これまで、ネットを介した個人間商品取引のスタンダードは、長い間Yahoo!オークションだったが、スマートフォン用のアプリケーション・メルカリがその座を奪った感がある。メルカリはフリーマーケットアプリという位置づけで、オークション方式ではなく出品者が販売価格を決められる。メルカリはテレビでもCMを放映しており、見かける頻度はそれなりに高い。CMにはいくつかのバージョンがあり、それぞれ、前述のようにオークション方式ではなく出品者が価格を決められることや、出品商品が24時間以内に購入される率が高いこと、出品・発送に掛かる手間を、運営側が出来る限り肩代わりしていることなどをアピールする。
オークション方式ではなく出品者が販売価格を決められることを伝えるバージョンのCMの最後のセリフが、個人的には誤解を生むように思えてならない。それは
自分の言い値で売れるのよ
という表現だ。「自分の言い値で出品できるのよ」という意味であることを自分は理解できるが、初めてこれを聞いた際は「自分が決定した言い値で、必ず商品が誰かに購入される」かのようにも聞こえた。
自分は日本語表現に細かい方であることを自認している。確かに前述のような誤解する人の割合はそれ程高くないだろうし、万が一誤解したとしても受ける損害はそれ程大きくない。必ず言い値で商品が購入されると誤解して法外に高額な価格設定をしたとしても、商品を搾取されてしまう訳ではなく、単に売れないだけだ。そんな意味では「多少紛らわしいが、そこまでとやかく言わなくても」といったような見解も充分理解出来る。
ただ、誤解を生じる恐れがある表現であることには変わりないし、メルカリがサービス内容を必要以上に良く感じさせようとしているようにも聞こえてしまうのも事実だろう。自分が一番懸念するのは、テレビCMでこのような表現が使われることによって、このような表現が適切な表現であると認識されることだ。誤解を生じる恐れのある表現が適切であると認識されることは決して好ましいとは言えない。
「そんな表現は、日本語にはもっと他にもたくさんあるのだから、このCMだけを指摘しても仕方ない」と言う人もいるだろう。確かにそうかもしれない。しかし、たった数文字変えて「自分の言い値で出品できるのよ」とするだけで、より正確な表現になることは誰の目にも明らかだし、誤解を生む確率を確実に下げられるのだから、わざわざ誤解を生む確率が高い表現を用いる必要があるとは到底思えない。
結局のところ、このブログでも何度か同じ主張をしているが、作家なのかディレクターなのかは分からないが、文章や言葉で表現する職業に就く者の質が下がっているように感じる。
最近気になったテレビCMで、このメルカリのCMよりも明確に不適切な表現だと感じたのはニキビケア商品・プロアクティブのCMだ。このプロアクティブのCMも最近頻繁に見かける。商品利用者の10代の学生が「毛穴汚れもゴッソリ落ちてうれしいです」なんて不自然なセリフを言ってるカットを堂々と流しており、個人的には不信感が高かった。「ニキビがなくなってうれしい」とか「肌がきれいになってうれしい」なら子供が言いそうだが、「毛穴汚れもゴッソリ落ちてうれしい」なんて普通に言うだろうか。撮影しているのは明らかにハウススタジオだし、劇団の子役が台本を読んでいるようにしか見えなかった。他にも自動車保険や生命保険・健康食品などで、実際の利用者の声かのような体裁で、販売側がアピールしたいことを言っているだけのCMをしばしば見かける。それらも胡散臭さが高く、自分には、企業がわざわざ不信感を煽っているように見えてしまうが、あれだけバンバンその手のCMが流れているということは、CMを見て電話してしまう消費者も多いのだろう。
偏見かもしれないが、テレビを見ている層は高齢者になればなるほど多く、このようなCMのメインターゲットは高齢者なのだろう。プロアクティブはニキビケア商品で、商品を使用するのは10-20代が多いだろうが、商品を購入して子や孫に買い与えたという親や祖父(個人的には演じているだけだと思っている)が登場し、子・孫が喜んでくれて嬉しい的な構成のバージョンも頻繁に流されているので、やっぱりターゲットは高齢者なのだろう。ハッキリ言って、商品は確実に届くだろうし全く同じとは言えないが、CMの表現には錯誤を誘発させようという意図が見え隠れし、自分には程度の差はあるものの、オレオレ詐欺と似たような手法のように見えてしまう。
プロアクティブのCMの中で最も悪意を感じたのは、岡田結実さんとキティちゃんが登場するバージョンだ。このバージョンでは「顔には20万個毛穴がある」とし、その後岡田さんが、
顔に20万個ニキビができちゃうかも!
と煽る。顔に毛穴が20万個あったとしても、同時に全ての毛穴にニキビができるなんてことが本当にあるだろうか? 表現が大袈裟過ぎてコマーシャルで用いる表現として適当だとは全く思えない。岡田さんは台本通りに演じただけなのだろうが、彼女の印象は確実に悪くなったし、一緒に起用されていたキティちゃんも同様だ。
テレビがネットの普及によって視聴率を下げている状況、最盛期に比べたらスポンサーの確保が困難になっていることは理解する。しかし、胡散臭いCMを流せば流す程、メディアとしての評価を下げることになるように自分は思う。ネットで検索していると、しばしばいかがわしい印象のサイトに足を踏み入れてしまう。ネット上のサイトもその多くは広告収入で成り立っているので、自分が目にするサイトの多くにはバナー広告などがある。その広告内容は千差万別だが、胡散臭い広告を掲載しているサイトに高い信頼性を感じるか? と問われれば、確実にそんなことはないと答える。テレビ局がスポンサー確保が大変なのは分かるが、スポンサーの方ばかり向いていたら視聴者離れは加速するだけではないだろうか。もう少し放送するCMの質を気にした方がよいのではないだろうか。目先の利益だけでなく長期的な視点も必要だと自分には思える。