テレビ番組に所謂有識者的なポジションで出演する人が、どのような人なのか気になってツイッターやブログを覗いた際に、番組での振舞いとネット上での言動にギャップを感じる事がしばしばある。このような事はテレビに有識者として出演する人に限った話ではなく、タレントやアナウンサーなど他の出演者にもそのようなギャップのある人は存在しているし、タレントではなくとも、現実での振舞いとネット上での言動の差という視点で捉えれば、自分が仕事上の関係・プライベートで知り合った中にもその手のタイプの人は存在する。
自分がしばしば出くわすギャップは、テレビ画面の中では割と冷静なのに、SNSやブログでは結構冷静さを欠いているように見えるというギャップだ。勿論、全てが全てそのようなギャップとは限らず、テレビ画面の中では所謂キレキャラに見えるのに、ネット上では割と冷静な主張をしている人もいる。しかしそのようなケースは自分の知る限り稀だ。
ネットと現実という状況に限定しなくとも、現実だけでも、置かれた状況で振舞いが変わる人というのは決して少なくない。上司や先輩、学生なら先生の前では優等生っぽい振舞いなのに、目上の者がいなくなると急に横柄さが顔を出す人、同性しかいない場面と異性がいる場面で振舞いが全く変わる人、又はクルマを運転すると途端に攻撃的な発言が多くなる人などはそれほど珍しいものではない。このように羅列すると、二面性を持つことが悪いような印象を与えかねないが、全てが全て好ましくないとは言い切れないと思う。
時と場合によって振舞い方を選ぶこと自体は何も悪いことじゃない。仕事とプライベートでは同じ様に振舞っていないと自分も思うし、好感を覚える異性がいる時といない時では明らかに振舞い方は変わる。そんな意味では、二面性どころか多面性は誰もが持っていると言えるだろう。いつ何時でも振舞いや態度が変わらないように見えるような人でも、それが表面的に分かり難いだけで少なからず違いはあると思う。もし全く違いがない人がいたなら、誰もが持っているはずの感情がないということなのだろうが、そんな人は存在しないだろう。
ただそれでも、クルマを運転すると攻撃的になってしまう人と同様に、ネット上だと急に攻撃性を増したり、輪をかけて攻撃的になるようなタイプの人を自分は全く容認できない。冒頭で指摘した”テレビ出演時とネット上でギャップのあるコメンテーター”とは、その手の人を想定している。その手の人はコメンテーターに限らず、誰であろうが残念なのには違いないが、「私は良識のある有識者です」のような態度でテレビでコメントをしている人が、ネット上で良識があるとは到底思えない態度で主張しているのを見ると、残念感は3倍増し(自分調べ)になってしまう。
SNSやブログの中でも特にツイッターは、元来は単なる独り言なので、ブレーキをかけずに率直な思いをつぶやくのも妥当な使用法の範疇なのかもしれない。しかし一方で、アカウントを公開しているということは、公に向けての発言しているということでもあり、親しい友人とのオフレコ話ではないのだから、相応に表現には気を配る必要があると思う。しかも一般人が名無しの権平的につぶやくのではなく、テレビにコメンテーターとして出演するような、少なからず影響力のある立場のアカウントでの発信なら尚更だ。
そのような人の二面性を目の当たりにした際に、果たしてどちらの振舞い方がその人の本質に近いのかを想像する。恐らくテレビでは番組の演出や方針、台本もあるだろうから本質的な部分が抑えられがち、ネットでは基本的には振舞いは本人次第だろうから、ネットで見せる振舞いがその人の本質に近いのだろうと想像する。
ただ、クルマを運転する際に攻撃的になる人、お酒を飲んだ時だけ攻撃的になる人の本性は、普段の落ち着いた振舞いなのか、それらの攻撃的な振舞いなのかを考えると、どちらとは一概に言えそうもないのと同様に、ネット上で攻撃的になってしまう人も、コミュニケーション相手の顔が見え難く、相手への思いやりに欠けた行動をしてしまいがちであるという、ネット上でのコミュニケーションの特性の影響を受けているという側面もあるかもしれない。そんな視点で考えると、ネット上での振舞い方の方がその人の本性に確実に近いと言い切れないような気もする。
結局この手のことを考えても、何がどうなのかという結論に辿り着くことは難しいが、個人的には、公の場でアホだのバカだのクズだの言ってしまうような人は、例えそれがネット上のSNS個人アカウントであっても、他の発言も含めて著しく自らの信憑性を下げていると自分は感じる。確かに、前述したように人間は誰もが感情を持っており、時には攻撃的な側面が抑えられない場合もあるだろう。だから、そのような発言は1発アウトとまでは思わないが、しばしば過剰に攻撃的な発言をしてみたり、態度を示すような人の発言は、どんなに正しそうなことを言っていたとしても話半分、半分どころか話5%程度にしか感じることが出来ない。