スキップしてメイン コンテンツに移動
 

慣れの危険性とウンザリへの対処


 自民党の二階幹事長は連日次々と不祥事や新たな疑惑が明らかになる事態について、4/9には「責任あるべき人には責任をとってもらう、というくらいの気構えでいかないと駄目」などとし、更に4/10には「我々も実際はウンザリしている。早く解決していくことが大事」と述べたそうだ。しかし、NHKの記事「麻生氏と二階氏が会談 安倍政権支える方針を確認」によると、見出しの通り、秋の総裁選でも安倍政権を支える方針を確認したとのことだ。
 要するに、二階氏の前述のコメントだけを見ると、野党程でないにせよ現政権には不満を感じているかのようにも聞こえるが、結局彼はあくまでも官邸でなく官僚の責任と考えているのに、ハッキリそう言うと風当たりが強くなるからハッキリ言わず、どうとも解釈可能な表現を用いただけであるということなのだろう。


 大体「我々もうんざり」などと良く言えたものだと自分は感じる。昨年の南スーダン日報隠蔽発覚した際に再発防止などと言っていたのに、再発どころか再々…発しまくっている。また、森友加計問題を受けて首相は「李下に冠を正さず」などと言っていたのに、政府に都合の悪い情報の改ざんや隠蔽がメディア報道によって複数発覚するような状況では、李下に冠を正しまくっているとしか言えない。与党・自民党はその政府に勿論追従し、大した追及もしてこなかったのだから共犯のようなものなのに、それ棚に上げて「ウンザリ」なんてどの口が言うのだろう。というか、前段で指摘したように、要するに「政権の足を引っ張る官僚にうんざり、官僚はキッチリ責任をとれ」と思っているから、軽々とウンザリなんて言えるのだろう。ウンザリという言葉で現状を表現して良いのは国民だけで、勿論官僚の不祥事を直接的に許して(勿論許可したという意味でなく、管理監督出来ていなかったという意味)いた政府などは言語道断、政府と一体になって都合よくいい加減に幕引きを図ろうとしていた与党(自民・公明)も、そして1年かかっても追及しきれない野党もそんな表現を使うべきじゃない、と自分は思う。
 
 ただ、一旦そんなことを棚にあげて、なぜ二階氏がウンザリと言ったのか、を考えると、それは次から次へと新たな疑惑・不祥事が際限なく発覚するからだろう。切れ間なくネガティブな事が続けば、そんなことを関係者が言うべきではないが、確かに「ウンザリ」もするだろう。自分も連日似たような投稿ばかり書いており「ウンザリ」し始めている。「なら書くなよ」という声もあるだろうが、選挙で自分が投票しても何も変わらないと投票を止めることが好ましいとは言えないのと同様、大したアクセス数もない弱小個人ブログだろうが、投票棄権が消極的な現政権・与党への信任になる可能性が高いのと同様に、おかしいことを「おかしい」と言いうことを止めたら、消極的に「現状で問題ない」と認めることになりかねないと自分は思っている。
 
 このウンザリという感覚は、言い換えれば、似たような事を続けて体験させられることによって現状に慣れさせられている、更に言えば、深刻な事態でも深刻と思わなくなる、それは言い過ぎでも、それほど深刻と感じなくなるという事だと思う。平成の初頭に、他にもいくつか要因はあったが、総理大臣の女性問題で止めを刺されてかなり短命に終わった内閣があった。それと比較したら、現政権などはもう確実にアウトだろう。にもかかわらず、これだけ不祥事、しかも公文書の改ざんという日本の行政史上最高レベルの不祥事が発覚し、更に他にも隠蔽が横行しているのに、何故か「まだやれる」的な空気がまだまだ支配的だ。既に一部の日本人は不祥事に慣らされて正常な判断が出来ていないのかもしれない。
 
 自分が知る限り東日本大震災が起きる前までは、震度4の地震が起きたらかなり大きな話題になっていた。震度5などはそれこそかなり大きな地震という認識だったと思う。しかし、震災後は震度5程度の余震が頻発し、ともすれば「震度5程度で一安心」なんて思うようにすらなっている。先日の島根の地震は震度5程度だったが、それなりの被害があったようだ。それでも東日本大震災や熊本地震に比べれば被害は限定的だった。確かに20-30年前に比べたら、新しい建造物の耐震性は相応に高くなっているだろうから、同じ震度5の地震でも起きる被害が少なくなっており、震災以前のように、震度5=かなり大きな地震、とは感じなくなっているというポジティブな側面もあるかもしれないが、それは視点を変えれば地震に対する油断を生んでいるとも言えるかもしれない。震度7クラスの大地震を体験し、しばしば震度5程度の地震が起きるような状況で生活していれば、そうなってしまうのも仕方ないかもしれない。
 また、数年前に鹿児島を訪れた際、たまたま久しぶりに市内の建物でも窓が鳴るような大きな桜島の噴火が起きたタイミングだった。自分はその噴火の翌日桜島へ行ったのだが、傘をさしたくなるくらい灰が降っていた。火口が見える展望台の売店で「今日は凄い灰が降ってますね」と声をかけたら、「これぐらいはそんなに珍しくないですよ」という旨の声が返ってきた。いつも噴火する火山のすぐそばで暮らしていれば当然そんな感覚になるのだろうが、その時も、人間どんなことにも慣れるもんだと感じた。
 
 今月はまさに新入学・入社の時期で、満員電車に不慣れな新入学生・新社会人を見かける。ただそれも大体4月中ぐらい、7月前にはほぼそんな者を見かけることはなくなる。多くの者が満員電車を含め、新生活・新たな環境になれていくのだろう。
 このように「慣れる」ことは決してネガティブなことばかりでなく、ポジティブなことでもある。しかし、不正の横行などには絶対慣れてはいけないし、「ウンザリ」して目を背けても何もいいことはない。いい加減に決着を図れば、結局同じことが繰り返されるだろうから不正はなくならないし、それこそ不正を行う者の思う壺だ。例えば、友人関係などならば、ウンザリさせられたらその関係を諦めればいいのかもしれないが、当然世の中には諦めるという解決方法が適用できない事柄も多くある。そんなことに関しては、どんなにウンザリさせられようが、おかしいことは「おかしい」と言い続けることが、とても重要なことだと自分は思う。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。