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フィルターバブルとの付き合い方


 Youtubeを開いた際にまず表示されるのは「あなたへのおすすめ」だ。ここに表示されるのは、自分が登録しているチャンネルや再生履歴などの傾向が反映された、各個人の好みをYoutubeが機械的に判断して薦めてくる動画だ。それ程気にする必要はないのかもしれないが、自分は、ここに自分の好みとは明らかに異なる種類の動画が表示されることがとても気になる。一言で言えば”汚された”気分になる。
 どういうことかというと、Youtubeに、自分が好きでもない種類の動画を「お前、こういうのに興味があるんだろ?」と勘違いされているように感じるという事だ。言い方を変えれば、レッテルを貼られたような気分になる。また、好みでもない動画が、場合によっては嫌いな種類の動画がズラーっと並ぶこともあり、それに対する嫌悪感もあるかもしれない。

 好みでもない動画が「あなたへのおすすめ」にズラーっと並ぶことがない様に、大して興味がない動画をクリックすることを躊躇することも多い。以前、ニュース女子が話題になった時に、番組を制作しているDHC関連の動画を数本見たら、おすすめが右寄りの動画に染まるような状況になった。中には事実に反する恐れの強いタイトルが付けられたような動画もあり、とても不快な気分にさせられた。しかし、現政権に懐疑的なニュースを伝える動画を数本見ると、今度は左寄りの動画がおすすめに多く表示されるようになった。こんな状態では、右寄り思考の人はその傾向が強くなるだろうし、左寄りの思考の人も同様だろうと思えた。
 これはYoutubeに限ったことじゃない。TwitterやFacebookなどのSNSでも、多くの人は自分の考えに近しい人としか交流したがらない傾向にあるだろうし、その結果、自分に見えている傾向が世の中の全て、全ては言い過ぎでも、それがその人にとっての現実になってしまう人も多いだろう。それだけでなく、個人の検索履歴や閲覧サイトの履歴に沿って表示されるWeb広告の中にも、政治的だったり思想に強く訴える種類のものもあり、SNS以外のそような広告が表示される全てのサイトで同様の懸念があると自分は思う。
 このような状況は”フィルターバブル”(Wikipedia)と呼ばれる。余談だが、個人的にはカタカナ語を不用意に用いるのは好きではないので出来れば該当する日本語で表現したいが、簡潔で分かりやすい対応する日本語が見当たらない。妙案があれば是非知りたい。

 自分は、Youtubeで興味のない動画を不用意にクリックしないようにしている、と書いた。この事とフィルターバブルの関係性を考えていた当初は、「自分はこの心掛けによってフィルターバブルを極力遠ざけようとしているようにしている」と感じていた。しかし、よくよく考えると、興味のある動画だけをクリックし視聴しており、その結果自分に興味のある動画だけがおすすめに表示される状況を率先して作り出している。自分の興味のない情報が、自分の目に触れにくいところに存在していることは理解出来ているという点では、自分の目に見えるものだけを信じている人よりはフィルターバブルの影響は少ないかもしれないが、それでも自分も結局フィルターバブルの中にあることには違いないだろう。

 ただ、今のようにネットが当たり前のように存在し、SNSが社会的なインフラと言えそうな程生活に根差した存在になる以前から、もっと言えば、ネットが登場する以前から、各個人が自分の好む情報には積極的に、興味のない情報には消極的にしか接していなかったことは変わっていない。例えば、マンガが好きな人はマンガばかり読んで、小説など活字の本はあまり読まなかっただろうし、巨人ファンは巨人びいきの読売新聞やスポーツ報知を好んで読んでいる人が多かった。新聞に絞って考えても、ネットの普及した現在は各紙の論調を比較することは一般人でも容易に出来るが、以前は各紙が揃うのは、大きな会社か図書館などに限られており、複数の新聞を購読している家庭などほぼなく、複数を日常的に購入して比較する人など、全くいなかったとは言わないが、自分は聞いたことがなかった。そんな意味では、個人個人の思考・志向によって接する情報が偏る傾向は、ネット社会になる以前から存在していただろう。

 しかし、「フェイクニュースの所為で全てのニュースが信用できなくなり、ニュース自体への興味が薄れた」などと言う人もいるように、ネットが普及したことで、確実に情報の総量が増え、増えた中にはいい加減な情報も多く、判断することをすっ飛ばして信じたい事だけを信じる人が増えた結果、フィルターバブルが好ましいとは決して言えない状況に拍車を掛けているという事は出来そうだ。いい加減な情報を撒き散らすこと、フィルターバブルを引き起こすような仕組みが、ネットを中心に社会に浸透していることなども確実に看過できないが、情報の取捨選択を適切することから目を背けたり、諦めたりするような者にも相応の責任はあるだろう。
 とりあえず各個人がとりあえず出来ることは、自分の好みでない情報にも出来るだけ接するようにすることだろう。3/30の投稿でも触れたが、麻生副総理大臣は、しっかり確認もせず自分の勝手な思い込みで日本のメディア・特に朝日新聞を批判した。批判と言うか事実と異なることを言ったのだから、誹謗中傷したと言っても決して言い過ぎではない。このことからも分かるように、好みでない情報だったり、不適切な情報を批判するにしても、しっかり確認しなければ適切な批判をすることは出来ない。そんな観点でも、接する情報が偏ることのないように心がけることは重要なことだと思う。

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