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都条例だが都民以外にも影響する話


 昨日・3/22、東京都議会で迷惑防止条例の改正案が当該委員会で可決された(リンク先はTBSニュースの記事)。この条例案は29日の本会議で正式にする見通しだそうだ。改正される見通しのなのは、盗撮とつきまとい行為の規制強化に関する内容だ。この改正案は都民ファーストを始め、自民・公明・民進・立民など殆どの会派は賛成の立場だが、共産党は濫用される恐れがあるとして反対の立場を示している。この改正案や濫用の懸念は、ネット上では少なくとも1週間以上前から話題になっていたが、自分が知る限り、新聞・テレビなど大手メディアでは取り扱われていなかった。昨日の委員会での可決を受けて、やっと報道され始めた印象だ。都議会中継を行っている東京の独立系U局・MXテレビすら同じような状況で、同局の看板報道番組・モーニングCROSSも今朝初めてこの件を取り上げていた。自分が知る限り、昨日以前にこの件を取り上げたのは、大手メディアの中ではテレビ朝日・報道ステーションだけだったが、その報道ステーションすら取り上げたのは一昨日、要するに委員会可決の前日だ。


 まず、どのような濫用の懸念が示されているのかと言うと、つきまとい行為の規制強化関してに「(住居などの付近などを)みだりにうろつく」「名誉を害する事項を告げる」が新たに規制対象に加えられたことだ。これらは既に国が定めるストーカー規制法で規制対象になっている。ストーカー規制ではが恋愛感情がある場合規制対象とする条件があるが、都条例の改正案では、”悪意”が認められれば規制できるという表現になっているそうだ。
 この”悪意”という拡大解釈が出来てしまう表現に問題があるというのが、共産党や一部の専門家・市民らの言い分だ。例えば、国会前でデモを行い政治家を批判する行為も、悪意を持って政治家の職場付近をみだりにうろつき、名誉を害する事項を告げていると判断されてしまう恐れがあるし、それは政治家に限らず、一般企業などに対する抗議活動なども同様だろう。また、マスコミやジャーナリストなどが政治家などを取材する為に待ち伏せしたり、後を追ったり、周辺を取材することなども、悪意を持ってみだりにうろつくと判断できなくもない。
 都議会の議論の中で警視庁の市村生活安全課部長は、

正当な理由により行われる市民運動や取材活動等は、取り締まりの対象となるものではありません。他の目的の為にこれを濫用するようなことがあってはならないと、乱用防止規定が定められている

と述べ、妬みや恨みなどの悪意”がある場合に限って規制が適用されるとした。しかし、妬みや恨みなどは、本人が認めない限りその存在を明確に立証することは難しい。ということは、全く運用されない規定になるか、もしくは一方的に個人の内心にある”悪意”の存在を認定するようなかたちで運用されることになるように想像する。このことについて、どのように”悪意”を判断するのか問われると、市村部長は、

個々の事案に応じて法と証拠に基づいて判断する

と述べた。要するに、警察などによる都合のよい解釈が可能な好ましくない条文・規定であるように感じる。
 国政レベルでは、首相が「自衛隊が違憲であるとも受け取れる憲法の曖昧な部分は修正しなければならない」と声高に主張し、特に憲法9条に関して複数の解釈が可能な曖昧な条文の不適切さを指摘している。彼はその一方で憲法の曖昧な条文を都合よく解釈して、戦後これまで一貫して全ての政権が認めてこなかった集団的自衛権を閣議決定のみで容認したり、野党からの臨時国会召集要求に誠実に対応せずに、召集はしたが一切議論をせずに召集当日に解散するなんてことをしている。そんな様子を見ていると、権力による都合の良い解釈が可能な条文が危険性を孕んでいることを実感させられる。

 小池東京都知事も16日の会見の中で、濫用されることはないのか?という記者の質問に対して、

基本的にはない、とお答えしたい

との見解を示した。”基本的にはない”ということは、「濫用の恐れが絶対ないと言い切る自信はない内容である」ということの裏返しとも言えそうだ。
 最近の国会での官僚・閣僚らの答弁を見ていて感じたのは、「一般的には考えられない」「普通に考えればありえない」などの、一見もっともらしい見解に対する違和感だ。最近国会で何を議論しているのかと言えば、それは専ら財務省の公文書改ざん問題だ。そもそも中央官庁の中でも最も能力の高い人が集まると言われる財務省で、公文書が改ざんされたこと自体が、”普通に考えれば”あり得ない、”一般的には”考えられない事態なのだから、一般的にとか普通に考えても仕方がない。しかも財務官僚や財務大臣など、不祥事を起こした側の人間がそんなことを言っていると「一体どの口が言っているのか」と怒りの感情すら覚える。
 財務省の公文書改ざんに限らず、南スーダンの日報隠蔽、厚労省のいい加減なデータ作成、文科省が行った、教育への不当な支配に該当する恐れの強い高圧的な授業内容調査など、昨今普通に考えれば起きない筈のことばかり起きているのだから、最早普通に考えればとか、一般的にとか、基本的になんて話は、少なくとも行政や政治の世界では一切通用しないと言っても過言ではないだろう。何より”想定外”の規模の津波が発生し、絶対起きない筈だった原発事故が起きたことを忘れてはいけない。
 要するに濫用される恐れは”基本的にはない”としか言えないような条文・規定は確実に不適切である。当然今の警察や都知事などの権力者が「濫用してやろう」と思っているなんて思っていないが、万が一そう思っていたとしても「濫用できる余地があります」なんてどう間違っても言わないだろう。共謀罪法案でも同じことを指摘したが、悪名高い治安維持法だって国家総動員法だって、当時の権力者はその正当性・妥当性・必要性を訴えて成立させている。

 なぜ都合よく解釈できる曖昧な条文がまずいのか?と言えば、成立させた時点の権力に例え濫用しようという意図が無くても、次の権力者がどのように運用するのか、濫用に舵を切らないかに関する保障など誰にも出来ないからだ。勿論日本は民主主義の国だから、市民・国民が選挙での選択を間違わなければ概ね問題は起きないだろう。しかし悪名高いナチス党は民主的な方法で第一党となって他の政党を弾圧したし、ヒトラーだって民主的な方法で総統にまで登り詰めて、第二次大戦を起こし、ユダヤ人らの大虐殺を犯した。要するに時として民主主義は選択を間違うということだ。だから都合の良い解釈が可能な法案には最大限に懸念を示す必要があるし、権力にとって都合の良い内容に憲法を書き換えることを、市民が手助けするなんて、ハッキリ言って自殺行為に等しい。

 自分は、この件に関して大手メディアにも懸念を感じる。確かに直近は、財務省の公文書改ざんという大問題、それに勝るとも劣らないような、自民党議員・文科省による高圧的な現場教育内容への調査、それに関して文科省職員が虚偽の見解を示したことなど、この件以外にも注目するべき話は多かった。しかし、この都迷惑防止条例の改正ももっと周知が必要な案件だと自分は感じる。一見都民以外には影響がないようにも思えるが、東京は日本の首都であり、国の機関が集中している為、国の機関へ抗議を表明しようとする際には都民以外も影響を受ける案件だからだ。要するに全国民にとって決して無関係とは言えない話だ。
 厳密には正式な採決は3/29で、今はまだ委員会で可決されただけの状態だが、それでも大手メディアらは、全国民が影響を受ける条例の改正案であることを、もっと積極的に報道する必要があるのではないだろうか。

 自分は「この改正案を廃案にしろ」と言っているわけではない。”悪意”という曖昧な表現をもっと限定的な表現に変えるか、濫用を防ぐために必要な文言を加えるべきではないか?と考える。都議会の与野党共、多くの会派が賛成しているということは、懸念は取り越し苦労である可能性もあるが、大半の都議が懸念を過小評価している恐れもある。なるべく多くの市民にこのような案件が今議論されていることを伝える為に、大手メディアにはもっと積極的にこの件について取り上げて欲しい

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