映させるだけなら、そして、「個人的な購入の判断材料にしている」と、前述の経験談と共にSNSに投稿するだけなら、厳密には偏見である恐れもあるかもしれないが、流石に言語道断の誹謗中傷とまでは言えないのではないだろうか。一応確認しておくが、勿論経験談が事実であることが前提で、その経験談が根も葉もない作り話だった、その程度の行為でも誹謗中傷になるかもしれない。
そんな観点で考えれば、厚労省がいい加減なデータを根拠に政策を立案し、政府がそれを推し進めようとしていたことから、厚労省は信用ならないと考えるのは不適切とは言えないだろうし、財務省の改ざん問題や昨年発覚した複数の不信感溢れる事案なども加味して、政府や行政全体に不信感を抱くことも決して不適切な行為とは言えないだろう。
厚労省が今回発表した方針は、前述のようにとても真っ当な方針だ。反対する必要がある内容とは全く思えないし、寧ろ歓迎するべき内容だ。しかし、それは、提案している組織(厚労省や政府)が信頼できて初めて、そのように感じられる。そうでない状況を、厚労省自身、そして更にその上部組織である政府が自ら生み出してしまったと考えることが、絶対的におかしい感覚だとは言えないだろう。そう思わない人も確実にいるだろうが、現在の状況でも、そう思う人も決して少なくないと自分は思う。 少し厳しい言い方かもしれないが、今の状況で政府や行政機関に不信感を全く抱かない人は、神に近いレベルのお人好し、公文書の短期での廃棄・不適切な管理・隠蔽・改ざんに積極的に関与していなかったとしても、それが起きるような状況を作ったこと、以前からその状況があったのだとしても5年も改善出来ず、杜撰な組織管理しか出来ないような政府なのに、外交など他の側面を考慮すれば不適切ながら容認するしかない、と考えている人は、長年の独裁に慣れてしまった中国やロシア国民に近い感覚なのか?と想像してしまう。