昨日(3/7)のテレビ朝日・有吉&マツコのかりそめ天国で、スマートフォンに「OK Google」とか「Hey Siri」と話しかけたり、海外旅行先などでネイティブのような発音で話す人を見ると恥ずかしくなってしまう、という視聴者投稿を紹介し、出演者の2人がそれについてコメントしていた。有吉さんマツコさん共に「その気持ちが良く分かる」とし、マツコさんは人生で最大に恥ずかしかった経験として、フランスでコーヒーを頼む際にネイティブフランス語発音で注文したことを語っていた。一応「そうしないと通じない」とも言っていたし、「流暢な日本語を使える外国人には、余計に親切にしたくなる」とも言っていたので、単に慣れない発音を自分が使うのは気取っているように思えて気恥ずかしいと言っているだけだということは、自分も良く理解している。しかし個人的には、それを気取っていると感じることの方がよっぽど恥ずかしいように感じる。通じにくい日本語訛り・カタカナ発音に謎のこだわりを持っているようで滑稽だ。ネイティブ発音を気取っていると感じることこそ自意識過剰で、それこそ気取っているように思える。
とは言え、小池都知事のように必要以上にカタカナ語・既にカタカナ語化したとはまだ言えないような単語を、日本語訛りの発音で多用することには違和感を覚える。日本語に対応する単語・表現があるにも関わらず、わざわざカタカナ表現の方を使おうとする人には、確かに気取っている印象を感じてしまう。
しかし、だからと言って日本語訛りのカタカナ語表現や完全な和製英語などを否定するつもりは一切ない。英語話者などに和製英語や日本語訛りの発音を指摘されると、=間違っている、と感じる人は少なくないだろうが、個人的には一概にそうとは言えないとも思う。何故なら、英語が母国語であるイギリスとアメリカでも表現に差はある。例えば自動車のエンジンルームの蓋をイギリスではボンネット、アメリカではフード(又はエンジンフード)と呼ぶ。また、車輪の上部のボディ部分をイギリスではウイングと呼ぶし、アメリカではフェンダーと呼ぶ。このようにそれぞれで異なる表現は存在するし、それぞれの訛りもある(因みに日本では、前者をイギリス式のボンネット、後者はアメリカ式にフェンダーと呼ぶのが一般的)。何ならアメリカ内でも北部と南部で異なる表現・訛りは存在する。また、イギリスやアメリカが以前植民地としていた地域など、一応英語が公用語とされていても、元々の現地の言葉と英語が混ざり、その地域独特の表現・発音が多数存在する国や地域も少なくない。確かに、日本で英語は公用語ではないし、英語が得意な人も比較的少ないし、そんな意味では和製英語は厳密には不正確な英語かもしれない。ただ、前述のような状況を考慮すれば、日本だけで通用する英語表現が存在してはいけないということでもないだろう。
しかし同時に、特に海外へ行くようなら、それがどこの地域でも通じる英語ではないことも理解しておく必要はあるかもしれない。言った先の地域の人にとって耳慣れない発音・表現を使えば当然珍しがられるし、”変な言葉を使う奴”と面白がられることもあるだろう。また、場合によっては誤解を生む恐れさえある。
また、日本語は近代以降多くの外来語を取り入れて日本語化してきた。そんな観点で見れば、和製英語や日本語訛りのカタカナ語表現は、既に英語などの他国語ではなく、外国語由来の日本語であるとも言えるだろう。アルファベットで表記する言語に限らず、中国語やインド発祥の仏教用語に由来する日本語の表現は数多く存在しているし、例えば、”かるた”だって英語でカードを意味するカルテという単語に由来した日本語だ。
こう考えると、海外でもネイティブ発音を使うのが恥ずかしいと言っている人らは、海外で強引に日本語を貫こうとしているようにも思える。日本でも一切日本語を覚えようとせず、英語でしかしゃべらない外国人観光客も多くいるし、頑なに日本語訛りにこだわり、現地の表現を使おうとしないことが絶対的におかしいということではないが、現地の言葉に合わせるのが恥ずかしいというのは、やはり寧ろ、その発想自体の方が滑稽だと自分は感じる。