昨日の投稿でも触れた、愛媛県がこれまでないと説明していた文書について、実はあったことが明らかになった件。昨日の投稿を書いた後に、愛媛県知事が会見を開いて懸案の文書があるのかどうか調べた結果を説明した。ハフポストの記事「愛媛県知事、加計問題で“首相案件”文書の存在認める『備忘録として書いたことは間違いない』」当該文書は保管義務のあるものではない個人的な備忘録で、現在は県庁内には存在していない、とした上で、
朝日新聞の1面に)出ている範囲については、担当者本人が備忘録として書いたことは間違いないと認めた
と会見で明言し、更に
県庁職員は真面目な職員。しっかりと、報告のために記述したものであることは間違いない。
職員の上げてきた書類は、私は全面的に信頼している。
とも述べた。言い換えれば「懸案の文書は確かにあったと「部下の職員から報告があり、その部下が書いたことがないのに書いたと報告するはずがないし、虚偽の内容の文書を作成するなんてこともない」と言っているに概ね等しい。文書が存在したことも、そこに書かれていた内容も間違いない、と強く訴えた。
この文書の内容に関しては、もしその内容が概ね正しいのなら、首相や官僚らが昨年答弁していた内容と食い違いが生じる。厳しく言えば、昨年の答弁が虚偽答弁という国会に対する背信行為に該当する恐れもある。昨日の会見が行われて以降に自分が見たテレビや大手新聞社の報道の殆どは、文書が存在する可能性を最も早く報じたNHK、文書を独自に入手し内容を公開した朝日新聞の取材活動と、そしてその文書の信憑性の高さを主張した愛媛県知事は適切な行動をとった。現政権は確実に追い込まれる」というような論調だった。その見解が大きな間違いだとは間違っても言えないが、それだけでは、なぜこの時期まで当該文書が明るみに出てこなかったのか、という視点に欠ける。
自分は昨日の投稿でも、愛媛県は昨年7月に開示請求に対して「ない」としていたにもかかわらず、何故このようなタイミングで文書の存在が明るみになったのか、ということも大きな疑問だと書いた。そんな観点で考えれば、愛媛県庁も自衛隊や防衛省などと同様、あった書類を「ない」としており、しかも存在の発覚はメディアによって伝えられており、個人的には愛媛県庁も中央の役所と同様、隠蔽体質があるのではないかと懸念する。何故なら、県知事も会見で述べていたように、獣医学部の新設は県にとっても実現したい事案だったのだから、開学まで情報を握っていたようにも見える。県知事は会見でこのような指摘をかわす為の伏線も貼っている。”個人的な備忘録”とか”保管義務はなく現存していない”とし、要するに、開示請求があった時点で既に県庁内に存在していなかったと言いたかった、若しくは本当にそうだったかどうかは分からないが、そうだったことにしないと、開示請求への「ない」という回答と矛盾してしまうのでそう言っておかなければならなかったのだろう。民放キー局や大新聞は「国の問題の方が重要で、愛媛県への疑念を今追及すると話がとっ散らかる」と考えているのかもしれないが、地元紙などは確実に追及しておく必要性がある案件のように自分には思える。もし自分が愛媛県民なら「愛媛県よお前もか」と強く訴えたい。
また、この件は、4/9の夕方にNHKが報じたのが最初で、翌朝、朝日新聞・東京新聞などが朝刊に記事を掲載したのだが、一体それらの情報源になった人は何故このタイミングで情報をメディアに伝えたのだろう。あくまで以下は完全に予想の範疇だが、県職員が作成した備忘録という話が確かなら、朝日新聞が文書の全文の写しを入手しているといことを考えると、情報の出どころは、愛媛県庁内か今治市役所内の人物、又は、それらの自治体の担当者との打ち合わせなどで、その備忘録が内閣府や文科省などの担当者に提示されている可能性もあるだろうから、官僚なのだろうと考える。ただ、愛媛県や今治市は獣医学部の新設を10年以上も前から目指してきたことを考えれば、所属する役人が積極的に認可の正当性が揺らぐような文書を提供するとは考えにくい。しかし、中央省庁も複数省庁で隠蔽・改ざんなど不都合な情報を隠す動きが横行しており、隠そうとする傾向が強い中で積極的に提供したとは考えにくい。とは言え、流石に地方も中央は役人=全て悪人ということではないだろうから、現状に不満を持つ誰かが、不正が次々と明らかになる事態を見るに見かねたのかもしれないとも思う。ただ、最も自分が有力だと考えるのは、財務省の改ざん発覚を見て「隠しきれない」と悟った誰かが、消極的な理由で情報をメディアに伝えたのではないかという見立てだ。
何が言いたいのかと言えば、この文書も決してポジティブな背景で明らかにされたとは言えないのではないか、厚労省の労働時間データねつ造、財務省の改ざん、防衛省の隠蔽に次ぐ隠蔽などの発覚があったからこそ出てきたのだろうと考える。
この文書の内容にから、首相は昨年「加計学園の獣医学部新設計画を知ったは(2017年の)1/20」と国会で答弁したが、その1年以上も前から知っていたのではないか、首相の昨年の答弁は虚偽答弁ではないか、なんてことが既に指摘され始めている。しかし、昨年の国会答弁と矛盾する文書の内容は、その殆どが当時の柳瀬首相秘書官の発言として書かれており、まだまだ誰かが勘違いした不確実な話と斬り捨てるスタンスをとれるような状況だ。
しかし、柳瀬氏は国会で「(愛媛県担当者と会った)記憶はございません」と述べており、愛知県担当者とあったかどうかに関しては、愛媛県職員と柳瀬氏のどちらかが確実に嘘を言っているということになるだろう。「記憶にございません」は、もし会っていても「愛知県職員と気付かなかった」とか「忙しくて失念していた」などと言い訳できるという表現で嘘とは言えないという見解がどうやら政界の常識のようなのだが、個人的には「そんな程度の低い記憶能力しかない、いい加減な人間が首相の側近、有力官庁のエース級が就くとされる首相秘書官だなんて、それこそまずい」としか思えず、到底納得できる話ではない。そもそも何十年も前の話でなく、たった数年前の話だ。
更に愛媛県職員が柳瀬氏の答弁が虚偽答弁だった疑惑が生まれるのようなことを県知事に報告するかにも大きな疑問がある。もし県職員が嘘をついているのが明白になれば、法律家ではないので名誉棄損か何かは分からないが、正確さに欠ける主張で柳瀬氏に不利益を与えたと訴えられる恐れもある。こんなタイミングで、わざわざそんなリスクを冒して嘘の報告を地方自治体の一職員がするだろうか。もし自分なら嘘でなくても、曖昧な記憶しかないのなら絶対にそんな報告をしない。その後の人生設計が台無しになる。言い換えれば、自分の覚えに絶対的な自信があるから出来た報告だと感じる。別の観点から考えると、あのような報道があった状況で、実際は自分が文書を作成していたのに「なかった」と報告して、それが後でバレたらそれこそ人生設計が台無しになるだろうとも考えるだろう。
同じように感じているから愛媛県知事は会見で、ほぼ断言に近い内容で、調査結果を強調したのだろう。
確かに、柳瀬氏も昨年国会という発言に相応の責任が求められる場で発言しているのだから、愛媛県職員と同様にそれも相応の覚悟が必要だった発言とも言えるだろう。柳瀬氏は報道を受けて、朝日新聞が公開した文書の内容を否定する旨の意思表示を即座に書面で行ってもいる。ただ、佐川理財局長の昨年の答弁がほぼ嘘だったことを考えれば、政権に近い柳瀬氏も同じ穴の狢ではないのか、という懸念は強まるし、愛媛県や今治市が獣医学部の開設実現を長く切望していたことを勘案すれば、獣医学部が不正常なプロセスで認可された疑いが強まるという、自分の所属組織に不利なことを県職員や県知事が言っているのに対して、柳瀬氏は、自分の所属していた組織、要するに政権にとって都合のよいことを言っているのを比べれば、どちらの主張の信憑性が高いのかの目安になるかもしれない。
この投稿を書いている時点では、まだ今日行われている国会審議でどんなやり取りがあったのか確認出来ていないので、どんな話になったのか、そして今後どんな方向性なるのか非常に興味深い。
勿論、自分は昨日の投稿でも書いたように、交通違反に例えれば、数々の不祥事の累積で現政権は既に免許取り消し(総辞職)相当、というか、我が国では違反運転者に対するそのような処分はないが、一部の国で運転に著しく不向きとされる者に下される永久欠格処分(議員辞職、特に総理・副総理)が妥当だと思っている。それぞれの不祥事の責任は当然のこと、積極的に各案件に関わっていた明確な証拠が無くても、本来議論するべき案件の議論を妨げる複数の不祥事を許し、しかもこれ程頻発させてしまう状況を作ったのは紛れもなく現政権だ。官僚に騙される、しかも5年も政権運営を続けた結果騙されてしまうような政権に期待感など一切ない。「世界情勢を見ろ、外交で現政権は相応の結果を出してきた、退陣などそれこそ国益を損なう」などと主張する者もいるようだが、部下である官僚に騙されるようでは、外交でも他国に騙されることだろう。というか既に、特にアメリカ大統領には都合よく利用されているように思える。