スキップしてメイン コンテンツに移動
 

スメルハラスメントについて


 スメルハラスメントについて、「あなたのニオイは大丈夫?」という特集記事をNHKニュースが4/17に掲載した。、NHKの記事に掲載された定義では、スメルハラスメントとは、においが原因で周囲に不快な思いをさせてしまう行為なのだそうだ。この手の話は昨今急に言われ始めたことではなく、数年前からしばしば指摘され始めていたし、もっと言えば、何十年も前から臭いに敏感な人の間ではちょくちょく話題になるような普遍的な話だが、セクシャルハラスメントという言葉の登場以来、○○ハラスメントという表現がどんどん増える中で、これまで特に決まった呼称の無かった臭いによる不快感を「スメルハラスメント」と呼ぶようになっただけだと思う。NHKの記事を読んでみても、過敏な人がネット上などで不快感を訴え始めた結果、対策や対処が始まっている、ということ以外には何ら目新しいと思える点はない。

 記事で触れられているのは、体臭・口臭・タバコ臭、そして香水の匂いなどだ。自分はこれ以外にも、「隣の家が干している洗濯物から漂ってくる柔軟剤のニオイが臭くて耐えられない」とか、「電車の中で弁当を食べる人がいると、その臭いで気持ち悪くなる」などの主張をネット上で見かけたことがある。

 確かに、何日も風呂に入っていないんじゃないか?と思うような体臭や、歯磨きをしているのか疑いたくなるような口臭、クルマのような狭い空間で窓を閉め切ってタバコを吸ってこびりついた臭い、バケツで香水をかぶったんじゃないか?と疑うような香水のつけすぎなどは、自分も不快感を感じることはある。そんな時は確かに「もう少し臭いに気を使って欲しい」と感じる。
 しかし、昨今・特にスメルハラスメントなんて言葉が使われるようになって以降、一部の人の感覚は行き過ぎているようにも思う。NHKの記事では、職場でのハラスメント防止について研修や啓発を行っている「職場のハラスメント研究所」の金子雅臣所長という人物に取材しており、彼が言うには、

本人が意図していなくても相手が不快に思えばそれはハラスメントです。においは悪意のないものがほとんどですが、例えば上司のにおいがきつくて悩んでいても我慢するしかない状態は部下としてはとても働きづらい状況で、法的な規制はないもののハラスメントと言える

なのだそうだが、自分は全く彼の主張に共感出来ない。本人が意図していなくても相手が不快に思えばそれはハラスメントなのであれば、どんなに些細な臭いでも、というか臭いというのは目に見えないので、実際には臭いがしていなくとも、誰かが「臭う、不快」と言った時点でハラスメント確定ということになりそうだ。そんなバカげた話があるだろうか。もしそれが成り立つのなら、例えば、入らない人物を、臭いのあるなしに関わらず「くさい」として、スメルハラスメントの加害者に仕立て上げられてしまう。果たしてそんな状況が適切と言えるだろうか。
 自分は動物は元来臭いがあって当然で、人間も動物の一種なのだから、臭いはある程度あって当然だと考える。確かに自分がふりまく臭いに配慮することは、他の動物とは違って人間には必要なのだろうが、あまりにも「あの臭いが気になる、不快」と過剰に言うことも、ある種のハラスメント(いやがらせ)だと思う。要するに、スメルハラスメント・ハラスメントだ

 確かに、人によって許容できる臭いのレベルは明らかに異なる。ただ、これまで生きてきた・生活してきた環境によってもそれは異なると自分は思う。例えば、自分は小学生の頃、夏休みの1か月間を友人の祖父母宅で過ごしたことがある。そこは農家で、ちょうど堆肥・要するに牛糞が周辺の畑にまかれていたタイミングで訪問し、当初自分は臭くてたまらなかった(数日後にはあまりきにならなくなった)。しかし、当然友人の祖父母は臭いを全く感じていなかったし、毎年その頃に祖父母宅を訪れる同級生も「臭いはするがクサいか?」というような感じだった。
 何が言いたいのかといえば、スメルハラスメント!と訴えている人の多くは、過剰に臭いが排除された環境でこれまで生活してきた為、そうなるべくして臭いに敏感になり過ぎているのではないか?ということだ。個人的には過敏すぎる人が不快だと言おうが、臭いの程度によってはハラスメントとは言えないと考える。

 厳しく言えば、他人から出る臭い、臭いに限らず音や他人が触った食材に対して、必要以上に反応を示したり、嫌悪し食べられないような人は、社会性に欠けているとすら言えるとも思っている。そんなに他人が気に入らないのなら、複数の人と同じ空間で働くとか満員電車に乗るなんて諦めて、そうしなくていいように山奥にでもこもるべきじゃないだろうか。確かに都会では人口が密集しており、周囲の人への相応の配慮は必要だろうが、その一方で、他人と共存するためにはある程度のおおらかさ、時には我慢も必要だろう。
 体臭や口臭やタバコ臭が気になるという話には理解できる点もあるが、流石に、弁当などの食べ物の臭いがクサくて気分が悪くなるなんて言える人の気持ちは到底理解出来ない。「電車内でくさややシュールストレミングを食べるな」なら理解も出来るが、「臭うから弁当食べるな」という主張を出来てしまう、ある種自己中心的な感覚には強い嫌悪感を覚える。ファブリーズなどのCMに影響を受け過ぎているとしか思えない。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

優生保護法と動物愛護感

 先月末、宮城県在住の60代女性が、 旧優生保護法の元で強制不妊を受けさせられたことに関する訴訟 ( 時事通信の記事 )を起こして以来、この件に関連する報道が多く行われている。特に毎日新聞は連日1面に関連記事を掲載し、国がこれまで示してきた「 当時は適法だった 」という姿勢に強い疑問を投げかけている。優生保護法は1948年に制定された日本の法律だ。戦前の1940年に指定された国民優生法と同様、優生学的思想に基づいた部分も多く、1996年に、優生学的思想に基づいた条文を削除して、母体保護法に改定されるまでの間存在した。優生学とは「優秀な人間の創造」や「人間の苦しみや健康問題の軽減」などを目的とした思想の一種で、このような目的達成の手段として、障害者の結婚・出産の規制(所謂断種の一種)・遺伝子操作などまで検討するような側面があった。また、優生思想はナチスが人種政策の柱として利用し、障害者やユダヤ人などを劣等として扱い、絶滅政策・虐殺を犯したという経緯があり、人種問題や人権問題への影響が否定できないことから、第二次大戦後は衰退した。ただ、遺伝子研究の発展によって優生学的な発想での研究は一部で行われているようだし、出生前の診断技術の発展によって、先天的異常を理由とした中絶が行われる場合もあり、優生学的な思考が完全にタブー化したとは言い難い。

日本の代表的ヤクザ組織

  ヤクザ - Wikipedia では、ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているもの、と定義している。報道や行政機関では、ヤクザのことを概ね暴力団とか( 暴力団 - Wikipedia )、反社会勢力と呼ぶが( 反社会的勢力 - Wikipedia )、この場合の暴力とは決して物理的暴力とは限らない。